「撃った後は絶対に体を動かしてはならぬ。弓矢でも同じだが、撃った後の姿勢は残身というて、とりわけ大事なことだ。引き金はできるだけ静かに引く。いわば月夜に霜が降りるがごとく、静かに引き金を落とすのだ。引き金を引いた後も、銃身をしっかり構えて姿勢を保つ。おれが、いまからやって見せるから、よく見ておけ」
小密茶坊は、南の坊の銃を取り上げると、素早い動作で弾を込め、立ったまま角を狙った。
「立ち放し」と呼ばれる、この撃ち方は、立ち木など銃を支えるものがないときに使われる。重い銃身を支える膂力(りょりょく=腕力)が求められ、銃の射撃法の中でも最も難しいものとされている。
小密茶の筒先と、遠くにある角を行人たちはじっと見つめている。
風はなく、薄青い火縄の煙が真っすぐ上に昇っていく。
肩までたくし上げた小密茶の黒い法衣の袖から、木の根のように太く、力こぶの浮き出した腕が伸びている。
かすかに動いていた筒先が、やがてぴたりと止まって動かなくなった。引き金に掛かった指がゆっくりと手前に動いた。
「ドン」
轟音があたりに響き、筒先から白い煙が吹き出した。同時にピシッという鋭い音がして角の板が真っ二つに割れた。
「おお」
見守っていた行人の間から感嘆の声が漏れた。
小密茶はしばらく、そのままの姿勢を保っていた。煙硝の煙が流れ、きな臭い匂いが鼻を刺激する。やがて、小密茶はゆっくり銃を下ろし、こちらを向いた。
「よいか。引き鉄を引いたあと、しばしそのままの姿勢を保ち続けることを忘れるな。敵の攻撃を恐れ、焦って動けば弾は外れる。不発のときでも、すぐに姿勢を崩してはならぬ。寒い時など発火が遅いこともある。不発だと思って体勢を崩したら急に弾が飛び出して仲間を撃ち殺してしまった例(ためし)もある」
「不発の時は、そっと右手で火蓋を閉じ、火縄が消えていないか、火縄が曲がって外に向いていないか、火皿の中の口薬が風で飛んでいないか、落ち着いてよく確かめることだ」
小密茶はまだ筒先から煙が出ている銃を軽々と片手に持って、南の坊に投げた。南の坊は、あわてて両手で銃を受け取った。
重い銃が小密茶の太い手にかかると、まるで軽い木の杖のように見える。あごひげを蓄えた小密茶の顔は、日焼けして赤銅色に輝いている。
「敵を攻撃する時は、じっくり引き付けて撃つこと。無駄弾を撃たぬためには、落ち着くことが肝要だ。それと、早合(はやごう)から弾と合薬(ごうやく)を鉄砲の中に込める時は、早合をよう振ってほぐすことを忘れるな。長い間、行軍したあとは、早合の弾薬が固まっていることがある。それをそのまま銃に込めると、早合の底に合薬が残り、弾は五間と飛ばぬ」
「早合を作るときは、筒いっぱいに火薬を詰めずに、少しは隙間を残しておけ。さもなくば、弾薬が早合に付いて出にくくなる」
小密茶は細々と注意をした。
「では、これから三発ずつ試し撃ちをする。おれが教えたやり方をよく守って、確実に、しかも早く撃て。前の列から三人ずつ始めよ」
小密茶の号令に合わせ、射撃が始まった。約五十人の行人たちは三列にならんで順番に撃ち始めた。南の坊も真剣な顔付きで銃を構えている。
「撃て」
「ドン」「ドン」「ドン」
腹に響く轟音が角場の空気を震わせ、白煙が流れる。
行人たちは次々に角を狙って銃を放つ。
辺りの山に銃声がはねかえって、こだまする。真上の低空を飛んでいた二羽の鶴が驚き、あわてて高く舞い上がるのが見えた。鶴はやがて小さな点になって雲の中に消えた。
行人たちは、座ったまま撃つ「居放し」、横たわって撃つ「伏せだめ放し」、「立ち放し」の順に三発ずつ撃った。
三人の行人が、撃ち終えるたびに、点検役の行人が角に駆け寄って弾痕を確かめ、当たった数を大声で読み上げる。
居放し、伏せだめ放しでは当てることが出来ても、立ち放しでは、しくじる者が多かった。三発とも命中させるものは、ほとんどいない。
