秘密主金剛手

「明算殿。よくお聞きください。寺の存否は、大衆を指導されておられる貴殿らにかかっております。口角泡を飛ばすだけの知恵なき詮議からは、冷静な考え方や正しい判断は期待できませぬ。武勇を誇るだけで、天下の情勢や彼我の実力をご存じない人々に判断を任せては、大局を誤ります。寺の運命を握られている責任有る皆様方は、その分しかと心得てご判断いただきたい」
 露骨に行人の強硬姿勢を非難する秀一の言葉に、明算の後ろに居並ぶ旗頭の間から舌打ちが聞こえた。しかし、秀一のいうことが正しいのは、明算にもよく分かっていた。

 根来一山がいくら必死になって秀吉に逆らい、戦おうとも、秀吉の束ねる諸国の軍勢には、とても勝てるはずはなかった。
《もはや秀吉は一介の戦国武将ではない》
 明算にはそれがよくわかっていた。

 秀吉は圧倒的な武力に加えて、いまや朝廷の権威を担った存在になっている。そして秀吉が威光を借りる朝廷でさえ、秀吉の関白任官を自ら積極的に提示するほど、いまは秀吉を手なずけるのに汲々としている。
 朝廷が任官して秀吉の実権を形式的にも裏付ければ、秀吉は喜んで多額の金品を貢いでくる。
 戦乱で破損した内裏の補修もままならぬ朝廷にとっては、これほどありがたいことはなかった。

「おわすところに紫雲たなびく」と人々から崇められる天皇といえども、この世を生きていくためには、現実の力関係を無視するわけにはいかない。強い者に必死で合わせていかねばならないのである。
 天子でさえ秀吉の意向に逆らえば、地位や体面が保てないのが現実である。秀吉は権力をほぼ手中にし、強大な国家を率いている。秀吉に立ち向かって勝ち目などないのは、秀一にいわれるまでもなく初めからわかりきっている。
 《それでも、いまは決して弱みを見せてはならない》
 明算は思う。

 たとえ勝つことはできなくても、相手にも手傷を負わせることはできる。追い詰められた鼠が、猫の鼻にかみ付く例えのように、死に物狂いで抵抗すれば、いかに強力な相手であっても、いくらかの代償を払わせることができる。そのことを相手に分からせて、なんとか条件闘争に持ち込まねばならない。

「冷静にお考えあれ」
 不快そうに眉をしかめる旗頭たちを無視し、秀一は明算に向かってきっぱりといった。
「戦に正邪の論議は無用です。戦は双方に言い分、理屈があります。そもそも、正邪の論議で、ことが解決するものなら、初めから戦にはなりませぬ。話し合いで揉め事を解決できなかったからこそ、力で決着をつけねばならなかったのです。戦では常に双方が大義名分を掲げて、己の正しさを主張する。しかし、勝敗は決して名分や理屈で決まるものではない。物をいうのは、結局力でしかない。勝つか負けるかで、開戦の是非を判断すべきです。そんなことは、冷静な明算殿なら、よく分かっておられましょう。根来寺がいかに多くの行人をかき集め、鉄砲を蓄えていようと、秀吉公の動かす人と武器に比べれば、数のうちに入りませぬ。冷静に見て根来が秀吉公の軍に勝つことはありえないことです」
 秀一は厳しく言い放った。

「長谷川さまのおっしゃることはよくわかります。根来寺としても無論、秀吉公を相手にして勝とうなどとは考えておりませぬ。しかし、むざむざと秀吉公の軍に蹂躪されるとも思っておりませぬ。根来を滅ぼすためには、秀吉公の軍にも相当な犠牲が出ましょう。それはご覚悟ください」
 明算は言い返した。だが、その言葉に力はなかった。 

 長谷川秀一は腕を組み、天井を見上げている。天井には、紀州の四季の風景を描いた絵が、いくつもはめ込まれている。
 和歌の浦の風景や、那智の滝、紀三井寺の桜、紀の川に浮かぶ釣り舟など、美しい図柄の絵は、現世の享楽を賛美している。それは、厭離穢土(おんりえど)の教理を説く寺の天井画としては似つかわしくなく、まるで大名の御殿の装飾のようだった。秀一には、これらの絵が根来の僧たちの富への執着と退廃を物語っているように思えた。

 その中で、一つの風変わりな絵が、秀一の目に止まった。
 それは、海辺に住む、髭を伸ばした手長足長の図だった。
 手足の異様に伸びた不思議な男達は、浜辺に打ち上げられた海草を拾っている。足長は海中に立って、漂っている海草を探し、手長は岸辺の松に片手でしがみつき、もう一方の手を海に伸ばしている。
 南の国の浦を思わせる磯は、強い風に波が立っているものの、日差しは暖かく、白い浜木綿(はまゆう)が岩の上で、葉を伸ばし、美しい大きな花房を広げている。根の深いハマボウフウと、桃色の小さな花をつけたハマヒルガオが浜のところどころに生えている。浜の砂は白く光り、想像上の国は明るい陽光に包まれている。

