多くの者が当惑している中で、秀長の提案に希望を抱いた者もいた。
《ひょっとして戦は避けられるかも知れぬ》
淡い期待が、かねて戦に消極的な学侶たちの表情に表れていた。
《秀吉は必ずしも根来を滅ぼそうと思っていないのかも知れぬ。秀吉も本心ではこちらを恐れているのではないか》
そのように彼らは解釈した。
もはや大阪方との戦は避けられない。そう思っていたところへ、急に交渉の道筋が目の前に開けた。先の見えない夜の森で道に迷った時、木の間から、かすかな人家の明かりが見えたような思いだった。
《本来、寺を守るための衛兵に過ぎなかった行人が、世俗の争いに便乗して寺での発言力を強めてきた。聖なるものを守るための楯が、いつのまにか世俗の利権を得るための矛(ほこ)に姿を変えた。寺は土地の支配を巡って諸大名と争っている。これはもはや護法のための戦いではない。大名たちと同様に己の利益のために争っているにすぎぬ》
学侶たちはそのように考えていた。しかし、学侶の定尋が論争に敗れ、追われるように山を去って以来、表立って戦に反対するものはいなかった。
声の大きな主戦論者の行人が「秀吉など恐るるに足りぬ」と力んで主張した。戦に懐疑的な者も、臆病者よばわりされるのを恐れ、反対しなくなった。
そこには、反対意見を戦わせることによる十分な検討と、その結果得られる妥当な判断はない。
かつて根来衆が誇り、それが強さの源泉でもあった大衆詮議による合意と協力は姿を消し、少数者の根拠のない楽観論と大言壮語が幅をきかすようになった。
秀吉方の弱い部分だけが誇張して伝えられた。
例えば、長久手の陣での秀吉のおい、秀次の惨めな敗北ぶりが好んで語られた。
秀次が率いる別働隊は家康の本拠地三河を指して行軍の途中、追ってきた家康方の大須賀・榊原軍に不意を突かれて総崩れとなった。秀次も自らの馬を失って、あやうく討ち死にするところだった。
通り掛かった可児才蔵に馬を貸してくれるよう頼んだが、自らも逃げるのに必死だった才蔵は「戦場での馬は雨の日の傘と同じ。人に貸すことはできない」といってすげなく断った。
逃げ遅れた秀次は死を覚悟し、自決の場所を求めた。
そこへ、後見人として秀吉から付けられていた木下利匡(としただ)が駆け付け、自らの馬を秀次に譲った。馬を得た秀次は辛くも脱出できたが、敵中に残された利匡と兄の木下助左衛門利直は討死にした。
秀吉は長久手の戦のあと、厳しく秀次を叱責した。あれだけ、寄り道をせず、三河へ急ぐように命じたにもかかわらず、どうでもよい小さな城攻めに時間を空費し、家康軍に追い付かれたことを糾弾した。
細部にこだわって大局を見失ったことは、後見役の池田勝入や森長可の判断の誤りとはいえ、大将である秀次も責任を免れることはできない。とくに秀吉自身がつけてやった木下兄弟を死なせたことは、秀吉を激高させた。
秀吉は声を荒げ、武将たちが見守る前で秀次を罵った。
秀次はただただ平伏して、秀吉の怒りが鎮まるのを待つしかなかった。秀次は、まだ十七歳だった。
やがて時がたつにつれ、秀吉の怒りも徐々に薄れた。今回の根来征討では、秀次に再び軍の指揮が任された。
秀次にとっては、汚名を晴らすために与えられた最後の機会である。功名を上げるため、死に物狂いで攻める覚悟を秀次は固めていた。
秀次の悲壮な決意を知らず、根来の行人は秀次を甘く見ていた。
「家来の馬を奪ったうえ、家臣を見捨てて自分だけ逃げる卑怯な男など、恐るるに足りぬ」
嘲りと哄笑が行人たちの不安を和らげた。人数、鉄砲の数では劣っていても、自分たちには武勇がある。精神論が今や行人たちの最後の拠り所だった。
行人には鉄砲への過信もあった。
「畿内で最初に鉄砲の威力に目をつけ、導入したのは我々根来衆である。鉄砲の扱い方において我らに優るものはない」
思い込みに似た自信を行人たちは抱いていた。
確かに根来の鉄砲導入には先見の明があった。根来寺が領地を広げ、また根来の力がこれほどまでに諸大名に恐れられたのは、ひとえに鉄砲の力があったからだ。
