「長谷川殿。秀吉殿は一体どれだけの所領を根来に安堵するというのか」
それまで黙って聞いていた能化の一人、小池坊専誉が聞いた。
「二万石なら、認めようといっておられます」
秀一は平然と答えた。
「二万石?」
専誉は唖然とした表情で秀一の方を見た。
同席していたもう一人の能化の尭性坊玄宥や他の行人頭たちもまた、顔を見合わせている。だれもが秀一の答えに驚き、あきれているようだった。
明算は秀吉の高圧的な提案に憤りを覚えた。
正確に測ったことはないが、根来寺の所領は紀州、和泉、河内合わせて七十二万石といわれている。前田利家や織田信雄ら大大名に比べても決してひけをとらない知行である。それを二万石に減らすとは、余りに根来を侮っている。
そんな貧弱な所領では、九十八の院、二千七百の僧坊、二万人を超す学侶と行人を養うことは到底できない。これでは根来の人間に対し、寺を捨て還俗(げんぞく)せよというに等しい。
長谷川秀一は寺を潰すために挑発に来たのか。
憤激で明算は言葉を失った。
「長谷川殿。二万石とは余りにも些少。二十万石の間違いでありませぬか」
小池坊専誉はなお信じられぬ様子だった。
「いや、決して誤りではありませぬ。これは秀吉公ご自身が、十分にご吟味の上、お決めになった石高。これ以上はたとえ一石といえども増やすことは出来ぬ、といわれておられます。この申し出を受けられるかどうか早急にご返答を賜りたい」
有無を言わせぬ調子で秀一は言った。
他の四人の武士たちも腕を組んだまま、厳しい表情で僧侶たちを見詰めている。
障子の隙間から入る風が、かすかな音を立てている。旗頭の一人がまた鼻を鳴らし始めた。息苦しい沈黙が続いた。
明算が静かに口を開いた。
「長谷川殿、そのような微々たる石高では、まるで話し合いになりませぬ。これでは根来寺は朽ち果てよ、学侶や行人は飢えて滅びよというに等しい。行人衆も到底納得いたしますまい」
「長谷川殿、根来を虚仮(こけ)にするのもいい加減にされよ」
明算の後ろから強い調子で専識坊がいった。他の旗頭たちも小声で怒りの言葉を口にしている。
「皆様がそういうお考えならば、是非もない。戦しか道はない。しかし、その前に皆々方、よくお考えあれ。いまや天下に並ぶもののなき秀吉公の圧倒的な軍勢と戦って自ら破滅するのか。それとも修行と勉学を維持するに十分な二万石を得て、覚鑁上人の法灯を後世に伝えるのか。どちらが賢明でありましょうや。その辺りをもう一度ご吟味のうえ、とくとお考えあれ」
秀一の口調はさらに威圧的になった。
それでなくとも寒々とした部屋の空気が、凍り付いたようだった。だれもものを言わず、重苦しい静寂が続いた。
「長谷川殿のお話は承りました。秀吉公の意向も十分に承知いたしました。さりながら、寺の運命を決める、このような重要な問題を、この場ですぐにご返答することは出来ませぬ。当寺では開山の昔より、一山の大事は大衆詮議によって決しておるところ。われわれだけで勝手に話をつけるわけに参らぬことを、ご承知おきください。たとえ仮にここで我々が納得し同意いたしたとしても、行人衆が受け入れねば、和議は成立いたしませぬ。今夜、早速全山の大衆を集めて詮議いたしますゆえ、なにとぞ返答は明朝までお待ち願いたい。長谷川殿にはまことに申し訳ありませぬが、今夜は曲げてご逗留願いたい」
明算は努めて丁寧にいった。
秀一らを寺に泊まらせるのは、前以て旗親たちの間で決めていたことだった。
血気盛んな行人の集団を間近で見せ、秀一らを威圧するつもりもあった。行人たちの数を目にし、長刀の響きと鉄砲の音をそばで聞けば、根来の武力を少しは身をもって感じるかもしれない。そんな淡い期待と計算が寺側にはあった。