鉄砲を握って、もう三カ月になるというのに、一発も当てられないようでは、射撃には向いていないといわれても仕方がない。
鉄砲が下手な者は弓組か槍組に回されるが、これは根来では格下げを意味する。何といっても、ここでは鉄砲が花形なのだ。
天正三年(一五七五)の長篠の合戦からこの十年、戦の主役は今では完全に鉄砲となっている。かつての主力兵器であった弓も槍も、今では陰が薄くなっていた。
確かに今でも、戦では弓と槍が使われている。しかし、弓矢はあくまでも雨の日に鉄砲が使えないときか、鉄砲の弾を込める間、敵の攻撃を防ぐ補完的な予備兵器に過ぎない。槍も、鉄砲の弾を撃ち尽くした後の接近戦で初めて役立つものだった。
いまや戦の勝敗は鉄砲によって決まる。それゆえ鉄砲組は重んじられた。
◇
射撃の順番を待つ行人たちの表情は皆硬かった。厳しい稽古があっても、天下に聞こえた根来の鉄砲衆を外されるのは、屈辱だった。
前の者の射撃が終わり、十郎太に順番が回ってきた。顔を強張らせて、十郎太は射撃の位置についた。
十郎太が目に欠陥を持っているのを、若左近は十郎太から聞いて知っていた。子供のころ、川原で印地打ち(=石合戦)をしていて、飛んできた石を右目に受け、以来右目が少し見えにくいのだという。
銃を撃つ者にとって、視力が弱いことは致命的な弱点である。十郎太は人より熱心に稽古していたが、上達は遅かった。
十郎太が射撃の位置に着くのを、若左近は後ろでじっと見ていた。
棒に釘付けされた八寸の正四角形の角(かく)は、真ん中に直径二寸の「星」が墨で描かれている。角は、三間(5.4メートル)ほど間を空けて三個並べられている。
角の後ろには「安土(あづち)」とよばれる、文字通り安全のための土盛りがあり、上には屋根が葺かれている。十五間手前に引かれた横の線から見ると、角は、ほんの小さな木切れにしか見えない。角の中の星はさらに点のように小さかった。
十郎太は手早く銃に装填すると、片ひざをついて銃を構えた。星に狙いをつけ、同時に火蓋を開ける。息を止め、静かに引き鉄を落とした。
「ドン」
小気味のよい音がして銃口から白煙が吹き出した。しかし、角は微動もしなかった。
撃った瞬間、十郎太の手が少し動いたようだった。
十郎太は次の弾を込めると、体を横たえ、伏せため撃ちの姿勢で角を狙った。
一発目より長い時間、十郎太は角を狙っていた。やがてまた引き金がそっと引かれた。
「ドン」
撃ったあとも十郎太の姿勢は変わらなかった。しかし、その瞬間の十郎太の悔しそうな表情で、撃ち損じたことが、若左近には分かった。
最後は立ち放しである。十郎太の顔に焦りの色が浮かんでいる。
焦れば焦るほど弾道は狂う。理屈では分かっていても、実際に心を平静に保つことは難しい。若左近は十郎太の射撃をじっと見ているのが息苦しくなってきた。
「ドン」
銃身とともに、十郎太の手が大きく揺れた。角は少しも動かなかった。
首をうなだれ、十郎太は意気消沈して戻って来た。
若左近は、十郎太を慰めたいと思ったが、十郎太の落胆した顔付きを見ると、言葉を掛けるのがためらわれた。
それに若左近にも余裕は無かった。次はもう自分の番だった。
居放しの姿勢で若左近は銃を構える。心臓の鼓動が自分でわかる。
銃身の揺れがなかなか止まらない。角が先の目当ての間からのぞいては、また見えなくなる。銃身が非常に重く感じられた。
《ままよ》
若左近は、思い切って、引き金を引いた。
轟音とともに白煙が噴き出す。反動で銃床が肩に激しく当たった。
しかし、指先に確かな手ごたえがあった。
「よし」
離れたところで小密茶が声を出した。
「おまえ、だいぶ迷っておったな。鉄砲に迷いは禁物。思い切りが大切じゃ。長い時間狙えば、当たるというものではない」
小密茶は強い口調で、みんなに聞こえるようにいった。
