秀一襲撃
 
 詮議が終わったあとも、まだざわめきがおさまらない大伝法院から、若左近は外へ出た。広場に横たわる臥竜の松の枝の間から星がまたたき、空気は冷たかった。
 すでに多くの行人や学侶が大伝法院を出て、それぞれの坊へ引き上げて行くところだった。
 若左近は一人怒っていた。戦を回避した大衆詮議の結論が、納得できなかった。

 冷静に情勢を分析する杉の坊の言葉には説得力があったが、武士に屈服することに、若左近は耐えられなかった。あくまで抗戦を主張する西蔵院や専識坊の意見にひかれた。
《このまま根来が屈服すれば、道誉殿の死は全くの無駄になる。昨年の岸和田の戦で死んだ大勢の行人たちの霊にも顔向けできぬ》
 若左近は血に染まった道誉の死に顔を思い出す。
 
 自重が決まった後も、秀吉への今後の対応をめぐって、行人や学侶の論議はまだ続いている。
 戦に最後までこだわる行人たちは、交渉継続の方針が決まったあと、憤然として席を立った。大伝法堂には学侶しか残っていなかった。
 学侶たちは、岩室坊に宿泊している長谷川秀一に届ける回答を練っている。

 気落ちした心を静めるため、若左近は堂を出て不動堂の方へと歩いていった。あちこちで、かがり火が焚かれ、行人たちが警護に立っている。秀吉の紀州発向の噂に、寺の警備は一段と厳重になっていた。

 暗闇の中で、かがり火が行人たちの顔を照らし出している。
 小声で話しているその顔はまだ幼い。彼らもまた、若左近らと同様に畿内各地にある根来の所領から駆り出されてきた若者である。
 
 夜の冷気に当たって、若左近の高ぶった気持ちは少しずつ収まってきた。
《おれたち行人に出来るのは戦しかない。戦を回避したとしても、あのようなわずかな所領では、学侶は養えても、我々行人まで食わせることはできない。そうなれば、また熊取へ帰って百姓をするしかない。自らは働かぬ武士たちに子々孫々使われるぐらいなら、戦場で死んだ方がましだ》
 若左近は他の者が矛を収めても、自分は最後まで抵抗しようと決心した。

 不動堂まで行ったところで、若左近は軽い疲労を感じ、成真院に戻ることにした。
 来た道を戻ると、闇の中でかがり火に照らし出された大塔が見えた。
 白い塔身がくっきりと闇に浮かび上がり、黒く沈んだ僧坊の甍(いらか)の上にそびえている。
 若左近はゆっくりと今来た道を歩き始めた。

「バーン」「バーン」
 突然、夜のしじま(=静寂)を破って数発の銃声が響いた。若左近は反射的に立ち止まり、腰をかがめた。

 銃声は大伝法堂の東側から聞こえたように思えた。
 秀吉の軍勢が伝法堂を攻撃している光景が、若左近の脳裏に浮かんだ。
「和議は我々を油断させる為の策略だったのか」
  若左近は目をひきつらせ、音のした方角に向けて駆け出した。

 走って行く途中、若左近は立ち止まって耳を澄ませた。しかし、鉄砲の音はもう聞こえなかった。

 左手の僧坊から右手に槍を持ち、左手に松明(たいまつ)を持った行人が飛び出してきた。行人は息を切らしながら先を走っていく。

 手に鉄砲や槍、弓を持った行人が何人も岩室坊の方へ駆けていく。
 岩室坊の僧坊の前に松明を持った行人が数人立っているのが見えた。
 ある者は鉄砲を構え、ある者は弓に矢をつがえて、緊張した顔付きで辺りを見回している。岩室坊に近寄ろうとした若左近たちは、そこで鉄砲を持った数人の行人に制止された。

「何があった」
 止めた行人の一人に、若左近と一緒に走ってきた行人が、荒い息で聞いた。
「西蔵院の手の者が、岩室坊に泊まっていた長谷川秀一の一行に鉄砲を撃ちかけた」
 鉄砲を持った行人が、ぶっきらぼうに答えた。
「なにゆえ」
「まだ、わからぬ」
「長谷川秀一はどうした」
「秀一らは山へ逃れた。いま、手分けして探しているところだ。使者の何人かは死んだ」
「愚かなことをしよって。西蔵院が命じたのか」
「分からぬ。襲った連中は今、取り押さえて一室に閉じ込めてある。話を聞くのは後だ」
「おぬしらはどこの者か。なにゆえ、ここにいる」
「我々は岩室坊の者である。勢誉殿の命令で使者を警護していたところに、西蔵院の奴らが裏山から鉄砲を撃ち掛けてきた。応戦したが、二人が撃たれて死んだ。こちらも二人は撃ち殺した」

