右近の苦悩 

 高山右近は高槻の城でフロイスと食卓を囲んでいた。
 テーブルの上には、ぶどう酒とパンが置かれている。質素な黒衣に身を包んだフロイスのかたわらには、日本での布教の初期から宣教師たちを助けた盲目の日本人ロレンソもいる。
 ロレンソは静かに、ゴアのインド政庁向けに出す日本人宣教師たちの書簡をポルトガル語に翻訳している。数えきれぬほどの日本人をキリシタンに改宗させたイエズス会の功労者も、いまは老いて耳も聞こえなくなっていた。
 元琵琶法師のロレンソ老人は、いまも時々琵琶を持ち出してきて爪びいた。琵琶の伴奏とともに歌われるのは、平家物語ではなく、賛美歌だった。哀愁を帯びたロレンソの声は聞いている者の心に沁みた。しかし、歌っているロレンソ自身には聞こえていないのだった。

「三っつにはオンターデ(欲望)とて、憎しみ、愛するにかたぶく精(こころ)これなり」
「もろもろのアンジョー(エンゼル=天使)、もろもろの善人たちを思え」
「善事とオラショ(祈り)に怠ることなかれ」
 城の中に作られたセミナリオ(学校)の中から、イルマン(修道士)に従ってキリシタンの教義と聖句を学ぶ若い信徒の声が聞こえてくる。
 若い信徒たちはみな、この周辺の武士の子弟である。若い彼らの頭脳は明晰で、ラテン語の難しい聖書の詩句も淀みなく、彼らの口から流れてくる。

「パードレ、あなたはどう思われますか。異教徒であれ、だれであれ、人を殺すことは罪ではないのでしょうか。とくに慈悲を尊ぶキリシタンにとっては人に死の苦痛を与えることは、自らにとっても苦痛であるはずです。それなのに、私は敬虔で慈悲深くあるべき信徒の身でありながら、これまで多くの人を殺してきました」

 若者達の唱える聖句に耳を傾けながら、右近は鵞鳥の羽根ペンを使って書き物をしていたフロイスに語りかける。
 フロイスはペンを置き、原稿から顔を上げて答えた。
「右近殿。あなたの悩みは、私にもよくわかります。あなたは柔らかい優しい心を持たれた方だ。確かにあなたが言われるように、イエスさまは『汝の敵を愛せ』と教えられた。戦での殺戮はこの教えに背いていると思われるのは当然です」

 フロイスは穏やかに話し続ける。
「私もかつては右近殿と同じように考えました。敵であっても人間。だれにとっても命は大切なものです。自分も殺されたくなければ、他人も同じ。人の命を奪うことは重大な罪であって、決して許されることではありません。しかし、一方で私達には神の教えを妨害する悪魔と戦い、主の言葉を全世界の人に広める責務がある。神の恩寵によって人間を救済する。この大きな目的のためには、心の痛みに耐え、おぞましい行為をしなければならないときもあります。その使命のためには心を鬼にして、悪魔を追い払い、布教しなければならないのです。いま私達キリシタンにとっては日本での布教が、神から命じられた大きな課題です。このためにはキリシタンに理解のある秀吉公を支える必要があるのです」
 フロイスは苦しそうに話した。

「そうかもしれません。しかし、切支丹でない人すべてを悪魔と決め付けていいものでしょうか。単にキリストの教えをまだ知らないだけではないのでしょうか。わたしにはそう簡単に敵味方や善悪を割り切ることはできません。そのうえ、我々に敵対する者が必ずしも神の敵、切支丹の敵であるとは限りません。秀吉公の命令で私が敵対した光秀殿など、むしろ切支丹に好意を持ち、南蛮の宣教師や切支丹の信者をかばっていました」
 右近の気持ちはフロイスもよくわかっていた。フロイスは気の毒そうに右近を見た。

 戦国の世に生まれた高山右近は、子供のころから常に戦を見聞きしてきた。元服の後は自らも戦に参加した。その中で多くの人が死ぬのを見た。死はまさに日常の出来事だった。

 幼いころから繊細だった右近は、争いを好まず、死を恐れた。いつ自分が殺されるかと思うと、夜も眠れなかった。人に無残に殺される位なら、いっそ自ら命を断とうと考えたことさえあった。