居放しで撃った一発目が当たったので、少しは気が楽になった。落ち着いて、弾を込め、伏せため放しの姿勢をとる。
今度は、銃身はそれほど揺れず、角をすぐに目当てにとらえることが出来た。思いきりよく引き金を引く。反動と同時に遠くの角が小さく揺れ、当たったことが分かった。
三発目は、立ち放しの姿勢で狙いをつけ、引き金を引いた。手ごたえがあり、これも星の真ん中に当たった。
結局、この日の射撃で三発とも星に当てたのは、若左近だけだった。一発か二発当てた行人が大半だったが、一発も当てられなかった者も十郎太のほか何人かはいた。
成真院へ帰る途中、十郎太は気落ちしていた。
「おれは、もう鉄砲組には残れぬ。いままで一緒にやってきたけれど、これからは別れ別れだな」
十郎太は淋しげにいった。
「まだ決まったわけではない」
そう慰めたものの、若左近には十郎太が銃組に留まれそうにないことはわかっていた。
◇
戌(いぬ)の刻(=午後八時ごろ)を知らせる鐘が、聞こえてくる。日が落ちて、聖天堂の中は、すっかり暗くなっていた。昼の間うるさいほど鳴きひしっていた蝉も今は鳴きやんでいる。蝉にかわって堂の前の浄土池の蛙が騒いでいる。
堂の外はまだ日没の残照が残って薄明るい。暗い堂の中からは、入り口近くにある仏像が影絵になって見える。
小間使いの稚児が、近ごろ流行っている小唄「隆達節」を口ずさみながら、堂の中に入ってきた。
稚児は部屋の中央の須弥壇の前で、手に持っている革袋の中から火打ち石と火打ち金を取り出した。
二、三度打ち合わせ、火口(ほくち)に移った小さな火種を吹くと、パチパチと音がして燃え出した。
付け木に火を移して、須弥壇の蝋燭を灯す。途端に部屋が明るくなり、須弥壇に祭られた、きらびやかな聖天尊像や祈祷の道具が姿を現した。
仏具を置いた朱塗りの根来塗りの壇にろうそくの光が映っている。
稚児は火打ち石を革袋に戻し、須弥壇の上を整理しようとして、驚いた様子を見せた。
須弥壇の横の畳に誰かが座っているのに気がついたのだ。それは、墨染の衣をまとい、座禅を組んだまま瞑想に耽っている一人の男だった。
稚児は小唄を歌うのをやめた。そして男に向ってお辞儀をすると、あわてて堂から出ていった。
池の方から吹いてくる風に蝋燭の炎が揺れている。天井に映った光の輪が揺れ動く。だが、男は目の前の一点を見詰めたまま、何やら考えにふけっている。
年は三十過ぎ。広い額に高い鼻梁を持ち、固く閉ざされた口元には意志の強さと沈着さが表れている。
背はそれほど高くはないが、体は頑丈で精悍(せいかん)な顔付きだ。兀僧(がっそう=総髪、後ろを長く伸ばした髪型)が風になびいている。
騒々しいかえるの声も、男の耳に入らないように、男は瞑想を続けている。かえるの鳴き声に交じって、蝋燭のジリジリと溶ける音が聞こえる。
遠くから廊下の板を踏みならす足音が近付いて来た。音はだんだん大きくなり、やがて足音の主が堂の入り口に顔を見せた。
「杉の坊殿、ここにおられたか。捜しておったのだ」
たくましい体にいかつい顔をした、杉の坊と同じ年頃の男である。
「誰かと思ったら、閼伽井坊殿か。ここは涼しいので、さっきから少し考え事をしておった」
杉の坊は座禅の姿勢を崩さずに答えた。
閼伽井坊は杉の坊の傍らの畳に腰を下ろした。
閼伽井坊は座ったまま話し始めた。
「近木(こぎ)庄の神前家より鉄砲を出してくれと言ってきた。あと、十丁ほしいといっている。おれの所にはいま余分がない。貴殿のところから出してもらうわけにはいかんだろうか」
閼伽井坊は申し訳なさそうにいった。
「十丁くらいなら何とかなろう。いささか型は古いが、予備があるはずだ。明日、早速手配しよう」
「有り難い。恩に着る」
閼伽井坊は、手を合わせた。