しかし、その鉄砲は今やどの武将も取り入れ、根来の優位は失われている。信長や秀吉は、その財力で近江の国友の鉄砲鍛冶集団を独占し、今は根来寺よりはるかに多くの鉄砲を備えている。
根来の行人衆一人ひとりの射撃の技術は確かに優れている。しかし、鉄砲の強みはその数である。一発必中の狙撃手も、筒先をそろえての一斉射撃には、かなわない。
それなのに、行人たちはいまだに自分達だけが鉄砲を自由に操作できるように思っている。過去の栄光に目が曇って、彼我の戦力の差、鉄砲の数を正確に見極めようとしない。
行人たちの過信と、そこから来る楽観論を、学侶たち、とくに他の寺で修行をしてきた客僧の学侶は批判的に見ていた。
彼らの中には、各地の戦を見聞きして秀吉軍の実力を知っている者も少なくない。彼らの目には、秀吉軍を過少評価する根来生え抜きの行人たちが、井の中のかわずに見えた。
《根来の行人たちは長らく敗れたことがなかったため、自分達の力を正しく評価することが出来なくなっている。破竹の秀吉を甘くみるのは愚かなことだ》
そう思いながらも、あえて詮議で主張する学侶はいなかった。
大衆詮議では何を発言しても自由であり、責任はとらされない。それは根来に限らず、どこの寺でも昔からの不文律である。比叡山の大衆詮議では、だれが発言したのかわからぬように、全員が覆面をし、袖で口を押さえて意見をいった。
しかし、寺の繁栄に大きく貢献し、現実に寺を牛耳っている行人を公の場で批判することは、ためらわれた。
いまや座主でさえ、旗頭たちには遠慮している。まして一介の学侶が行人に批判がましいことを言えば、仕返しを受け、寺にはいられなくなるかもしれない。
寺の威勢が高まり、地侍が競って土地を寄進する。また諸大名が先祖や親の墓を建てて、その供養料を寺に納める。こうした寺に対する尊崇は、決して寺の格式や学侶の学識によるものでないことは、学侶たちにもよくわかっていた。
人々は単に寺の勢力を頼りにしているだけなのだ。そしてその力は、僧兵たちの鉄砲の筒先から生まれる。
定尋のように、もっとはっきり物をいう勇気が学侶たちにあれば、行人たちも自らの狭量さに気付いたかも知れなかった。だが、だれもが己の身の安泰を考えて、あえて批判しなかった。
秀長からの文面に行人たちはみな憤激していた。だが、その行人たちにとっても「所領を保障する」という言葉の真意は気になった。秀吉が威圧的な服従要求を出す一方で、和平を暗示する言い回しをしているのが、なかなか理解できなかった。
いったい秀吉は本心では何を考えているのか。いかほどの知行なら、折り合いがつけられのか。憤激する一方、行人たちも心の中では、ひそかに損得を計算していた。
血を流さずに解決を図りたいという言葉をまともに受け取ってよいものか。所領の保証とは、どのくらいの石高を意味するのか。五十万石か、それとも四十万石か。
二十万石もの石高を放棄することは根来には大きな打撃だが、それによって戦を避けられるのなら、ここは学侶たちの言うように、涙を飲んで妥協を考えたほうが得策なのかもしれぬ。
しかし、譲歩はそこまでである。二十万石まで知行を減らされれば、多くの学侶や行人が寺を捨てねばならぬ。それは学侶、行人のどちらにとっても承服しがたいことだった。
秀吉という男は決して一筋縄ではいかない。高圧的に出たかと思うと、急に妥協案を示したりする。
何事も力で、自分の思い通りにさせた信長とは異なり、相手の言い分も聞く姿勢を見せるが、それは相手を尊重するというのではない。兵糧攻め、水攻めと同じように、あくまで自分の側の犠牲をなるべく少なくしようとしているに過ぎない。油断して心を許せば、いつか寝首をかかれる。
そんな複雑な気持ちを根来の大衆は、秀吉に対し抱いていた。その男が、今回もまた微妙な提案をしてきたのは、計略ではないか。
行人たちは、秀長とその背後にいる秀吉の真意を図りかねていた。
◇
「では一体、秀吉はどれだけの所領を認めるというのか」
学侶の一人が大きな声で聞いた。
「尤も、尤も」という声があちこちで漏れた。
だれもが知りたがっていたのは、その数字だった。