 しかし、自殺は許されることではなかった。武士の子が戦を恐れることは、百姓の子が田畑を嫌い、漁師の子が海を怖がるようなものである。
 そんな我がままは通るはずがなかった。武士として生まれてきたからには、どんなに殺生がいやでも、人を殺さねばならないのだ。
 誰にもいえない悩みを抱いて、少年時代の右近は憂鬱な毎日を送っていた。

 先祖の墓を守っている禅寺の住職に打ち明ける気には、とてもなれなかった。
 住職自身が元は侍であり、死を軽んじていた。法要の説教では、いつ来るかも知れない死に対して、決して驚かない心構えと、ふだんからの覚悟を説き、敗北に際しては従容として死を受け入れることを勧めた。

 死を恐れ卑怯な振る舞いをした侍を、住職は軽蔑した。そのような死に方をした者には、寺に墓を作ることを許さないといった。
 厳格な住職が少年右近の悩みに共感を示し、死への恐怖を和らげてくれるとはとても思えなかった。
 その右近の悩みを理解してくれたのが、日本人イルマンのロレンソだった。
 二十年以上前、右近の父、高山ダリオ飛騨守は、松永久秀の配下の武将として摂津高山の沢城を治めていた。

 一五六三年(永禄六年)、ロレンソは武士の結城山城守、学者の清原枝賢(しげかた)から、奈良で説教をするよう求められた。二人は以前、主人の松永弾正から、キリシタンが有害であることを証明するように命じられ、ロレンソに論争を挑んだが、逆に説得されキリシタンに改宗した経験があった。

 改宗した清原枝賢の影響を受けて、枝賢の娘の「いと」も入信した。洗礼名をマリアという。マリアは後に明智光秀の三女、玉に仕えた。マリアの影響で自らもキリシタンとなった玉は洗礼を受け、ガラシャと名乗った。玉は細川忠興に嫁いだが、関が原の戦いのときに、玉を人質に取ろうとした石田三成軍に捕らわれるのを拒んで自害した。

 奈良で宗教問答が行われたとき、たまたま同席した高山飛騨守は、ロレンソの説教に大いに感激した。
 ロレンソは、日本の仏教や神道が何らかの現世利益を保証して信者を集める行為は、本当の信仰ではないといった。

「神を試してはいけません。よいことも悪いこともすべては、神の思し召しです。災いもまた人間にとっては必要な試練です。現世での利益より大切なのは死後の天国と魂の平安です」
 ロレンソは信仰のために自らの命もささげた過去の殉教者の名前を挙げて、たたえた。これらの人には永遠の生命が与えられる。それに比べれば、現世の栄華など取るに足りない。そうロレンソはいった。

感動した飛騨守は沢城にロレンソを招いて、妻や当時十三歳だった息子右近とともに洗礼を受けた。

 飛騨守はダリオ、右近はジュストという洗礼名を受けた。それはちょうど、少年右近が死について悩んでいたときでもあった。

 ロレンソはダリオ飛騨守が沢城に建てた教会にしばしば説教に来た。
 ある日、教会の奥にある告解の小部屋で、若い右近は死に対する恐怖と、人を殺すことへの嫌悪を初めてロレンソに告白した。
 この部屋は悩みを打ち明ける者とそれを聞く神父以外にはだれも入れない密室になっており、信者は安心して告白できた。

 長年胸につかえてきた苦しみを一気に吐き出す右近の告白を、ロレンソは根気よく静かに聞いていた。
 長い告白を聞き終えた後、ロレンソは、だれもが人にいえない悩みを持っているといった。そして、すべては神のおぼしめしであり、神意に委ねることを勧めた。

 神の意志は不可思議神妙である。一見、人を苦しめるように見えて、それは人を高めるためである。人は苦しむことによって神と天国に近付く。天国には狭き門しかなく、苦しんだ者だけが通れる。
 ロレンソはそのようなことを話した。

 ロレンソは、天正六年(一五七八)の播磨三木城の戦で自決した別所長治の行為をたたえた。秀吉との戦いに力尽きた長治は、将兵の命を助けることを条件に、城の明け渡しに同意した。
 長治は「いまはただ 恨みもあらじ 諸人の命にかはる 我が身とおもへば」
の辞世を残して自害した。
「長治殿は自分の命を捨てて人のための犠牲になった。勇気は死を克服します」