だが、実際に長谷川秀一と話し合ってみると、そのような術策は子どもだましのように明算には思えた。この落ち着きはらった、したたかな男に、そんな、たわいのない脅しが、どれほどの意味を持とうか。
「わかりました。泊まらせていただきましょう。色よいご返事を期待しております。ではまた、あす」
長谷川秀一は座を立った。四人の家来も立ち上がった。
五人は稚児に案内されて廊下に出た。彼らは宿所になっている岩室坊の僧坊に向かった。
◇
《二万石とは》
廊下を去っていく秀一らの後ろ姿を見送りながら、明算は、さきほど秀一が提示した数字をもう一度思い起こしていた。それは、明算に新たな憤りを呼び起こした。
根来の行人がここまで軽んじられたかという屈辱感と、せっかく平和に事を解決しようとしている努力を無視されたという無念の思いが重なり合っていた。
旗頭たちも口々に怒りを漏らしている。
「根来を侮りよって。守護や足利将軍でさえ、恐れ敬もうた根来寺と行人を何と心得おるか」
「全くもって許せぬ」
休憩の間の議論の時は、「ここは鉾を収めるのが肝要」と説いていた学侶も、まるで先程の自分の意見を忘れたように激高している。
明算はもう一度廊下を見た。すでに五人の武士は廊下を曲がって、姿は見えなかった。
立ち上がりながら、明算は絶望的な気持ちに襲われた。
《惨めな石高を示されて、どうやって行人に鉾を納めるように説得できるというのか。それでなくとも血気にはやる彼らが、このような屈辱的な数字を聞いたら、鎧を揺さぶり、刀を鳴らして怒るに違いない。やはり、もう戦しか手は残っていないのか》
明算の口から、苦悶のうめき声が漏れた。
行人たちが怒ろうと罵ろうと、秀吉と戦って勝ち目はない。負けることが分かっているのに、戦うのは愚かでしかない。何とか和平に持ち込まねばならぬ。少なくとも、戦を避ける可能性がほんのわずかでも残っている間は、粘り強く交渉しなければならない。
これまではそう思い、戦の回避に努力してきた積もりだった。しかし、その心積もりは秀一の提示した冷酷な数字で一挙に打ち砕かれた。
行人たちを説得できる自信は失われた。
明算は暗い表情で廊下に出た。
部屋の暗さに慣れた明算の目に、急に冬の明るい光線が飛び込んできた。一瞬、視界が白く消えたあと、すぐに鮮やかな赤い色が網膜に浮かび上がった。
明算は目を凝らした。それは、庭の土の上に落ちたツバキの赤い花だった。
庭に植えられた侘助(わびすけ)ツバキの老木が、ぼってりとした大輪の赤い花を、緑の苔の上に、いくつも落としている。
ツバキの葉の間から、メジロの群れがさえずりながら枝を渡り歩いている。花の蜜を吸いにきて、吸い終えた花の花弁を、辺りに盛んに散らしているようだった。
首が落ちるのを連想させるツバキの花は、武家では嫌われ、屋敷内に植えられることはあまりない。しかし、茶の盛んな僧院では、冬場の数少ない茶花として珍重されていた。
根来寺の塔頭でも、いたるところに、様々な種類のツバキが植えられている。とくに、この侘助(わびすけ)ツバキは、奈良の寺から根来寺に贈られた古い木で、この辺りでは知られた名木であった。
明算も、落ち着いたツバキの花は好きだったが、この日のツバキの赤さは余りに鮮やかすぎるように思えた。
まがまがしい不吉な予兆を見たような気がして、明算はツバキの花から目をそらせた。
「まったくもって、秀吉は、けしからぬ。よくもぬけぬけと、我らを侮った石高を口に出せたものよ。何が神仏を敬う男か。あのような非道な条件をまた平気で伝える長谷川秀一も、無礼きわまりない」
後ろから来た専識坊が、悔しそうに明算に声をかけた。
