貝塚の一帯に夕闇が迫ってきた。近木川沿いに作られた紀州方の砦の連絡は秀吉軍によって断ち切られ、それぞれが孤立した戦いを強いられていた。
畠中城の守将、神前是光は矢倉に上って、周りを見渡した。
砦の中庭には、大きなモチノキが枝を広げている。梢(こずえ)の先はすでに夕闇の中に溶け込んでいた。春の夜の温かい風が流れてくる。
近木川の対岸から、銃声と鯨波の声がかすかに聞こえてくる。森の向こうの空が赤く染まっている。千石堀城で戦が行われていることは分かったが、戦の行方は全くわからなかった。
是光は昼間砦に打ち込まれた矢文のことを考えていた。
矢文は、砦の守り手に勝ち目のない無益な争いを続けて百姓たちを道連れにすることを責めていた。そして投降に応じるなら命を保証すると約束し、その保証人として貝塚願泉寺の卜半斎の名をあげていた。
末尾には岸和田城主の中村一氏の名前が記(しる)されている。
矢文は城攻めで孤立した城内の敵を不安にさせ、心理的に追い詰めるために、古くからしばしば用いられた手法である。
情報を遮断された砦の中では、流言飛語が流れやすい。根拠のない、ささいな情報が尾鰭をつけて広がり、中の人々を動揺させる。逃げ出そうとする者も現れ、混乱が起きる。不安は戦の勝敗にもかかわってくる。
このため、攻め手はしばしば、嘘の情報を交えて砦に矢文を打ちこみ篭城衆を揺さぶった。
城側でも敵の意図は分かっていて、策略に乗らないよう、矢文を勝手に開けて読むことを許さなかった。落ちている手紙や、柱に刺さった矢文はそのまま、必ず城将に届けるよう味方に命じた。
矢文で有名なのは、元亀元年(一五七〇)十二月、武田信玄が北条方の駿河深沢城(御殿場市)を攻めたときに、城の中に打ち込んだ書状である。
信玄は、最初の攻撃の結果、深沢城が力だけでは容易に落ちないのを知ると、城将の北条綱成を説得する方法に切り換えた。
「今度信玄、此の表に向かって出張(でば)り(=出兵し)、深沢の地に当たって取り詰めらるる儀は、強ち(あながち)に当城を競望するにあらず」
信玄は、城を無理矢理落として占領することが自分の目的ではないと釈明し城方に和議を求めた。
城将北条綱成はこの申し出を拒み、小田原からの援軍を待った。
しかし、いつまで待っても頼りの後詰めは来なかった。信玄が金堀衆を使って、深沢城の土塁を掘り崩しはじめるに及び、綱成は持ちこたえられず、ついに城を明け渡した。
和議勧告ではしばしば、「開城すれば命を助ける」ということが約束されるが、守られないことも多かった。
書状の末尾には牛頭権現や八大龍王ら神々の名前が書き込まれ、神仏に誓って約束を果たすことが、仰々しく保証された。
しかし、いったん敵が降伏するや、仲間を殺した敵を憎さの余り、寄ってたかって、なぶり殺しにした例も少なくない。
二百五十年前、元弘元年(一三三一)の河内赤坂城の戦いでも、降伏した楠木正成方の平野将監らが、助命の約束に反して、六条河原で全員処刑された。誓約を裏切られた平野将監らが投降を悔いたことが大平記に書かれている。幕府側が投降者を殺したことで、反幕府側は死にもの狂いで戦うことになり、各地での反乱の収拾はかえって難しくなった。幕府にとっても、大きな判断の誤りだった。
投降を城側に受け容れさせるためには、安全を保証する力があり、お互いに信用できる仲介者が必要である。岸和田にいる敵はその仲介者として貝塚願泉寺の卜半斎を指定してきている。
是光は卜半斎をよく知っていた。卜半斎は一向宗本願寺門主の顕如を通じて秀吉や配下の中村一氏とも話ができる。また根来や雑賀衆とも親しい。
卜半斎なら、両者の間を取り持ち、自分の身に代えても我々を守ってくれるに違いない。開城したあとで、命を保証する誓約を一方的に破ることは絶対にしないだろう。
卜半斎なら信用できる。是光は信じていたが、砦の根来衆が和議に同意するかどうかは、覚束なかった。
投降に応じるよう人々を説得すべきか、抗戦すべきか。是光の気持ちは揺れ動いた。
◇
是光は砦の外の暗闇を見詰めた。
砦の外側の土居には大きな鉄の篭が置かれ、割った木が燃やされている。敵が近付いてくれば、明かりに照らされて、たちまち味方の銃の標的になろう。敵はかがり火が燃えている限りは、そこから近付いてくることはできない。
その大事な火が、敵に包囲されて薪を補充できないまま、だんだん弱くなってきていた。火が消えれば、闇に乗じて敵が夜襲をかけてくるかも知れない。火種のあるうちに薪を補充しなければならない。
是光は、それぞれの持ち場を守っている旗頭に命じて、若者を出させた。
「このままでは、かがり火が消える。消えないうちに薪を入れてきてもらいたい。近くに敵がいるようなら、発砲して威嚇してほしい」
是光は、敵に聞こえるのを警戒し、声を落として若者たちに命じた。
十人ばかり集まった若衆の中には、根来から派遣された若左近もいた。
若左近にとっては、戦いが始まってから、これが初めての任務だった。
握り締めた手が汗ばんだ。
「かがり火を朝までもたせるように、なるべく多くの薪を入れてほしい。薪の補給はできるだけすばやく行う。もし敵が撃ってきたら、応戦せよ。砦からも援護射撃する」
額に冷や汗を浮かべている若左近らの緊張と不安をほぐすように、鉄砲頭の宝蔵院が力強くいった。
若者達は薪の入った篭を背中に担ぎ、銃を手にした。五人ずつ、砦の前後にある二カ所のかがり火へ、静かに向かった。それぞれの組に行人がついて指揮した。
宝蔵院ともう一人の行人に指揮された若左近たちの組は、敵に見付からないよう、ひとりずつ間隔を置いて外に飛び出した。
土居を乗り越え、逆茂木の下をくぐって、わずかに燃えているかがり火に近付いた。
かがり火はもう消えかけていて、あたりは薄暗かった。敵に悟られず、薪の補給をするには、よい条件だった。
彼らが、背中にかついだ薪の篭を下ろし、かがり火に薪を入れたときだった。
空気を切って暗闇から銃弾が飛んできた。若左近たちは、反射的に薪の篭の陰に隠れた。手に持った火縄銃を構え、弾の飛んできた方角に向けて、反撃の態勢をとった。
闇の中で静寂が続いた。
動くこともできず、若左近たちは、じっと地面にはいつくばっていた。
仲間が気になって周囲を見回したとき、若左近は、そばに倒れている宝蔵院を見付けた。
「宝蔵院殿」
若左近は銃を下に置いて、宝蔵院のところに駆け寄った。抱き起こしてみたが、すでに宝蔵院は胸に銃弾を受けて、事切れていた。
「宝蔵院殿が撃たれた」
若左近は少し離れたところにいた年上の行人に知らせた。
行人の判断で撤退が決まった。銃弾が飛び交う中、若左近たちは薪を補給し、砦に引き返した。
かがり火はまた勢いを取り戻し、赤々と燃えだした。かがりからこぼれた火は、土の上で静かに燃え続けた。
その場に残された宝蔵院の死体は赤く血に染まっていた。
敵の攻撃をきっかけに、双方の射撃が続いた。