 ロレンソから何か具体的に方策を授かったわけではなかったが、心のつかえを外へ押し出したことで、右近は不思議と晴れやかな気持ちになった。

 摂津の沢城はちょうど春の盛りだった。城の中から、石垣の内側に植えられた桜の木が見えた。大きな桜の枝からは白い花弁が風にあおられて盛んに飛んでいる。花弁は堀に落ちて、水面をすきまなく覆っている。

 右近は降りしきる花びらに、落城の際、城にこもった人々の命と引き換えに、従容として自刃した別所長治を重ね合わせた。
 彼も生きることに執着がなかったわけではない。死ぬことへの恐怖もあったはずだ。それでも彼は、家族や味方のために死を受け入れた。

 戦国の世では、殺さなければ殺される。殺すことは非道なことであることは分かってはいるが、家族や味方を守るためには、心を鬼にしなければならないこともある。
 その後の右近は、武士という職業を自分に課せられた十字架と考えるようになった。その苦しみを人々への救済に昇華することで、重荷から少しでも逃れようとした。
               ◇

 ロレンソは肥前出身で、もともと片目が全盲、もう一方の目も半盲の琵琶法師だった。
 天文二〇年(一五五一年)、来日して伝道していた宣教師フランシスコ・ザビエルを山口で偶然見かけた。身命の危きを恐れず、遠い土地から渡来し、神の道を伝えるザビエルの強固な意思にロレンソは深く感動し、直ちに受洗した。
 生業である平家物語の朗読によって培われたロレンソの巧みな日本語の表現力は、人々の心をつかみ、揺り動かした。ロレンソが行う通訳は、まだ日本語に慣れないザビエルにとって大きな助けとなった。ロレンソは優秀な通訳としてザビエルに常に付き従い、辻々での説教で人々に感銘を与えた。ザビエルの布教にかける使命感が、わかりやすいロレンソの日本語を通して人々の胸に染み入った。

 ザビエルの帰国後の永禄二年(一五五九年)、ロレンソは、ザビエルの後任のガスパル・ビレラとともに九州から上洛し、第十三代将軍足利義輝に面会した。
 ビレラの携えた南蛮の高価で珍奇な贈り物と、ロレンソの巧みな弁舌の効用で、彼らは義輝から布教の許可を得ることに成功した。その後、義輝は二条御所で、幕政の実権を握ろうとする松永弾正と三好三人衆の兵に襲われて殺された。新たな後ろ盾を求めたロレンソは、永禄一二年(一五六九)四月、ルイス・フロイスとともに織田信長に謁見し、京都での布教を許された。

 こうしてロレンソは、初期のキリシタン布教に大いに貢献した。右近にとってもロレンソは、感受性の強い少年期から強い精神的感化を受けた信仰上の恩人だった。

                ◇

 そのロレンソも今は老いて布教活動からは引退し、右近の世話になっていた。いまはフロイスを助け、ゴアから来るイエズス会の手紙などを日本語に翻訳する仕事をしている。
 告白から十年、青年武将となった右近は弱さを克服し、勇敢さで知られるようになっていた。
 人を殺す職業についていることへの悩みは癒えるどころか、いっそう深くなっていた。しかし、それだけ彼の貧しい領民への仁慈の心も厚くなった。

 戦乱は一向に収まらなかった。長らく京を逃れていた足利義昭を擁して信長が上洛し、一時は乱れた畿内を治め、天下を静めるかに見えたが、それもつかの間だった。信長は信頼していた明智光秀に裏切られて不慮の死を遂げ、世は再び乱れた。
 光秀を討った山崎の合戦で、右近は秀吉軍の先陣を任され、功績をあげた。以来、秀吉は右近を大いに信頼し重用した。その後切支丹に不信を抱くようになってからも、右近を重んじることは昔と少しも変わらなかった。

