応其と秀一

 秀一が高野に逃げ込んできたことは、まことに御仏の導きである。そう応其には思えた。
 ここで秀吉に恩を売れば、将来、根来や雑賀が攻められても、高野が巻き込まれることは無いだろう。根来にどのように恨まれようと、いまは秀一を庇うのが得策だ。

 根来からの追っ手が、高野に押しかけてくるのを応其は危惧した。
 応其は麓の村に行人を送り、防備を固めた。いざとなれば、根来との戦も辞さない構えだった。
 しかし、幸いにも根来の行人が押し寄せてくる気配はなかった。
 そもそも秀吉との戦が迫っている根来には、秀一を追跡し、高野と事を構える余裕などなかった。むしろ高野に援軍を頼まねばならない状況だった。

 朝になるのを待って、応其は秀一に面会した。
「長谷川殿、ご無事で何よりでした。根来の厳重な囲みを破って、ここまで落ちのびて来られたのは、御仏のご加護でありましょう」
 声をかけながら、応其は秀一の顔を見た。秀一の顔色は悪かった。
「まことにここまで逃げて来られたのは、幸運でした。かくまっていただいたことに深く御礼申し上げます」
 秀一は両手をついて礼をいった。

「長谷川殿が無事に高野に着かれたことを、すぐに大坂城に知らせましょう。根来の行人に襲われたことを聞けば、秀吉公は怒って、すぐにも根来に攻め寄せるかも知れませぬ。それについて念を押しておきたいことは、高野には上様に敵対する気は毛頭ないということです。高野は根来とは、同じ宗旨であっても、助けあう関係にはありませぬ。むしろ長年にわたって確執を続けてきた間柄。高野が根来に同心することはありえません。長谷川殿からも、その辺りは上様に十分ご説明くださいますようお願いいたします」
 寺を守るためには協力を惜しまないことを応其は力説した。
「秀吉様へのご加勢、まことにかたじけない。我らの命を救ってくださったうえ、味方に付いてくださるとのお申し出、私からも秀吉さまには十分伝えます」
 秀一は深く頭を下げた。

 応其は、根来を敵に回してでも、秀吉に味方することについて、すでに座主ら主だった僧たちの了承を取り付けていた。もともと高野の僧たちは、根来に対して敵意はもっていても、根来の苦境に同情し助ける気など毛頭ない。応其の提案はすんなり受け入れられた。
 むしろ、根来が秀吉を敵に回した今こそ、秀吉の力を借り、多年にわたる根来への宿意を晴らし、根来行人たちの専横をくじく千載一遇の好機である。
 応其も金剛峰寺の僧たちも、そう考えた。

 彼らの考えは秀一にもよくわかっていた。
 応其を初めとする高野の僧たちが、根来をいかに憎んでいるかは、その口ぶりから読み取れた。

 長年の不和の相手を恨み、相手の不幸を喜ぶのは根来も同じである。高野が信長に攻められたときも、根来は高野の災難を見てほくそ笑んでいたのではなかったか。近親憎悪に似た陰険な関係が、宗派の分裂以来ずっと続いている。この憎悪は、どちらかの寺が滅びるまで続くのだろう。

 平城、平安の昔から、興福寺と東大寺は南都での勢力を争い、山門(延暦寺)と寺門(三井寺)は鎮護国家の本山の座をめぐって、いがみあってきた。
 天文元年(1532)には、商人や職人を信者に持つ法華宗徒が、農漁民に支えられた一向宗の山科本願寺を焼き打ちした。拠点を焼かれた一向宗は大坂石山に移った。また、同じ一向宗の中でも、石山退去後は教如と弟の准如が宗門の主導権を争っている。

 日本仏教の歴史は宗派の対立の歴史でもある。その争いは、宗派の間が近いほど激しくなる。
 高野と根来もまた確執を続けてきた。根来は開祖覚鑁上人が金剛峰寺宗徒から受けた屈辱をいまだに恨み続けている。高野は高野で、分派の身でありながら本山の地位を脅かした根来を憎んでいる。
 柔和を説く仏の道も現世では、生き残りをかけた醜い闘争から逃れられない。

