鉄砲修行           

 寺の境内や周囲の山々から聞こえてくる蝉の声は、耳を聾(ろう)するばかりに騒がしい。昼になって暑くなれば、その声も衰え、けだるく単調になるのだが、いまはまだ空気も冷たく、蝉の声も生気にあふれている。

 今朝、土から出てきて脱皮したばかりの真新しい蝉の抜け殻が、あちこちの杉の木の幹にしがみついている。くもの巣についた朝露が、朝日を浴びてきらきらと光っている。
 谷を越えて吹いてくる風は涼気を帯び、枝に懸かったくもの巣や木の葉をかすかに揺らしながら、木々の間を通り抜けていく。

 根来の行人になって三カ月が過ぎ、若左近と十郎太もようやく新しい生活に慣れつつあった。

 若左近は行者堂のそばにある閼伽井(あかい=仏前に供える水を汲む井戸)から水を汲んでいた。
 石で囲った井戸の内側には、羊歯(しだ)が生い繁っている。
 長い綱をつけた木の桶を、深い井戸に落とすと、しばらくして水音が聞こえた。
 桶からあふれた水は冷たく、持つ手がしびれた。

 汲み上げた水を桶から銅(あかがね)で出来た大きな水瓶(すいびょう)に移し、両手で抱え持つ。
 水の冷たさが水瓶から薄い麻の僧衣を通して肌に伝わって来る。水瓶の表面がみるみる曇り、水滴となって衣を濡らした。

 大塔と大伝法堂を右手に見ながら、蓮花谷川に架かる小橋を渡り、成真院へと向かう。
 朝露に濡れた杉の林はひやりとして、爽やかな樹脂の香気が周囲に漂っている。もみじの青葉も日に日に濃くなっている。

 途中、杉林の中で、向こうから二人の行人が歩いてくるのが見えた。それは、鉄砲の訓練をともにする正知坊と一心坊の二人だった。

 正知坊と一心坊は、いずれも紀州那賀郡の小倉荘出身で、杉の坊に属している。正知坊は、すでに四十歳に近く、二十年前から根来で暮らしていた。
 長く根来にいるにもかかわらず、いまだに下積みの行人だったが、朗らかな性格だった。並んで歩いている一心坊は若左近と同じ年頃の静かな若者である。 

 二人は槍を持ち、大きな刀を腰に差している。黒い法衣の下に小袴をはき、足に脚半を巻いている。所用で寺の外に出て行く途中のようだった。
 正知坊は若左近に気が付くと、槍を持った右手を上げて合図した。

「水汲みか。朝早くからご苦労やのう」
 近付いてきた正知坊は、笑顔で話しかけてきた。
「ここへ来たばかりの頃に比べれば余程暖かくなりましたが、それでもまだ水は冷とうございます。重い水瓶を運ぶのは楽ではありませぬ。ところで、正知坊殿はいずこへ」
 水瓶を抱いたまま、若左近は正知坊に答えた。

 辺りは木が少ないせいか、蝉の声もあまり聞こえず、静かだった。遠くの山でウグイスが鳴いている。
「和泉の木島郷へ杉の坊殿の書状を届けに行く。大事の書状故、用心して行けといわれて二人で出ることになった。なにせ、このごろは世間が物騒やによって」
 正知坊は立ち止まって槍を立てた。

 正知坊のいうように、使者の仕事は最近、危うくなってきていた。
 先日も一人で西国の毛利の元へ使いに行った行人が、途中の和泉で何者かによって殺害された。秀吉方の中村一氏の手の者の仕業と思われた。

 殺された行人は、まだ若かった。行商人に身をやつして出発したのだが、どこかで見破られたのか、街道沿いの松の木の陰で倒れていた。背中を刀で切られていた。持っていたはずの密書がなくなっていた。岸和田に中村一氏が来てから、根来の使者が泉州路を通過するのは難しくなっていた。

 正知坊は手で盛んに額の汗を拭いている。早朝とはいえ、黒い法衣を着込んだ格好は、いかにも暑苦しそうだ。
「また、若い衆集めでございますか」
「書状の中身は知らんが、おおかた、そうやろう。明算殿はこのところ、毎日のように書状をあちこちへ出されている。考えてみれば、この一、二年で、いかに行人が増えたことか。根来の寺の中は若い衆であふれている。わしは時々、こんな急ごしらえの行人で本当に戦えるのかと心配になる。しかし、そうはいうても、根来を取り巻く事態はなかなか容易ではない。のんびり構えているわけにはいかぬ」