「最近、砦への岸和田からのいやがらせが増えている。数人で来て、銃を撃ちかける。どうやら砦の守りを調べているらしい。相手にするな、といっているが、本格的に攻撃された時に備えて、銃の準備はしておかねばならぬ。杉の坊殿に断られたら、どうしようかと案じていた」
「遠慮は無用」
杉の坊は、当然のことのようにいった。
「ところで、藤林伊賀は大坂から帰ったかな」
閼伽井坊は話を変えた。
「まだ帰らぬ。もうじき戻って来るとは思うが」
「本願寺の僧から聞いた話では、秀吉と織田(北畠)信雄の関係は最近、とみに険悪になってきているそうな。信雄は何度も浜松に徳川家康を尋ねて相談をしたらしい。近いうちに必ず争いになると、本願寺の僧はいうておった。大坂の様子を早く聞きたい」
足に寄ってきた蚊をたたきながら、閼伽井坊はいった。
閼伽井坊が帰りを気にしている藤林伊賀は、もと伊賀の忍びの一族だった。天正九年(一五八一)、信長の伊勢侵攻時に伊賀を捨て、根来に亡命した。いまは明算のところに身を寄せている。少し前から明算の頼みを受け、大坂城の工事の進行を偵察するため、高野聖に身をやつして浪速に潜入していた。
「秀吉が信雄の家老を味方にしたという噂も聞いている。相手側の身内に手を回して篭絡するのは秀吉のいつもの策だ。信雄も自分の身を危うく感じているのだろう。」
杉の坊は冷静に分析した。
「そういえば、杉の坊殿は秀吉を以前から知っているのだな」
「信長の雑賀攻めの時に会ったことがある。愛想がよく陽気に振舞っていたが、目端のきく、油断のならない男だった」
杉の坊はその時のことを思い出した。
それは六年前の天正五年(一五七七)正月のことだった。雑賀攻めに先立って、杉の坊明算と雑賀三緘(みからみ)衆が安土城で信長に会った際、秀吉も同席していた。当時、秀吉はまだ四十一歳で、信長の抱える多くの将官の一人に過ぎなかったが、その如才なさは、明算の記憶にはっきりと残っていた。
しわだらけの猿のような顔に笑顔を絶やさず、杉の坊のような初対面の相手にも心安くふるまった。
信長や目上の者を立てながら、己の意見も主張して、相手を納得させる。そのそつのなさと巧みな話し振りに、織田家の宿老、柴田勝家や丹羽長秀も飲まれているようだった。
その秀吉がいまや信長の後継者に成り上がろうとしている。
秀吉が大阪を拠点に天下をとれば、根来の将来に暗い影がさす。さきほどから明算が一人で考え込んでいたのも、そのことだった。
「信長に草履取りの身から引き立ててもらいながら、秀吉ほど恩知らずな男はいない。先には柴田勝家と信長の次男の信孝を生害(しょうがい=自殺)させ、今度はまた、家康と結んで敵対する三男の信雄を滅ぼそうとしている」
閼伽井坊は、憎々しげにいった。
「いまさら驚くにはあたらぬ。秀吉は狡猾な男だ。表向き、仏を敬い皇室を尊ぶが、本心では邪魔者は誰であれ滅ぼそうと思っている。恐ろしく計算の働く、油断のならない人間だ」
明算はあくまで冷静だった。
「秀吉の造っている大坂の城は、工事が進んでいる。あの城が出来れば、我々には重大な脅威となる。このまま手をこまぬいて見ていてよいものか。城が完成せぬうちに、当方から押し寄せて破却せよ、という行人衆の声もある。杉の坊殿はいかが思われる」
悩ましい表情で閼伽井坊が聞いた。
「秀吉が天下を取るためには、まだ関東、北陸、九州、四国を従えねばならぬ。そのためには、まず大坂城を完成させて畿内を固める必要があろう。秀吉が紀州攻略を狙っているのは間違いないが、いまこちらから攻めるのは早い。奴に攻撃の口実を与えることになる」
「城が出来てからではますます不利にならぬか」
閼伽井坊は焦っていた。
「秀吉の力は、かつての信長の比ではない。柴田を滅ぼして、いまや人心は奴になびいている。とても根来の力で対抗できる相手ではない。とはいえ、秀吉も名分がなくては事を構えられまい。いまは軽挙盲動せず、じっくり様子を見ることが肝心だ」