 これは南蛮人の信仰でも同じである。
 いま日本にいるキリシタンのパードレたちは、イスパニアとポルトガルのカトリック宗派に所属しているが、彼らもまた新教と称する分派との間で骨肉の争いをしている。そう、秀一は同輩の高山右近から聞いていた。

                ◇

「汝殺すなかれ」(出エジプト記20章)
 彼らの神はこう命じたという。だが、一方でこうもいっている。
「エホバを置きて他の神にいけにえを捧げるものをば殺すべし」(同22章)
「ある町、穏やかに汝に降ること肯(がえん)ぜずして(=降伏を認めず)汝と戦わんとせば、汝これを攻むべし。しかして汝の神これを汝の手に渡したまうに至らば、刃もてそのうちの男をことごとく撃ち殺すべし」(申命記20章)
「汝の神エホバの、汝に与えて産業となさしめたまうこの国々の町々においては、息するものを一人も生かしおくべからず。すなわちヘテ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人などは汝必ずこれを滅ぼし尽くして、汝の神エホバの汝に命じたまへる如くすべし」(同)

 要するに、自分の仲間に対しては殺すことを禁じているが、敵対するものに対しては徹底的に殺すことを命じている。仲間以外は人間ではないのだ。

 「この教えは人間が人間に対して狼であった大昔の掟を伝えているに過ぎない。今の時代に旧約の教えをそのまま信じてはならない」
そのように解釈する者もいる。
 確かに新約聖書では、イエスはこういっている。
「悪しきものに手向かうな。人もし汝の右のほおを打てば、左をも向けよ」(マタイによる福音書5章)
 ユダヤの教えとは違って、キリストの教えは慈悲に満ちている。敵をすべて撃ち殺せとは言わない。
 だが、現実にはそのイエスの信者にあっても、「殺すなかれ」の教えは少しも守られていない。同じエホバを信じる仲間でありながら、カトリックと新教徒は、絶え間無く争い、殺しあっているではないか。

 天文年間にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本へ来たのも、背景には宗派同士の勢力争いがあった。
 新教を支持するイギリス、オランダと、カトリック支持のポルトガル、スペインは植民地を増やすために、それぞれの宣教師を支援した。
 ポルトガルとスペインは、アジア各地の土侯への珍奇な贈り物をイエズス会の宣教師に持たせ、船も用意するなど様々な便宜を図った。

 二年前の天正十年(一五八二)、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の九州三大名が、遠くローマに向けて使節を派遣した。
 伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、原マルティノ、中浦ジュリアンの四人の少年たちは、三侯の名代として長崎を出発し、ヨーロッパを目指した。

 三侯にポルトガルへの使節派遣を提案したのは、長年日本に滞在し、教化に功績のあった東インド巡察師バリニャーノだった。彼は、帰任するに当たり、日本の少年を同行することを思いついた。

 自らもキリシタンであった三侯は、バリニャーノの提案が、自分たちの信仰心を満足させると同時に、貿易上の大きな利益をもたらすと考えた。
 三侯は使節をヨーロッパに派遣するための莫大な経費を負担した。自らの布教への功績を法王に認めてもらおうと目論むバリニャーノの計画は、こうして実現した。

 長崎出帆から二年半後に、4人の少年使節はインド、アフリカを経由してリスボンに到着し、ポルトガルの政府や国民から盛大な歓迎を受けた。
 ポルトガルの人々は、この遠来の幼い使節を見て、日本の国民すべてがいずれ、自分たちと同じカトリックに改宗すると信じた。彼らは、新教の国々を抑えて、日本を教化したことを喜んだ。
 いずれは、いまは若い生徒である日本もポルトガルの属国になるだろう。
 当時の人々はそう思っていた。