 正知坊が話し好きであることは、訓練の合間の雑談でよく知っている。若左近は水瓶を道端の草の上に下ろした。
 草の中からバッタが驚いて飛び出し、キチキチと羽根を鳴らしながら飛んでいった。

「秀吉が紀州を攻めるのは間近と聞く。早い内に、行人を集めねばならぬが、どうも質のよいのが集まらん。このごろでは、ならず者のような輩(やから)まで入ってくる。根来法師の名も汚れる一方やが、背に腹は代えられぬ」
 正知坊は、持っていた槍の柄で地面を突いた。

「秀吉が攻めて来るのは、確かでしょうか」
 若左近は噂について聞いてみた。
 正知坊のいうように、秀吉軍来襲の噂は、このところ根来の寺と町で盛んにささやかれている。しかし、それが事実なのか、ただの噂なのか、若左近には見当がつかなかった。

「ほんまやと思う。秀吉が紀州攻めの支度をするよう、近国の大名に命じたという話もある。大坂に住む秀吉には、難波に近い根来の存在が目障りなのであろう。慎重な秀吉の事ゆえ、今日明日ということはあるまいが、根来に攻め入る機会をうかがっているのは、まず間違いない」
「これまでの細川や三好などとは違うて、秀吉の軍ははるかに強力。よほど、こちらも腹を括(くく)って準備せねばならぬ。それにはまず和泉の備えを厳重にして、秀吉の軍勢につけ込むすきを与えぬことだ。和泉で持ちこたえられねば、根来まで攻め込まれ、信長に焼かれた叡山の二の舞にもなりかねぬ。各旗頭とも、そのことは重々承知されておられるであろうが」
 槍を杖にして、正知坊は話し続けた。

「平安のいにしえより世に恐れられた、かの叡山延暦寺の僧兵さえも、信長の攻撃で、やすやすと滅ぼされた。それほどに侍の力は強くなった。昔は戦に負けても退却し、後日の雪辱を期すことができたが、鉄砲が普及したいまは、再び立ち上がれないほどの打撃を受ける。秀吉を甘く見ては痛い目にあう。さりとて、根来には百姓の味方がある。百姓が我々を見捨てぬ限り、そう簡単に滅ぼされることはあるまい。そこが叡山とはちと違うところであろう」
 正知坊は不安をぬぐうかのように力をこめていった。

「さあ、そろそろ行こうかい。夕方までには木島郷に着かねばならぬ。若左近、おぬしも鉄砲の訓練があるのであろう。遅れるとまた、小密茶がやかましいぞ」

 正知坊が、自分から話を切り上げるのは珍しいことだ。やはり、用事が気になるらしい。
「一心坊、待たせて悪かった。さあ行こうか」
 二人がしゃべっている間、座って道のそばを流れる川の中の小魚の動きを見ていた一心坊に、正知坊は声をかけた。
「おう」
 一心坊は、やれやれといった表情で立ち上がった。

「おぬしらは、今日もまた角場で鉄砲の稽古じゃな。気の毒じゃが、わしらは久し振りに羽目を外させてもらう。公の用じゃによって、何をしようと、とがめらるることはない。帰りは橋本の町で久しぶりに般若湯でも飲もうかい」
 正知坊の本音に一心坊も若左近も苦笑した。

             ◇

 橋本の集落は、若左近も行ったことがある。熊野街道沿いの近木川(こぎがわ)べりに開けた五十戸ばかりの小さな村で、人々は百姓のほか、近くの山で採れる柘植(ツゲ)の木で作った櫛を売って暮らしの足しにしている。
 ここで作られる柘植の櫛は近木櫛と呼ばれて、きめの細かさと丈夫さで評判がよく、京や堺の遊里でも人気があるという。

 貝塚の橋本は根来の勢力圏である泉南の北端にあり、昔から根来衆と和泉守護との抗争の場となった。
 近木川沿いには根来の砦が多数築かれ、根来から派遣された代官のもとで、近在の百姓が番衆となって、交代で警備に詰めている。
 このところ、砦を守る行人や百姓の数も増やされ、集落の中には行人相手の飯屋も出来ていた。