 この秀吉の信頼と重用は右近にとって信仰を広めるうえで力になったが、一方で大きな重荷となった。
 過酷な秀吉はしばしば右近に敵方の捕虜の徹底的な殺戮を命じた。女や子供も決して容赦しなかった。
 処刑にあたって、猜疑心の強い秀吉は自らの馬回りの者を右近のもとに探使(=検使役)として派遣し、監視させた。
 そもそも、徹底した捕虜の処刑は、秀吉が主君信長から引き継いだやり方だった。
 信長は、自分に背いた荒木村重の妻子供を家に押し込め、火をかけるよう命じた。秀吉も敵に対して容赦のない仕打ちは、信長に決して引けをとらなかった。後には邪魔になったおい秀次を自害させ、妻子を残酷に殺した。

 捕らえた一揆側の農民の首を残らずはねるよう、秀吉から命じられたときも、右近は監視に来ている秀吉の馬回りの目を盗み、主だったものだけを処刑した外は助命した。
 もし、それが秀吉に知れたら、右近自身の身も危うかったが、神にそむく無益な殺生はなるべく避けたかった。
 右近は信仰と命令の間に挟まれ悩んだ。

 残酷だった信長が明智光秀によって倒されたのは、右近には内心喜ばしいことだった。彼はむしろ秀吉に敗れた光秀の知性と教養に敬意を抱いていた。
 光秀は穏やかな知識人だった。軍学や兵法に長じていたばかりでなく、茶、和歌、連歌、能などにも深い理解を示した。
 細川忠興に嫁した光秀の娘の玉子が父の死後、切支丹に改宗した背景には、切支丹に同情的でさえあった父の影響もあったのかも知れない。

 光秀のような穏健な良識を持った人間は結局のところ、殺伐とした戦国の世とは相入れない。光秀は土民の竹槍に命を落とし、主君殺しの汚名を着せられた。しかし、それでも右近にとって光秀の謀反は理由のあるものだった。
 人には命より尊い価値観というものがある。

 信仰のためには命を落とすことも右近は覚悟していた。
 捕虜にした敵方の女を陵辱する足軽たちの行為を右近は自分の隊には許さなかった。獣のように忌まわしい、こうした所業を彼は憎んだ。

 静寂を愛する右近は茶の湯を好んだ。利休七哲の一人にも数えられた右近は、茶の湯においても潔癖だった。

 茶室の中はもちろん、路地の隅々を掃除し、植え込みの葉まで拭き清めた。
 ジョアン・ロドリゲスの「日本教会史」によれば、右近は静かな茶室に、十字架と宗教画を持ち込み、暗くなるまで長い間瞑想にふけったという。右近は茶室をミサに使うこともあった。

 のちに天正一五年(一五八七)、秀吉によって伴天連追放令が出されたあと、棄教しなかった右近は、秀吉の弟秀長によって畿内からの追放処分を受けた。
 右近は家族と少数の家臣を連れて、茶の友でもある前田利家の招きを受けて金沢に行った。金沢で、右近は一人の信者として布教に努めた。

 禁教令が出されたあと、イエズス会日本準管区長ガスパル・コエリヨは、密かに有馬晴信ら切支丹大名に秀吉への敵対を勧め、武器の提供を申し出た。
 このとき右近は、コエリヨに対して、目立つ行動は避けるよう忠告した。コエリヨは忠告を受け入れ、扇動を中止した。もし、このとき、右近が忠告せず、コエリヨの動きが秀吉に知られていたとしたら、西国の切支丹大名はみな滅ぼされたに違いない。

 今回の秀吉の命令も右近にとっては、神が与えた試練だった。
 秀吉はキリシタンには理解を示したが、それは決して信仰を重んじているのでは無い。キリシタンの背後にいるポルトガルやイスパニア、オランダの力を利用しようとしたに過ぎない。秀吉が右近を重んじたのは、第一に南蛮人と親しい右近を通じて、南蛮の武器を入手するためである。もし、右近が一人のキリシタン信者に過ぎなかったら、秀吉は右近を重用することはなかったことだろう。

              ◇

 右近はフロイスに対し、最近秀吉から受けた命令が心に重くのしかかっていることを打ち明けた。
「数日前に秀吉公からの使者が来られた。近日中に和泉表にある根来と雑賀の砦を攻める積もりでいるが、それに向けて、南蛮のガリオン船を使うことは出来ぬかとのお尋ねであった」
 右近は苦渋に満ちた表情でフロイスに話した。