大衆は閼伽井坊が答えるのを待った。
閼伽井坊は困惑した表情で、そのまま黙っていたが、やがて静かに答えた。
「二万石は認めるといっている」
閼伽井坊の言葉を聞いて、堂内は一瞬静まり返り、すぐに憤激の声が沸き起こった。ざわめきは波のように堂内から堂の外へと広がっていった。
なんとわずかな石高か。学侶も行人もあっけにとられていた。
とても譲れぬ大きな譲歩と思っていた二十万石に比べて、あまりにも貧弱な数字だった。
学侶と行人は声を失った。
「二万石とは、あまりに微々たる石高。根来を虚仮(こけ)にする気か」
座の真ん中で大声がした。
「そのような馬鹿げた提案を受け入れるわけにはいかぬ。突き返せ」
満座の大衆は声のした方を一斉に見た。それまで目を閉じていた明算も目を開けた。
声を出したのは強硬派の西蔵院だった。
「二万石など、まぐさ料にもならぬ。根来寺を侮るのか」
西蔵院は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「満山の大衆に訴え申す。そもそも我が根来寺は、覚鑁上人が入滅された康治の昔より今にいたるまで、四百四十年の間、国守守護は無論、七十六代の御宇より百七代の御代まで三十二代の聖主賢王でさえも四至境界の内を塩梅(あんばい)されなかった。それを何ぞ。秀長ごときが我が寺の知行に口を出す。身の程を知らぬにも程がある」
「尤も、尤も」
「その儀、謂(いい=道理)あり」
堂の内外から西蔵院に同調する声が聞こえた。
「一体、秀長とは何者か。このごろ、成り上がって、世をあれこれ沙汰する秀吉の弟と聞く。もとは尾張の百姓あがりの成り出し者が、国守面をしていうことなど、やすやすと聞けようか。根来は朝廷、幕府より独立自尊を保証されてきた。使者には、こういうがよい。『大坂へ帰って秀吉に伝えよ。根来の領地が欲しくば、口先で無く矛先で取れと』」
西蔵院の舌鋒は鋭かった。
「尤も、尤も。その儀謂あり」
同調の声がふたたび堂内のあちこちで上がった。
西蔵院は自らの言葉に興奮したように、憤然として腰を下ろした。
大衆は閼伽井坊の方を見た。
座っていた閼伽井坊が再び立ち上がった。顔が紅潮しているのが周りから見て取れた。
「行人衆、学侶方、よくお聞ききあれ。御身らが怒る気持ちはそれがしにもよく分かる。だが、怒っては冷静な論議ができぬ。ここは損得をじっくりと考えるべきであろう」
閼伽井坊は大衆を見渡しながら、なだめるように言った。
誰もものを言わなかった。冷たい沈黙が続いた。大衆は閼伽井坊の融和的な態度に明らかに失望していた。
「使者は『二万石で不足なら是非もない。一戦交えるまで』と言っている。しかし、まだ交渉の余地はある。石高がこれ以上増えぬとはいえぬ。いま仮に、この条件を拒むなら、交渉は破れ、使者は即座に秀長のもとに戻るだろう。そうなれば、直ちに戦になる」
閼伽井坊の声は静かに堂内に響いた。
「根来寺は我々だけのものではない。門前には大勢の人々が暮らし、戦の予感におののいている。また領地では百姓たちが、戦乱に巻き込まれ、稲を青田刈りされることを心配している。ここで条件をはねつけたとして、今後の展望が開けるわけではない。提案を飲まねば、戦闘は避けられぬ。しかし、提案を飲めば、少なくとも人々の命は保証される。屈辱的ではあるが、ここは隠忍自重して相手方の提示した案をひとまず呑むべきではないか。この際、十分慎重に考え、くれぐれも軽挙妄動することのないよう願いたい」
閼伽井坊は、肩をいからせている西蔵院をなだめるように、穏やかにいった。
「軽挙妄動とは何ぞ。考えるまでもない。そもそも、わずか二万石で根来寺を保てようか。ここに暮らす大衆の食う米だけでも、月に五千石や一万石は費やされる。それをたった二万石とは」
西蔵院は座ったまま、ふてくされたようにいった。
「命を失うよりはよかろう」
誰かがいった。
冷ややかな覚めた声に、西蔵院は声の方を見た。それは四人の旗頭の一人である岩室坊勢誉だった。