「明算殿。こうなったら、覚悟を決めようではないか。あのような奴らに甘く見られて、唯々諾々と服従するのでは、栄えある根来行人の名が泣く。たとえ、どんな結果になろうとも、我らには守らねばならない誇りというものがある」
若い専識坊は憤懣(ふんまん)やる方ない様子だった。
「専識坊殿。怒る気持ちはよく分かる。しかし、ここはまず怒りを収められよ。いま短気を起こして戦になれば、やつらの挑発に乗るようなもの。秀吉は戦の名分を欲しがっている。ここのところは辛抱が肝心であろう」
廊下を並んで歩きながら、明算は静かに答えた。
いさめられた専識坊は不満げに口を尖らせて何かいおうとした。しかし、明算がそのまま黙ってしまったのを見て、専識坊も口を閉ざした。
渡り廊下には冷たい風が吹いている。足袋の生地を通して、吹きさらしの木の床の冷たさが伝わってくる。庭に敷き詰められた白い小石が、冬の弱い日の光を受けて寒々と光っている。小石にしがみつくように低く生えた草が、細い葉を風に揺らしている。
明算は、廊下の曲がり角で専識坊たちと分かれると、回廊を通って、山内の離れたところにある自らの僧坊に向かった。
回廊の柱越しに見える大伝法堂の大屋根の上を、山鳩の群れがあわただしく飛び交っている。その上を大きな鳥が一羽ゆっくりと羽根を広げて飛んでいる。
翼の模様から、それはクマタカと分かった。白い喉にはクマタカの特徴である黒い縦のまだら模様が見える。鳩の群れはクマタカを恐れて、うろたえ騒いでいる。
クマタカは鳩の群れの中にいる幼鳥を狙っているらしかった。クマタカがすばやく急降下するたびに、鳩が左右に分かれて散るのが見える。驚き騒ぐ鳩の鳴き声が風に乗って聞こえてきた。
明算は立ち止まり、廊下の柱に手をかけて空を見あげた。
青い冬の空には雲はなく、逃げ惑う白いハトの群れと追うクマタカが日の光を受けて輝いている。
せわしなく羽根を羽ばたかせるハトとは対照的に、大きく羽根を広げたクマタカは悠々と上を飛び、ときどき急に降下してきてはハトの群れに襲い掛かる。
子供のころから山でクマタカを見慣れてきた明算には、広げたクマタカの鋭い黒い爪と、少し開いた鈎型のくちばしが見えるように思えた。
突然目の前で始まった生き物同士の争いに、明算の目は引きつけられた。岩室坊の座敷で見た、狐に狙われるニワトリの図が再び思い出された。いまクマタカに追われて逃げ惑うハトもまた、秀吉の恫喝を受けて、おののき、あわてる自分たちのような気がした。
《ハトの数は多くても、所詮勝ち目はない。弱いものを一羽犠牲にして、その間にほかのものが逃げるのが関の山だ。体の大きなものに刃向かっても、結局勝てるはずがないのか》
そんな思いが明算の頭をよぎった。
《固まらねばだめだ。ばらばらに動いては、やられる》
明算はハトの群れに叫びたい気持ちになった。
疲れはてた幼鳥が逃げ遅れ、やがてクマタカの黒い爪にがっしりと捕らえられる光景が目に浮かぶ。柔らかい幼鳥の肉に、太いクマタカの爪がしっかりと食い込み、空に幼い悲鳴が響く。
そう思ったとき、異変が起きた。
クマタカに追われるだけだったハトたちが、追い回されて逃げ場を失ったあげく、急に反撃を始めたのだ。
ハトたちは幼鳥をかばうように、集団でクマタカに体当たりを始めた。中でも二羽のハトはとくに勇敢だった。襲い掛かるクマタカのくちばしに何度もつつかれて傷付き、落ちそうになりながら、なおも空中で態勢を立て直して飛び上がり、ぶつかっていく。
何度も何度もぶつかってくるハトに、クマタカは体勢を崩しながら、羽根を広げ、くちばしを大きく開けて威嚇する。だが、ハトの反撃は絶え間無く続いた。
冷たい風が落ち葉の浮かんだ前栽の池の表面を波立たせながら吹いてくる。