「ガリオン船はいまルソンのマニラに回航しております。今度平戸に戻るのは、季節風の吹く来年の春になりましょう。それまでは無理でございます。それにしてもガリオン船を何に使われようというのですか」
 フロイスは不審そうにいった。

「恐らく、船の大砲を使いたいのだろう。秀吉公はオランダの商人から、ガリオン船に積まれた大砲の威力を聞かされた。根来の砦を砲撃しようという心積もりらしい」
「大砲の射程はおよそ1レグア(=約1里)あります。和泉の海上から発射すれば、浜辺の城なら射程距離に入るでしょう。しかし、山手の砦にはとても届きますまい」
「近くの砦を破壊するだけでも、敵にとっては大変な脅しとなる。だが、殺生を戒めるべき宣教師に、戦の助けを求めるのはいかがなものか。砦の中には、百姓たちの妻や子供たちも大勢いる。砲撃はこのような者たちをも巻き添えにする」

 フロイスは何も答えず、黙っている。
 人はなぜ争い、敵を殺すのか。フロイス自身にとっても戦は、未だに容易に説明のできない不条理な行為であった。だが、聖書の中で神は自ら殺戮を命じているのである。

「ゼルヤの子アビシヤイ、塩の谷にてエドム人一万八千を殺せり」
「ダビデ、スリアの兵車の人七千、歩兵四万を殺し、また軍旅の頭ショパクを殺せり」
「イスラエルの人々、一日にスリア人の歩兵十万人を殺しければ、そのほかの者はアペクに逃げて町に入りぬ。しかるにその石垣崩れて、その残れる二万七千人の上に倒れたり」

 旧約聖書の列王紀略や歴代志略には、イスラエルの王たちの血生臭い戦が詳しく描かれている。敵を殺すことは主のおぼしめしに従うことであり、聖なる義務なのである。
 いまも戦は絶えることがない。いやその規模はますます大きくなっている。弓や槍、刀では怪我で済んだものも、鉄砲では命を失う。まして大砲となれば、一度に何十人が殺される。
 いったい、主のおぼしめしとは何か。殺しあうことが神意なのか。そうだとすれば、神とは何と恐ろしい存在であろうか。
 フロイスは神の意思がわからなくなった。

 慈悲を旨とする仏もまた、現実には殺害を認めている。僧兵を抱える高野や根来は無論、農民漁民からなる一向宗徒もまた殺戮を恐れない。
 自らを法難から守るためには自衛の戦はやむを得ない。
 どの宗教も宗派も、そうやって自らの行為を正当化している。
 戦乱のヨーロッパから戦乱の日本に来たフロイスは、人間の罪深さに暗澹たる思いを抱いていた。

「ガリオン船を回航することが出来ないなら、南蛮の飛火矢を買い入れることはできないだろうかと上様は言われている。堺の商人はマカオに行って探しているらしい」
「飛火矢なら博多の商人が数多く買い入れています。わたしが手紙を書いてみましょう」
 フロイスは答えた。

 フロイスは思う。
 宣教師の自分が武器の斡旋をすることに抵抗はあるが、秀吉の命令にそむけば、布教を禁じられる恐れがある。そうなれば、ザビエル師が来日して以来、これまで苦労して獲得してきた多くのキリシタン信者を孤立させ、不幸に落とすことにもなりかねない。
 宗教としては人殺しに加担することは許されないことだが、現実にイエス様の教えを広めていくためには政治に妥協しなければならない。仮にイエズス会が協力せずとも、オランダやイギリスの新教徒たちが協力するだろう。

 信長に敵対した、かの一向衆徒でさえ、いまは秀吉に頭を垂れている。だれもが現世の利益を求める。もっともらしい口実はいくらでも考えられる。昔から戦争の口実はつねに「平和のため」だった。

 悪魔のような根来の行人たちと、その仲間がどれだけ殺されようと、我々には直接の関わりはない。これまで彼ら仏僧がイエズス会の活動をどれだけ妨害したことか。会の将来を守るためには、ここは秀吉に味方するのが最善の方法だろう。自らの信仰はどうしても守らねばならない。

 フロイスはこれまで自分がたどってきた苦難の道を振り返った。ここで道を誤れば、一切は水泡に帰してしまう。