 砦の一つの積善寺城は、若左近も知っていた。数年前、貝塚の親類のところへ行った時、そばを通ったことがあった。
 もともと橋本に住んでいた郡吉長者という名の金持ちの持仏観音堂だったのを、三好勢との抗争に備えて根来寺が砦に改造した。三重堀の大きな砦で、城戸(きど=城門)を槍と弓矢、火縄銃を持った数人の行人が固めていた。

 若左近は、立ち止まれば警固の行人にとがめられるように思い、その時は、すぐに立ち去った。外から見た限りでは、盛り土や堀で固められた砦はいかめしく、相当の軍勢の攻撃にも持ちこたえられるように見えた。

「では若左近、また帰ってきてから話そう」
 正知坊はそういうと、再び槍を担ぎ、一心坊とともに歩き出した。

 若左近も土の上に下ろしていた水瓶を両手に抱えて、その場を離れた。
 杉の林は再び密になり、木の上から蝉の声が降り注いできた。

                               ◇

 世の中は、若左近たちが根来へ来てから数カ月の間に、また大きく動いていた。
 秀吉の仏罰を祈った学侶たちの祈祷の効果は全く無かった。
 この年、天正十一年(一五八三)四月二十一日、秀吉は賎ケ岳の戦いで柴田勝家方の将、佐久間盛政を打ち破った。三日後の二十四日には宿敵、勝家を越前北の庄に追い詰め、滅ぼした。
 五月には勝家に味方した亡き主君信長の次男、神戸信孝を岐阜城に攻め、尾張内海で自害させた。勝家側についた滝川一益は、和を請うて秀吉に降参した。

 畿内を押さえた秀吉は、本願寺が退去した石山寺院跡に巨大な城を築くため、日夜三万人の人夫を使って、大規模な工事に取り掛かった。

 石山は元亀元年(一五七〇)から十一年間、本願寺と信長が死力を尽くして戦った土地である。
 淀川などの河川に囲まれた寺内町は天然の要害をなし、信長の包囲によく耐えた。しかし、海を甲鉄艦で押さえられ、本願寺の抵抗もついに力尽きた。天正八年(一五八〇)三月、顕如は朝廷の仲介で信長と和を結び、四月には石山の地を去って、紀州鷺の森に移った。
 顕如退去後も石山にとどまり、徹底抗戦の構えを見せた長子教如も、結局、持ちこたえられず、八月に退去した。堂宇は炎上し、三日間燃え続けた。

 本願寺跡は山崎の合戦の後、清洲会議で池田恒興の所領となった。だが、賎ケ岳の戦いに勝利をおさめた秀吉は、恒興にその地を譲らせ、いまそこに巨城を築いている。それは、石山合戦に加わった秀吉自身が、身をもって、その地の強固さを知ったためだった。
 秀吉はまた、信長の直轄地であった堺に手を伸ばし、会合衆(えごうしゅう=豪商)を取り込んで、堺を支配下に置いた。根来は南下する秀吉の脅威にさらされていた。

              ◇

 成真院に戻ると、賄いの十全坊と稚児が行人たちの朝飯の後片付けを終え、遅い朝食をとっているところだった。若左近は、正知坊と話しこんで、すっかり遅くなったことに気がついた。
 若左近は持仏堂に閼伽水を供えると、法衣を小袖に着替えて角場へ走った。若左近の鉄砲は十郎太が持ってくれているはずだった。

 日差しは強くなり、汗が噴き出してくる。息を切らせながら、若左近は角場に通じる坂道を駆け登った。野原を駆け抜けたとき、むせるような草の匂いがした。

 角場ではもう稽古が始まっていた。若左近は後ろから列に入ると、前の列にいた十郎太から自分の鉄砲を受け取った。銃にはすでに火縄がついてくすぶっている。小密茶の大声が耳に飛び込んできた。

「よいか。縄の火には十分に気を付けよ。行軍中でも、雨の中でも、火縄の火は絶対に消してはならぬ。雨が降ってきたら、革袋の中に入れよ。火縄が消えた鉄砲は、ただの棒にも劣ることを忘れるな」

 小密茶は、口から泡を飛ばしてしゃべっている。
 若左近が遅れて来たのにも気がついていない。行人たちは身を固くして、じっと聞いている。

 三カ月前、若左近と十郎太が根来へ来たときに出会った小密茶は、陽気で気のよい男だった。それは、ふだんの生活でも変わらなかった。
 しかし、いったん銃を握ると、小密茶の性格は一変し、容赦がなくなった。顔付きも恐ろしくなった。