 ぼろをまとった男達はまるで乞食のように惨めな姿だが、その表情は淡々として、むしろ制約のない自由な境遇を楽しんでいるかのように見える。ぼうぼうの頭髪や細長く伸びた手足は、汚辱に満ちた暮らしより、とらわれのなさを象徴しているようにも思える。彼らが住んでいる、岸の上の流木と草で作った粗末な小屋は、隠者の庵のようだ。

《阿修羅もまた海辺に住むというが、自らの境遇を嘆く阿修羅と彼らとは、何という違いだろう。この手長足長たちの満ち足りた表情は、闘諍殺戮(とうじょうさつりく)などとは全く縁がない。むしろ、悟りきった仏のような柔和さをたたえている。阿修羅とは正反対の境地に生きている。それにしても、この絵には何の意味が込められているのか》 

 見様によって何とでも解釈できる奇妙な魅力を持った絵だった。
 秀一は、手長足長の絵はもともと内裏にあったことを、本で読んで知っていた。
 それは、清涼殿の弘庇(ひろひさし)の間にあった「荒海の障子」とよばれる衝立て(ついたて)の表に墨絵で描かれていた。その裏には宇治の網代(あじろ=漁場)で漁民が氷魚を捕る情景が描かれていた。

 手長足長とは、中国の伯益の著した山海経十八巻の中に登場する、異界に住む怪奇な生物の名前である。
《山海経によれば、遠い荒海に、このような人間の形をした異種が住むと書かれているそうだ。おれにとって、根来の行人たちは、この手長足長のようなものかもしれない。まったく人語を解せず、己たちだけで生活している異形の輩に、そもそも言葉や道理が通じるものか。言葉で相手を説得しようとした自分が間違っているのではないか》
 秀一は疲れが出てきたのを感じた。

 交渉は膠着状態に入った。仕切り直しのため、休憩がとられることになった。                  
 しばしの休息の間、明算は本堂に移って、他の旗頭たちと、交渉のやり方をもう一度話し合った。
「もはや、長談議は無用。この際、彼らを追い返すべきである」
 行人をおとしめる秀一の言葉に立腹した専識坊は強硬だった。
「いや、秀一のいうのも尤もである。ここは、悔しいが奴らのいうことを呑んで、戦を避けるのが賢明である」
 専識坊とは逆に、和平を主張する現実派の学侶もいた。

 明算もまた、内心は和平派の学侶と同じ意見だった。だが、ここですぐに妥協するのは時期尚早であると思っていた。
 譲歩するための条件は考えてあるが、それはあくまで最後に出すべきである。決裂する一歩手前で妥協して初めて、交渉はうまく行く。

 言い分を通し過ぎれば、交渉は決裂し破局につながりかねない。決裂は絶対に避けねばならぬ。しかし、余りに早く妥協しすぎると、相手は図に乗ってさらに主張してくる。相手の心中を推し量って、絶妙の間合いに条件を提示する必要がある。
 妥協する時の見極めは難しかった。

 稚児が茶を持ってきて、学侶や旗頭たちの前に置いていった。
 濃く入った熱い茶を静かに飲みながら明算は、本堂の奥で蝋燭(ろうそく)の明かりに照らし出されている本尊と脇侍仏を改めてじっくりと見た。

 中央の大日如来像と、左側の尊勝仏頂、右側の金剛薩?(こんごうさった)の三尊は、いずれも光背(こうはい)を負い、それぞれ静かに思索にふけっている。
 大日如来は、ふっくらとしたほおに太い唇をもち、思い詰めたような視線で、正面の虚空を見つめている。観音菩薩のような柔和な微笑をたたえた仏とは全く違った、何か一種近寄りがたい暗い雰囲気さえ感じられる。
 それは、どのように生きるか、いかにすれば苦しむ人々を救済できるか、どのような方法で愛別離苦に満ちたこの世から解脱できるかという問いに、一生懸命に向かいあっている青年仏陀のようにも見える。

 それに対して、左右の脇侍たちは、手前に視線を落とし、落ち着いた悟りの表情で座っている。大日如来を助けることに徹し、もはや何物にも煩わされない境地に達しているかのようだ。

 尊勝仏頂は、細い切れ長の目と眉、すらりと伸びたしなやかな手が、何か女性的な優美さを感じさせる。
 金剛薩?は、豊かな体つきと自信に満ちた顔が父親のような威厳を感じさせる。脇侍の二尊は、まるで悩む我が子を温かく見守る両親のようにも思える。