大きいコイが池の中の岩陰にじっとしている。吹きさらしの廊下で、身を切るような寒さにも構わず、明算は空中での激しい生存闘争に見とれていた。
幼い鳥を必死になって守っているのは親鳥だろう。
自らが犠牲になろうと、子が逃げて子孫を残してくれればそれでよい。それが親というものなのだ。タカの爪に傷つき、血を流しながら、二羽の親鳥は何度も何度も、クマタカにぶつかっていく。
その間に幼鳥を含めたハトの群れは、一つの塊になって天高く舞い上がり、雲を目指して飛んでいった。
やがて親鳥二羽も身を翻して別の方向に逃げていく。取り残されたクマタカは、親鳥とひなのどちらを追うか、ためらうように左右を見回したあと、追うのを諦め、羽根を広げて別の方向に去っていった。
クマタカが攻撃を諦めたのは、それほど腹をすかせていなかったのかも知れない。クマタカが本気で襲えば、もっと簡単に幼鳥をつかまえることができたはずだ。それでも、クマタカが諦めたのは、集団で鳴きたて、反撃する鳩に数で圧倒されたためであることは間違いなかった。
尾羽が矢羽根に使われるクマタカは、猟師たちのよい獲物になっている。根来の近くの山では、とうに捕りつくされたのか、最近ではあまりクマタカの姿は見られなくなっている。根来の行人たちの使う矢羽根は、遠く奥州から仕入れてきていると、明算は矢を商う堺の商人から聞いていた。
クマタカも巣には幼いひなが待っているのだろう。親が早く餌をもって帰ってやらねば、ひなは飢えて死ぬか、他の猛禽類や小獣の餌食になる。
鳥の世界の頂点に立つクマタカもまた、厳しい生存競争に追い詰められている。いや、むしろ頂点に立ち、数が限られているが故に、もっとも過酷な生存のための条件を強いられているのかも知れない。
この世に生きている限り、どんな強い動物も常に死の危険にさらされている。弱者を襲って食わねば、自らが命を落とす。
《鳩のように力は弱くても、集団になれば、やり方次第で活路は開けるかもしれない。ここが思案のしどころだ。長谷川秀一の脅しに乗せられて、焦ってはならぬ》
明算は一人うなずいて、遠ざかっていくクマタカを目で追った。クマタカは見る見る小さくなり、やがて雲の中に消えて見えなくなった。
《ここは落ち着きが肝心だ。秀吉の脅しに乗せられて、下手に騒いでは、取り返しのつかぬことになる。じっくりと対応を考えねば》
明算は、その場を離れて歩きだした。
◇
長谷川秀一が根来で明算らと向かい合っているころ、秀吉は大阪城にいた。山崎の合戦から小牧長久手の戦まで、戦に明け暮れた昨年までとは、うって変わった平穏な日々だった。織田信雄、徳川家康らと和議を交わしてから、すこし生活に落ち着きが生まれ始めていた。
戦場でも点前を欠かさなかった秀吉の茶の湯好きは相変わらずだった。しかし、最近はそれ以上に能への執着が募っていた。
最近の秀吉は、能舞台を見るだけではなく、ときには屋敷でひいきの金春流の能役者の指導を受け、自ら稽古に励むまでになっていた。
能の数ある演目の中で、秀吉はとくに修羅ものを好んだ。
修羅能には、めでたい席で演じられる「勝ち修羅」といわれる演目がある。例えば坂上田村麻呂を扱った「田村」や源義経がシテの「八島」などでは、勝者の勇気や知略がたたえられる。一方、自殺した平家の公達の平清経ら、敗北した武将を描く、悲しい「負け修羅」もある。
武士の中には「負け修羅」を「軟弱」「不吉」と嫌う者も少なくなかったが、秀吉は「勝ち修羅」以上に愛好した。
その背景には、戦死した者たちに対する、武人としての哀惜の気持ちとともに、詩歌管弦を愛する貴種への憧れがあった。また、自分もいつかはそうなるという死の予感が、若くして死んだ平家の武者たちへの共感を覚えさせたのかも知れなかった。