 アジアや新世界で、宗教は領土拡大の先兵の役割を果たした。
 後に秀吉がキリシタンに弾圧を加えたのも、キリスト教国の領土的野心を疑ったからにほかならない。
 なるほどパードレたちの布教への情熱は純粋だった。彼らは異国での苦しい生活や仏僧たちの迫害にも耐えて、貧しい人々のために尽くした。彼らは、慈悲にあふれ、柔和だった。しかし、結果として自らが所属する国家の世俗の権力の勢力拡張に手を貸すことになった。

 神の国に人々を導き、福音を広める目的のためには、地上の権力の力を借りることが不可欠だった。
 現実には宗派の勢力争い、地上の権力同士の相克が彼らを日本に送ったといっても間違いではない。

 秀一は昵懇(じっこん)にしている堺の商人から、彼ら南蛮人がルソンやインドでしたことを聞いていた。
 彼らは土侯に巧みに取り入り、最初はキリシタン信仰を広めることから始めて民衆を味方に付け、最後は土侯を倒して、国そのものを自分たちのものにした。
 彼らは貧しい民衆に食事をふるまい、学校を建ててイエスの教えを説くことで民衆の信頼を得た。こうして彼らは短期間に勢力を広げることに成功した。

 秀一には、高山右近の誠実さはよくわかっていた。彼が信仰のために自らを犠牲にすることもわかっている。だが、こういう熱情こそが日本を統治しようとしている者には危険なのだ。

《神の名を借りて自分の利益を図るのは南蛮人だけではない。日本人であっても神や仏の教えを持ち出す者のいうことは信用できぬ。いま秀吉公への忠誠を誓っている、この男にしても》
 秀一は、根来の行人を非難し、大坂方への忠誠を滑らかに語る応其の顔を見た。

 悟り澄ましたその顔の下には、世俗を利用して自分達の勢力を広げようという下心が隠されているように思えた。

 事ここに至っては、もはや根来を説き伏せ、降伏させることはできない。自分の説得は全くの徒労に終わったのだという無力感を秀一は感じていた。
 もう一歩のところで話し合いによる解決ができるかと思った時に、愚かな行人どもが台なしにしてしまった。
 物の分かる男と思った杉の坊明算への期待は完全に裏切られた。秀一は明算を恨まずにはいられなかった。
 いま応其と話していても、明算のことを思い出して胸が痛んだ。僧や行人への不信感が沸々と込み上げてきた。

「長谷川殿はお疲れのように見えます。根来が長谷川殿を襲撃したことは、秀吉様には伝えてあります。しばらく、高野に逗留され、体をいたわられるがよい」
 応其は口数の少ない秀一を慰労するようにいった。
「いや、そうもしておられないのです。一刻も早く大坂に向かい、秀吉公に直に報告しなければなりませぬ。事態は動いています。明朝出立いたしたいと思います。申し訳ありませぬが、ご手配いただきたい」
 秀一は焦っていた。

 今回のことは自分の手落ちであると思っていた。小人数で来たのが失敗だった。もう少し家臣を連れてくれば、根来の行人たちもあのように軽々しく、自分達を襲わなかったかも知れない。
 恐らく秀吉公は和平など期待していないだろう。今回の根来の強硬な態度を聞いて、もはや戦しかないと決断するに違いない。結局のところ、自分はただ、相手を攻める口実を作るための使いに過ぎなかったのだ。
 そうであれば、自分がそう深刻に考える必要はない。秀一は自らを納得させようとした。しかし、戦を回避できなかった敗北感は残った。

 杉の坊も戦を避けたがっていると思ったのに、なぜ行人を止められなかったのか。裏切られたとの思いが心の底に淀んでいた。
 今度杉の坊と会うのは戦場だろう。
 秀一は軍を率いて再び、根来に戻る自分の姿を思い浮かべた。

              ◇

 秀一は思う。
《この厳しい現世にあって、生き残るためには、争いに勝ち残らねばならない。土地は有限であり、つねに他人から狙われる。侵略者を退け、自分や家族の命を守るためには、武力が必要だ。しかし、初めは身を守るために武器を執った者も、やがて自分の意志を押し通すために武器を使うようになる。相手の意志を無視し、物理的に相手を抹殺しようとする。それぞれが自分に理があると主張する》