「今から、一人ずつ撃たせる。南の坊、おまえからやれ」
 急に名前を呼ばれた南の坊は狼狽し、あわてて銃の弾込めを始めた。
 南の坊の指先が震えている。
 南の坊は、すでに四十を過ぎた老行人で、ふだんから動作が鈍く飲み込みが悪かった。

 鉄砲の弾込めは次のような手順で行われる。

 初めに火蓋を開ける。次に鉄砲の筒先から息を吹き込んで、火穴が通っているかどうか確かめる。火薬のかすが残って、火穴が詰まっていると、火皿の口薬(=発火薬)の火が銃の中の合薬(=火薬)に届かず、不発につながるからだ。
 次に腰の胴乱から早合(はやごう)をひとつ取り出し、蓋の紙を破って中に入っている火薬と弾を銃口に落とす。銃口から、かるか(=さく杖)と呼ばれる細い棒を差し込んで、弾を固く突き固める。

 早合は、火薬と弾を込める手間を省くため、あらかじめ一発ずつ、小さな竹の容器に詰めたものである。これが後に改良されて薬莢(やっきょう)になった。早合は胴乱の中に入れて携行する。

 弾と薬を先込めした後は、火蓋を開けて火皿の中に口薬(=火薬)を入れ、火針で口薬を火口の奥までよく突き込んで中の合薬につなぐ。そして最後に火蓋を閉じる。これで準備が完了する。

 慣れれば矢を継ぐよりも、よほど早く弾が込められる。しかし、若左近たちは、まだ不慣れで、小密茶に常に怒鳴られていた。

 南の坊は教えられた通りやっていたが、弾込めの途中で動きが止まってしまった。かるかを何度も何度も突き込んでいる。銃身の途中で弾が詰まってしまったようだ。
 皆から見つめられた南の坊は余計に焦り、かるかを押したり引いたりした。だが、弾はひっかかって動かない。きれいに剃ったばかりの南の坊主の頭から、汗が噴き出てきた。

「何をぐずぐずしている」
 小密茶が大股で南の坊に近付いた。南の坊は必死になって、かるかを突いている。
「そんなに闇雲に突いてもうまくいかぬ。どれ、俺に貸せ」
 小密茶は南の坊から銃を引ったくると、いったん抜いたかるかを筒先から突っ込んで強く突いた。何度か繰り返して、急にかるかが銃身の奥まで入った。弾が筒の中に落ちて納まった。

「よいか。撃った後の手入れが悪いと、火薬のかすが残って、いまのように弾が詰まる。戦場でこんなことになれば、たちまち敵に狙われよう。銃を撃ったあとは必ず銃を分解して、中を掃除しておくこと。ただし、その場合でも全員が一遍に分解することは、あいならぬ。不意に敵に襲われても、すぐに応戦できるよう、半数ずつ交替でやる」

 そういうと、小密茶は、手にしたかるかで、南の坊の肩を打った。南の坊の体が痙攣(けいれん)したように飛び上がった。
「敵に撃たれたならば、そのような痛みでは、とてもすまぬ。おまえ一人死ぬなら一向に構わぬが、一人減れば、それだけ他の者も危うくなる。この痛みを忘れるな。ではもう一度撃ってみよ」
 小密茶は、かるかで、角の方を指した。

 痛みと恥辱で顔を紅潮させた南の坊は、片ひざを立て、片ひざを土につけて銃を構え、角を狙った。先の目当(=照星)と元の目当(=照門)を、十五間先にある角に合わせ、同時に右手でゆっくり火蓋を開く。今度は、教えられた通りの操作だった。

 風はなく、火縄の煙が静かに真上へ上っていく。鳥の鳴き声も聞こえず、あたりは静かだった。
 揺れていた筒先がやがて止まった。南の坊は静かに引き鉄を落とした。
「ドーン」
 静寂を破り、轟音が辺りの山にこだました。
 その瞬間、撃った反動で南の坊の両手が大きくはね上がった。同時に筒先と火口から白い煙が噴き出した。
 皆が一斉に角の方を見た。角は微動もせずに立っていた。

「外れた。かすってもおらぬ」
 小密茶は冷ややかにいった。