「邯鄲(かんたん)」のような、栄華のはかなさを主題にした作品も、秀吉の好みだった。
信長の死後、まさに黄粱(こうりょう)一炊の夢を見るように、自分自身も予期しなかった幸運に恵まれて勝利を続け、天下と富が自分に近付いてきた。
その一方で、柴田勝家や明智光秀ら、没落し滅亡する大勢の敗者を見た。その経験が、知らず知らず、栄華の中に潜む無常感を心の中に育んでいたのかも知れない。
しかも、その多くの死者は秀吉自らが手にかけたのである。人の命を奪いながら自らは栄耀(えいよう)を極めることへの負い目も、感じないではいられなかった。
とはいえ、天性派手なことの好きな秀吉の能愛好は、湿っぽさや自責の念などとは無縁だった。赤や黒の絹の地に、思いきり派手な金銀の糸で刺繍(ししゅう)した、きらびやかな能衣装をことさら好み、一度使った装束は惜しげもなく能役者たちに分け与えた。
演技を盛り上げる囃子(はやし)方の中では、しめやかな小鼓より、かん高い音を出す大鼓(おおかわ)や、ばちさばきが派手で、にぎやかな太鼓を愛した。
所詮、秀吉の好む無常感は単なる雰囲気であり、現世の快楽を引き立たせるための小道具や味付けに過ぎなかった。
修羅ものを愛する秀吉は、一方では「井筒」や「松風」といった優雅な女能をも好んだ。
親しんだ男に対する秘めた思慕。荒れた夏の寺や寂しい秋の浜辺を舞台にした、変わらぬ自然の中で募る懐旧の思い。世阿弥の演出した、奥ゆかしく、かそけき王朝の風情や情趣がなんとも好ましく思われた。
女能で舞われる真の序の舞いは、修羅能に比べれば幾分退屈ではあった。しかし、夢幻の情緒を出すためには、これもまた曲にふさわしく思われた。
《家康は鎌倉武士を扱った『鉢木(はちのき)』が好きだといっておったが、いかにも無骨な、あ奴らしい趣味だ。あの男には、井筒や松風のような繊細な、さびた能の味はわかるまいて》
「鉢木」は、寒い冬の夜、客のために愛蔵の鉢植えを薪にしてもてなす、貧しくも誇りを失わない老関東武者の心意気を描いた作品である。これもまた世阿弥の世評高い名作ではあるが、まじめな固い能は享楽好きの秀吉の感覚には合わなかった。
《きまじめ過ぎるのは、おれの好みではない。芸は楽しみのうちにある。あれこれ人に意見するものではない》
そう、秀吉は思っていた。
《家康は子供のときから、能を見てきたはずなのに、いまひとつ能の深み、味わい方がわかっておらぬ。『鉢木』も、うらぶれ落ちぶれた人間の悲哀と冬の雪の朝の情景を味わうべきであって、武士の心意気などをことさらあげつらうのは興ざめだ。そんなことは、世阿弥にとっては単なる舞台設定上の気分づくりに過ぎぬ。その辺が家康にはよくわかってはいない》
秀吉は、名門武家出身の家康より、百姓出の自分の方が芸術の理解に秀でていると感じて、幾分得意な気分になった。
《おれは確かに卑しい身分の出だ。だが、王朝の男女の衣衣(きぬぎぬ)の別れもわかるし、花鳥風月を愛する好事家(こうずか)の風流心も人にひけはとらぬ。家康などは、能のシテなどするより、狂言に出る関東方の田舎者の役をした方が似合っているのではないか》
そう考えて、秀吉は一人笑いをした。
《家康が名門といっても、元は三河の山出し。源氏や足利に比べれば、百姓と少しも変わらぬ。和歌もわしの方がよほど才能がある。家康の歌など聞いたことがない》
秀吉は家康にはいまも心を許していなかった。
《自分は信長の家来ではなく、盟友だったという意識が、奴からは消えていない。長久手でわしを痛い目にあわせたのを今も得意がっているのだろう》
長久手の敗戦を思い出すと、不快さがまたしても、こみあげてきた。