孝高が廊下を通って、大手門の方に行こうとしたとき、庭を隔てた能舞台から、急に能管の鋭い響きが聞こえた。同時にそれまでのどかな拍子で聞こえていた太鼓と小鼓が一転して急調子に変わった。
笛の音から演目は、「熊坂」と分かった。孝高もまた能を好み、大方の曲は知っていた。
おそらく、舞台では中入りのあと、草の中で眠っていた旅の僧の夢を破って、揚げ幕から再び後シテが姿を現したのだろう。夜の闇を切り裂くような笛の音は舞台の緊迫した展開を伝えている。
鼓の掛け声が激しくなった。祈祷の場面などに使われるノット(祝詞=のりと)と呼ばれる慌ただしい調子は、後シテが急きこんで、恨みを晴らしに橋懸かりを急いでくる道行きに似つかわしい。
旅の義経を襲って逆に切り殺された盗賊、熊坂長範を題材にした、この能は、盗賊の暗い生い立ちと金への欲望、惨めな死を描いた曲で、孝高も以前、何度か見たことがあった。
大長刀を振り回して切りつけるが、身軽な義経にすばやくかわされ、逆に満身に傷を受けて徐々に弱っていく。
盗賊の末路は、悲壮というよりは、むしろ滑稽(こっけい)で、哀れみさえ催させる。最後に松の根方に倒れ伏し、旅の僧に供養を頼んで消えていく。弱さをさらけ出した長範は、ただの敗残者でしかない。
立身出世を望んでも、育ちの悪さから夢は叶わない。悪事に生きがいを見いだしたものの、積み重ねた悪業の因果から、ついには身の破滅に至る。
挫折は長範に限ったことではない。結局のところ、たいていの人間は不本意なままに人生を終える。満足してその最期を迎えられるものなど例外なのだ。
この世の栄華を謳歌し、娘を帝(みかど)の妃にした平清盛でさえ、最期は一族の前途を憂い、未練を残して世を去った。
死に臨んでもなお、穏かな心境に至ることができず、自らの墓前に頼朝の首を懸けるように命ずる罪深い遺言を残し、一門の将来を案じながら、熱病で苦しんで死ぬ清盛は、生きながら地獄の呵責を受けた罪人といってもよいだろう。
光源氏の寵愛を得た夕顔もまた、六条御息所の嫉妬の犠牲になって死ぬ。
幸せを得るものがあれば、その陰には愛を失い、悲嘆にくれるものがある。ある者の幸いは、他の者の災いである。捕食動物の快楽と喜びは、犠牲になる動物の苦痛と悲嘆であるように、人の苦楽は背中合わせといってもよい。この世で幸を得た者は、陰で人の恨みを買い、そのために不幸となることも多い。
考えてみれば、能に出てくる人物はすべて、この世に執着を残して死んだ者たちだ。
孤島鬼界島に一人取り残された俊寛法師は、前途を絶望しつつ、先に赦免されて舟で去った二人が残した慰めの言葉に万が一の奇跡を期待して、惨めな生を断つことができなかった。舟の艫(とも)綱にすがりついて同乗させてくれと頼む俊寛の姿はあまりにも痛ましい。
かいを振り上げた船頭に、舟から離れるよう脅されるが、いうことを聞かず、無理やり、艫(とも)綱から指を引きはがされる。それでもなお、波に浮かんで、去りゆく舟を大声で呼ばわる俊寛の姿は未練にあふれ、まことに哀れである。
意気消沈し、放心状態のまま、浜辺で波に足を洗われている姿は、惨めな生を送りながらなお、恩愛にとらわれ、生を断ち切れない多くの世間の人々を象徴しているようだ。
永遠の別離もまた人間の宿命である。
勅命により任那(みまな)鎮定に赴く大伴狭手比古(さでひこ)との別れを悲しんで唐津の鏡山に上り、いつまでも領巾(ひれ)を振って舟を見送る松浦佐用姫の悲恋は、愛しあう者もまた幸せではないことを示している。否、むしろ愛ゆえに別離はいっそう辛い。恩愛は悲しみの元といってもよい。
苦悩の現世から離れるためには煩悩を捨てることが肝要である。だが、悩み、苦しむのが人生の宿命なら、生きているうちは好きなことをする方が賢いのかとも思える。
どのような悲惨な能にあっても、合間に出てくるアイ狂言はたくましく振る舞い、陰鬱な情況を笑い飛ばす。
能「熊坂」で、旅の僧に昔語りをする所の者役のアイ狂言もまたそうだ。長範が悪の道に入ったのは、牛を盗んだのがきっかけだったと話し、「元手もいらず、盗みほど面白きものはなし」と聴衆を笑わせる。
辛気臭く、めそめそと人生の苦しみを嘆き、愚痴をこぼすのは愚かなことなのかも知れぬ。何事も深刻に受け止めることなく、あっけらかんと生きる狂言のお陰で、暗い能が救われているといえるだろう。
その点、秀吉公はアイ狂言のような生き方をしているといえよう。どんな悲惨なこと、厳しい事態にも動じることなく、割り切って行動する。
悲しいことがあっても、少し涙を流しただけで、あとはすぐに笑顔を取り戻す。酒をしたたか飲んで、女と笑い興じ、正体なく酔い痴(し)れてしまう。
生まれたときから高貴な身分の人間はこうはいかない。ちょっとした不幸にも打ちひしがれる。こういっては非礼だが、やはり下人の中から成り上がった秀吉公は、たくましい。
孝高はどんな厳しい戦況にあっても、笑いを失わぬ秀吉の図太さを思い出した。
陽気に騒ぐのが好きな秀吉は、能だけでなく狂言も好んだ。見て楽しむだけでなく自分でも演じた。