《なんと無謀な》
 若左近は、西蔵院の配下の者たちの思慮のなさに驚いた。

「西蔵院の愚か者めが。使者を撃ち殺して何の得がある。秀吉に根来攻めの口実を与えるだけではないか。根来には時間が必要というのに、自分からそれを縮めるとは、何という愚かしい行いか」
 若左近と一緒に走ってきた行人の一人は怒り狂っていた。

 若左近は詮議の席で、激怒していた西蔵院の姿を思い出した。恐らく、西蔵院配下の行人たちは、大衆詮議の決定のすぐ後に大伝法院を飛び出して、岩室坊の長谷川秀一を襲ったのだろう。
 
 やがて、ガチャガチャと鎧の触れ合う音がして、大伝法院の方から甲冑(かっちゅう)に身を固めた大勢の行人たちがやってきた。その中には杉の坊、専識坊、閼伽井坊ら行人頭のほか、西蔵院の姿もあった。

 護衛の行人から、いきさつを聞くと、専識坊は怒って西蔵院を責めたてた。
「西蔵院、なんという事をしてくれた。談判中の相手を撃ち殺してどうする。これでは相手に戦の名分をやるようなものだ」
 専識坊は大声で罵った。
「なんとも早まった事をしてくれた。しかも、味方まで巻き添えにするとは」
 配下の行人二人を殺された岩室坊も激怒していた。

「弁解する訳ではないが、このことはおれも全く知らなんだ。配下の者たちがおれの意を汲んだつもりで襲ったのだろう」
 西蔵院は弁解した。

「秀一は怪我をしているかもしれぬ。このまま、秀長の所へ帰すのはまずい。捜し出し、和解受け入れという、われわれの詮議の結果を伝えて交渉を続けよう」
 明算は冷静だった。
 岩室坊、閼伽井坊も和平交渉を続けるという明算の意見に同調した。西蔵院はうなだれて聞いている。

 すぐに行人たちが山に分け入り、捜索が行われた。だが、秀一と従者たちの姿はどこにも見当たらなかった。

 秀一が泊まっていた僧坊には、秀一が着ていた素襖(すおう)がきちんと枕元に折り畳まれたまま、置いてあった。
 夜襲に驚き、下帯だけの姿で逃げたと察せられた。恐らく山伝いに大和方面に逃げ、郡山の秀長の元へと向かったのだろう。

 秀一が秀長に会えば、根来の仕打ちを報告し、紀州への発向を促すことだろう。もはや、一刻の猶予もない。早急に戦の準備もしなければならない。

 明算たちは大伝法院に戻り、主立ったものたちで朝まで軍議を続けた。詮議では慎重論を唱えていた者も、事ここに及んでは戦う決心を固めざるを得なかった。

 西蔵院配下の行人たちの早計な行為は、結果的に根来に戦を促すことになった。交渉の機会が奪われたことは、悔いても悔い足りない痛恨事だった。

                ◇

 根来から雑賀、太田、粉河、熊野などへ援軍を求める早馬がだされた。徳川家康、長曾我部元親、佐々成政らの諸大名にも密書が送られた。
 覚鑁上人以来、確執を続けて来た高野にまで同心を求める使者が出された。もはや、意地を張っている余裕は無かった。恥も外聞もなく、助けを求めるしか手段はなかった。

 秀吉がまず攻め込んで来ると思われる泉州表では、それまであった積善寺、千石堀、畠中、沢、高井などの城を補強した。さらに近木、橋本、岸、阿曾、信達、山中、高津など和泉から根来へ至る街道の要所に新たに砦が築かれることになった。

 老いた学侶の中には、早くも寺を捨てて逃れる用意をする者もいた。彼らは経巻や寺宝、寺に伝わる古文書を荷造りし始めた。

 行人たちは、寺を見限る学侶に腹を立てたが、若左近は冷静だった。
《見捨てるものは見捨てればよい。ほかの者がどうしようと、おれたちは、ただ戦えばよいのだ》
 もともと戦うつもりだった若左近の腹は据わっていた。