 寺の前途を思い煩っている明算は、これらの仏たちを見て安らぎを覚えた。
 明算は、萎えていた体の中から、静かな力がみなぎってくるのを感じた。

                ◇

 根来の大伝法堂に安置されているこれら三体の仏像の製作が始まったのは、応永十一年(一四〇四)から十二年にかけてのことである。
 根来と高野とがたもとを分かったとき、根来側の行人は覚鑁上人の念持仏を高野の山上から持ち出そうとした。しかし、高野の衆徒によって妨げられ、遷座は実現しなかった。
 そこで、根来側は、大伝法堂の造営と同時に、新たに三仏を作ることにし、奈良の仏師を招いて刻ませた。
 丈六の巨大な三尊の製作には、多額の費用はもちろん、長い時間が必要だった。結局、三体の完成までに十七年の歳月がかかった。

 中央の大日如来は真言密教の教主であり、宇宙の実相を象徴した仏である。また、尊勝仏頂は、釈迦如来の頭から現れた知恵と功徳を象徴し、一切のとらわれや迷いを除く利益があるとされている。そして、金剛薩?は、大日如来の教えを人間に伝えた密教第二の祖とされる。

 明算ら行人たちは三体の仏のうちでも、とくに金剛薩?に強い共感と尊敬を抱いてきた。

 この仏について、寺では昔から学侶たちによって、いろいろな説明がなされてきた。
 金剛薩?は、釈迦以前に天竺の人々に信仰されていた帝釈天(インドラ、梵天)が仏教に取り入れられたものであるという。

 経文によれば、釈迦の教えに妙善の心を起こした帝釈天は、天衆を率いて仏座の前に座し、親しく説教を聴聞した。彼らは、釈迦の説法に随喜し、たちまち仏に帰依して仏法の守護者となった。

 手に雷電の象徴である金剛杵(こんごうしょ=バジュラ)を持った帝釈天は、仏教では金剛手あるいは執金剛と呼ばれる。常に仏に随侍して身辺を護り、あらゆる障碍(しょうがい=障害)と異端者を摧伏(さいふく=圧服)する任務を負う。
 仏に近侍する金剛手は、当然、仏の説法の相手ともなり、大衆に代わって種々の発問をする役目を担った。そして、常に仏の身辺に従っていることから、他の者には知りえぬ仏の秘密内証も知っているという信仰が生まれる。秘密主金剛手といわれ敬われるのは、この故である。

 真言密教の根本経典「大日経」で、秘密主金剛手は金剛薩?の名で、仏の対告衆となり、一会の大衆に代わって三句の法問を発する。
「世尊よ、かくのごとき知恵は、何を以て因とし、何を根とし、何を究竟(くきょう=目的)とするや」
 この質問に対し、大日如来は「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす」と答えている。
 すなわち、人間が悟りの知恵を得るためには、まず悟りを求める心(菩提心)を起こし、万物に対する大きな憐み(大悲)を心の根底に持ち、悟りに至る手段を実践(方便)することを究極の目的とするというのである。

 善無畏三蔵の「大日経疏」第一には秘密主金剛薩?について《その身口意(しんくい)、速疾隠秘にして了知すること難し。ただ仏と仏の間でのみ、これを知る。いわゆる心密の主なるが故に秘密主という》と書かれている。

 真言密教の始祖、印度の龍樹菩薩(ナーガルジュナ)は、南天(南天竺)の山中で修業中、突然湧出(=出現)した鉄塔内で、この金剛手(金剛薩?)に会い、親しく秘密の教えを受けたといわれる。
 秘密主金剛薩?は、その名の通り、荒ぶる守護神(金剛手)と、仏の秘密の知恵を教える菩提薩?(ぼだいさった=菩薩)との二つの役目を持つことになった。

「かくのごとき大乗を修習せし、これらの有情の心は、極めて堅固にして、外道や魔等が障碍(しょうがい=妨害)すること能わず。堅固な心が金剛(ダイヤモンド)に等しきがゆえに金剛薩?という」(大日経疏)
 さらに「金剛頂経」では、修行して金剛不壊(ふえ=壊れない)の道心(金剛乗)を体得した行者である金剛薩?への信仰が、大日如来に対する信仰とともに発展する。

 ここでは、金剛薩?は「種々の善行をなして、その善行に囚われず、大智をもっての故に生死に住せず、大悲をもってのゆえに涅槃(ねはん)にも住せざる」存在となる。すなわち、苦しむ大衆のために自らを捨てた大日如来と同様、自己犠牲を惜しまぬ救世主となる。

 もはや、金剛薩?は、菩薩のように慈悲を注ぐだけの存在ではない。大衆を苦しむ者を取り除くためには善悪の彼岸を越えて、殺生の戒めさえ破り、自らの涅槃をも捨てて顧みない。金剛乗を実践する怒りの夜叉(やしゃ)となる。