「鐘の音」や「瓜盗人」などといった、庶民が登場する演目がお気にいりで、その所作には不思議なおかしさがあった。謹厳な孝高も、ひょうきんな秀吉のしぐさに、思わず笑ってしまったこともある。
孝高が立ち止まっている間、能舞台からは激しい太鼓と笛の音が続いていた。やがて長く伸びる笛の響きを最後に音は絶えた。曲が終わったようだった。
孝高は石垣の上から暗い堀を見下ろした。
石垣の下は真っ暗で何も見えなかった。外堀の向こう側の大手門のあたりにかがり火が燃えているのが小さく見える。ほかには明かりは全く見えず、一帯は漆黒の闇に閉ざされていた。
空には星がまたたいている。
「あの星の下に、かのエルサレムがあるのか」
孝高は聖書で読んだイスラエルを想像した。
《人を多く殺した俺は到底天国にはいけぬ。恐らく冥府で業火に焼かれるのだろう。それもまたやむをえない。戦国の世に武将として生まれたのが不運というものだ》
正直なところ、孝高はキリシタンでありながら、天国や地獄などというものは信じていなかった。いまの世で精一杯生きればそれでよいと考えていた。イエスもまた、神というよりは現実に苦しんだ一人の人間として共感を覚えていた。
かのエルサレムの地で、イエスの足跡をたどり、イエスの死んだ場所を訪れたい。そんな願いが心に浮かんだ。
《イエスもまた苦しまれた。この苦悩から解放されるのは、死ぬ日かも知れない》
孝高はすこし心が和らぐのを感じた。
能舞台の方からまた笛の音が流れてきた。次の演目が始まったようだった。
◇
根来全山に向けて詮議の招集を告げる大鐘が突かれた。鐘の音は長く尾を引いて山懐(やまふところ)にこだましていく。やがて大谷、菩提、蓮華の三つの谷にある二千七百の僧坊から二万人の大衆が怒涛のように大伝法堂に集まってきた。
学侶と行人たちはみな緊張した面持ちだった。
根来全山を重苦しい空気が覆っていた。山の上の方から来た行人たちは、暮れかけた坂道を小走りに駆け下りてくる。里に近いところ住む学侶たちは、杉の枝の間に見え隠れする大塔を見上げながら、ゆっくりと上がってくる。だれもが黙々と山道を歩いている。
秀吉からの使者が来て宿泊しているとの噂は、既に山中に知れ渡っていた。恐れていた災危がついにその姿を見せた。そんな思いが大衆の心に重くのしかかっていた。
この集会が根来の存亡を賭けた詮議になることは誰もが知っていた。
覚鑁上人の開基以来四百五十年、戦に加わったことは数え切れぬが、寺が舞台になったことはたえて無い。だが、今は寺そのものと、そこに住む二万人の人間が重大な危機に瀕しているのである。
不安と怖れ、いらだちと怒り、そして強大な力を敵に回したことへの後悔の念が入り交じっていた。
若左近と傷が癒えた十郎太も寺に帰り、大衆の中に加わっていた。
また戦が始まれば、若左近たちはまっ先に、戦場に出ることになる。評議の結論は、自分達の運命に直接結び付く。
外の寒さにも拘わらず、大伝法堂の中は人いきれでむっとしていた。
泉州発向を決めた昨年の詮議の時と同様、中央に座主と二人の能化、そして四人の行人の旗頭が座り、その周りを大勢の学侶、行人が取り囲んだ。
大伝法堂に入り切らない多くの大衆は、今度も堂の前の芝に座り込んでいる。堂の扉はすべて取り払われていた。
既に日は落ち、堂内には大蝋燭が幾つも灯されていた。外の芝にもかがり火が焚かれている。薄闇の中で、蝋燭やかがりの火が、僧侶たちの丸く剃った頭に照り映えて異様な印象を与えている。
大伝法堂の中では三体の仏が祭壇の上から、普段と変わらぬ微笑でこれらの人々を静かに見下ろしている。
天井に吊された荘厳が、鈍い金色の光を投げ掛けている。祭壇からは香の煙が天井にゆらゆらと立ちのぼっている。
最前列で腕組みし、あぐらをかいていた閼伽井坊が立ち上がった。
「満山の大衆にお諮り申す」
詮議の最初に切り出される定型の言葉を閼伽井坊がいうと、それまでざわめいていた学侶や行人が静まった。
「先に紀伊守に任ぜられた羽柴秀長より、昨日、使者が当寺に参った。使者は岩室坊に宿泊している」
「座主ら三綱と旗親が使者に会って話を聞いた。使者が持参した秀長の書状によれば、当寺訪問の目的は以下の通りである」
「即ち、当寺と秀吉とはここ数年来、敵味方として争ってきたが、もともと秀吉は仏を敬う心厚く、寺を敵にして戦をするのは本意ではなかったという。この際、双方の遺恨を忘れ、何とか血を流さずに解決したいとの意向である」
堂内のあちこちで、失笑とざわめきがおきた。
閼伽井坊は、手で制して話し続ける。
「また、根来寺がこれまで兵を蓄えてきたことは、護法のための自衛手段として、やむを得なかったとはいえ、天下が平定に向かう今後は無用な武力である。仏の弟子たる者は、いらざる武器を捨て、行状を正しくして、法灯を守ることを専らとすべきである。そのための所領は保障する。そのように秀吉はいう」
ささやきがあちこちで聞こえた。
血を流さずに解決を図りたいという言葉に、学侶も行人も当惑しているようだった。