《今回の紀州攻略も秀吉公は、天下を静謐(せいひつ)にするための、やむを得ない力の行使と考えている。天子の意を受けて、世の中を平和にするために、万やむを得ず、力を行使するのだと思っている。しかし、秀吉公にとって平和を守るための武力は、根来にとっては自治と平和な知行を脅かすものだ。平和を作るといいながら、平和に暮らしている人々の生活を破壊する。一方が善と思っていることも、他方には悪となる。そして力を持ったものが、悪行の誘惑に陥りやすいことは、過去の帝王の例を見てもあきらかである》

《それもこれもおのれに慢心し、欲を出す故だ。一時は対立があっても時がたてば、大方は解決される。命を奪い合うほどの理由はない。根来にしても、知行が二万石にされたとしても、開祖覚鑁上人の受けられた苦難を思えば、どれほどのことがあろうか。僧たちが贅沢に慣れたが故に、知行の石高にこだわる。もともとは農民が汗水流して切り開いた土地ではないか》

《秀吉公が力づくで根来を屈服させようとするのは、いったん根来に譲歩すれば、他の武将たちに示しがつかないからだ。佐々も長曾我部も勝手なことを始めるに違いない。天下を治めるためには、いったん始めた戦は絶対に勝たねばならないと思っている》

《不相応な武力は身を滅ぼす。力をもって力に対抗しようとすれば、必ず衝突が起きる。武力はもはや身を守るものではない。他人を押し退け、己の利益を押し通すための邪悪な道具に過ぎなくなってしまう》
 いまや根来の行人は、彼ら自身の保身と存立のために、闘争を必要としている。行人たちが戦を生業とし、それによって生活し地位を得ている。今更、それを放棄することは、自殺をするに等しいことなのだ。

              ◇

「ああ、話しているうちに、いつの間にか時がたってしもうた。何か食べ物を用意いたしますれば、しばらくお待ちくだされ」
 応其は席を立った。
 秀一は座ったまま、周りを見回した。

 部屋の中は明かり採りから差し込む日の光で、ほのかに明るく、薄暗い寺の中の中でそこだけ浮き上がっているように見える。
 四方はふすまに囲まれている。 ふすまには、糸瓜(へちま)の花に群れる虫たちの絵が淡い色彩で書かれていた。
 初夏を迎えた農家の庭先に黄色い糸瓜の花が咲き、蜜を求めて蝶や蜂や蟻が集まっている。
 暑い夏の日差しを受けて葉が茂り、花が落ちたあとには、小さな実がついている。すでに大きくなった糸瓜もいくつか、ぶら下がっている。
 キリギリスがつるの先にとまっている。葉の陰では、鋭い鎌を持ったカマキリが、潜んでいる。
 花の周りを飛び交う蜂の、眠気を誘うような羽音が聞こえてくるようだ。

 もう一方のふすまには冬の川岸の情景が描かれている。
 雪の積もった朝、梅の木が川岸に枝を広げ、川の中ではひとつがいのおしどりが泳いでいる。川岸には水仙が黄色い花をつけ、春の訪れを告げている。
 梅の枝にとまった小鳥が、しきりにさえずっている。近づく春を喜んでいるように見える。
 夏と冬と対照的な情景を描いた、ふすま絵を見ているうちに、秀一は疲れが徐々に癒されるように思えた。

 やがて、喝食(かっしき)が食事を運んできた。
 根来を離れてから数日間、何も食べず、昨日も湯浸けを掻き込んだだけだった。目の前に広げられた膳の上には、精進料理の鉢が並び、食欲をそそる匂いを漂わせている。
 秀一は生き長らえていることを仏に感謝した。
 虫や鳥もその生を喜んでいる。死ぬことは悲しい。
 生きるだけなら、争う必要はない。自分が必要な以上の富を求めようとするから、争いが起きるのである。
 秀一はみその香りをかぎながら、暗澹とした気持ちになった。