「西蔵院は威勢のよいことをいうが、秀吉の実力をあなどってはならぬ。昨年の岸和田の戦いでも、城を包囲しながら敵を甘く見たばかりに思わぬ不覚をとった。家康と秀吉が和議を結んだ今は、秀吉に刃向かうのは紀州勢と四国の長曾我部、北陸の佐々ぐらいしかない。ここはよほど慎重にことを運ぶべきである。閼伽井坊がいわれるように、下手をすれば、寺そのものを滅ぼすことにもなりかねぬ」
長老の勢誉の言葉に、怒っていた行人たちも黙ってしまった。
◇
岩室坊は紀州那賀郡田中庄の土豪田中家の持ち分で、代々、田中家の次男が院主を務めている。
勢誉は、行人頭の最年長であり、穏健な考えの持ち主だった。今回の和議申し入れの使者に対しても勢誉は理解を示し、自分の僧坊を長谷川秀一に提供していた。
荒ぶる行人の中には、穏便な勢誉に不満をもつ者も少なくなかった。だが、何といっても根来の有力な旗頭であり、歴戦の古老の意見には重みがあった。
「勢誉殿の言われるとおり。おのれの武力を過信してはならぬ」
それまで黙っていた能化の一人智積院玄宥が口を開いた。学問一筋の玄宥が寺の采配について、意見を言うのは極めて珍しいことだった。
「祇園精舎の鐘の声、沙羅双樹の花の色のたとえ通り、奢れる者もいつかは滅びる。我が寺はこれまで高野の迫害や和泉守護の横暴にも耐え、独立を守ってきた。だが、これがいつまでも続くとはいえぬ。いにしえからの武力を誇り帝も恐れた叡山延暦寺の山法師でさえ、信長に襲われ滅亡した」
「力のあるものが、やがては衰えるのは世の習い。それは秀吉も同じである。権力者もいつまでも生きているわけではない。勢威を持てるのは永遠ではない。砲術以上に辛抱もまた重要な戦術。時には耐える事も必要であろう」
柔和な笑みを浮かべながら、諭すように語る玄宥を、西蔵院は不満そうに見ている。
西蔵院は反論しなかった。
弁のたつ玄宥に反論しても、言い返されることはよくわかっていたからだ。
「それでは、玄宥能化は秀吉に根来が頭を下げよ、といわれるのか」
西蔵院が黙っているのを見て、行人頭の中で最も若い専識坊が異義を唱えた。
専識坊は雑賀の土豪土橋家持ちであり、雑賀衆とは血縁関係で結ばれている。行人頭の中では、常に戦闘的で強硬な意見を主張した。
「貝塚の顕如や教如と同じように、秀吉に擦り寄れというのか」
専識坊は強い調子でいった。
「一時的に妥協するだけである。秀吉とて生身の体を持つ普通の人間。今は飛ぶ鳥を落とす勢いであろうと、いつかは死ぬ時がくる。その時に再び寺の勢いを盛り返せばよい。血気にはやって展望のない戦をし、元も子も無くしてしまってはつまらぬ」
玄宥能化は冷ややかに答えた。
「玄宥殿はそういわれるが、いったん知行を渡してしまえば、もう二度と知行が根来に戻ってくることはあるまい。信長が死んで秀吉がのし上がって来たように、秀吉が滅んでも、また誰かが後を継ぐ。いま我らが持っている土地は、我らの先祖が血と汗を流して勝ち得た貴い命の代償である。いま我らが勇気を失い、戦わずして敵に屈服すれば、どこの誰とも知らぬ成り上がり者に土地を奪われ、我らや我らの子孫は牛や馬のようにこき使われよう」
専識坊はまくしたてた。西蔵院もうなずいている。
「だからといって自暴自棄になり、むざむざと死んでよいのか。寺を守るつもりで寺を滅ぼす。自衛のための戦のはずが、寺を破滅させてしまうのは浅はかじゃ」
玄宥能化は穏やかに、しかし厳しくいった。
「浅はかとは何事か。勝負は時の運。戦はやって見なければ分からぬ。かの桶狭間の戦でも、絶対に優勢であった今川方が、非力な信長勢に敗れた。初めから負けを恐れていては戦はできぬ。二万石の所領では根来は生きていけぬ。のたれ死ぬしか道は残っていない。ここは、一か八かやってみるしかない」
専識坊はなお食い下がる。
「何度も言うように勝算のない戦は無益じゃ。御身は寺を滅ぼすつもりか」
「ここで唯々諾々と秀吉に従い、何も抵抗しないのならば、間違いなく寺は滅びる」
玄宥と専識坊の論争は、決着がつくとは思えなかった。
若左近は杉の坊の方をみた。杉の坊明算は腕を組んだまま、目を閉じていた。