「恐ろしき者にすら恐ろしき、暴悪なる黒色の、大怒大笑大吼(だいく=激しく吠える)なる凶暴者を観想せよ。虚空金剛の中に住せる最上日輪を想え」

「仏の影像を修観して、所謂(いわゆる)凶暴者を想念せよ。大焔光を燃やし、蛇を腰に絡ませ、針を生やした恐ろしき面の、白色の凶暴者を想念せよ。頂に阿しゅく(門かまえに人三つ)のサマヤ(=本誓)を、観ずれば諸(もろもろ)の金剛神は充足す。これ実に一切忿怒の智金剛神のサマヤなり」(仏説一切如来金剛三業最上秘密大教王経)
 
 明算は思う。
 仏の教えを本当に必要としているのは、金持ちや能力のあるものではない。病気に苦しむもの、不運に泣くもの、身寄りのないもの、貧しいもの、生きる能力に乏しいものこそが、救済を求めているのである。
 そういう者たちに、高邁(こうまい)、高遠な仏の教理は何の慰めも勇気も与えない。彼らには、難しい理屈より、目の前で優しくほほえむ仏の慈悲の姿に元気づけられる。そして、それにもまして邪悪を斥け、様々な願望を満たしてくれる、恐ろしい明王や金剛力士が頼りになるのである。

 生き方や道徳を諭す尊い教えも大切だが、それより目に見える憤怒の明王像や慈悲の仏像、荒ぶる異形の神々、色鮮やかな曼荼羅(まんだら)、不可思議で意味ありげな儀軌(=儀礼)がありがたがられる。
 彼らは極楽での安楽を約束する条理を尽くしての説法より、いま自らが生きている世界での慰安と救済を求めている。

 釈尊はあらゆる迷信、呪術、呪文を斥けたといわれる。確かに、怒りに牙をむく不動明王や金剛力士は、単なる木の彫り物、粘土の塊に過ぎない。しかし、人々は心の平安を求めている。その偶像で病気や戦乱に苦しむ庶民の心が安らぐなら、それでよいではないか。それが仏のいう方便というものではなかろうか。

 庶民の関心は日常の吉凶禍福にある。生活と家族の安全だけが大切なのである。我々は彼らの命を守る金剛薩?や不動明王にならなければならない。
 我々に柔和な心は必要ない。柔和な心は、かえって邪魔でさえある。

 明算は薄闇の中に見える金剛薩?の無表情の裏に、押し殺した憤怒の情念を見たような気がした。

 明算たちは、再び広間に戻った。
 まもなく、秀一たちも入ってきた。秀一の顔は青白く、一種の凄みさえ感じさせた。
                ◇

「もはや、われわれの主張は尽くされました。われわれは、明日出立しなければなりませぬ。なにとぞご了承ください」
 席につくなり、秀一は切り出した。
「長谷川様のおっしゃることはよく分かりました。要するに秀吉公の望みは根来寺の泉州での領地を割譲せよということでござろう。それならば、そうとおっしゃっていただきたい」
 明算は強い調子でいった。
「まさにその通りです」
 秀一は冷静に答えた。

「長谷川様。さきほどのお話では、秀吉公は寺を敬い、僧を大切にされる方のはずではございませんでしたか。それが、なにゆえに根来の知行を奪われるのか。全く理解できませぬ。そもそも根来の和泉知行は、建武四年に足利尊氏公より信達庄を寄進されて以来、信徒の方々よりの貴い寄進を受けて、ここまで広がったもの。その間、幾度も守護や他の寺からの侵略をこうむったが、そのたびに多くの犠牲を出して、はねのけてきた。いわば、我ら根来衆の先達が血と汗を流して守ってきた神聖な領地。差し出せといわれても、そうそう簡単にはお譲りするわけにはまいりませぬ」
 明算は少しばかり気負っていた。

 秀一は茶碗の茶を飲み干していった。
「いや、その論議はもう先ほど終わったはず。理屈は無用なのです。秀吉公の天下布武のためには、寺社の武力は障害なのです。寺の知行は保証するが、それはあくまで灯明香料を絶やさぬためのもの。武具や僧兵を蓄えるためではありませぬ。それに杉の坊殿。貴殿は根来寺の領地を寄進によるものと説明されるが、全部はそうではありますまい。元をただせば根来の荘園は、覚鑁上人が鳥羽上皇より立券を受けた石手、岡田、山崎、弘田、山東の各庄と、その他の合わせて七庄ばかりであったはず。それが年を経るにつれて膨れていったのは、根来寺が武力で他人の領地を切り取ったからに外なりませぬ。寺を維持し、法灯を守るだけなら、なぜ今のような広い土地が必要でありましょう。他人から力ずくで奪った土地はすみやかに返すべきです。秀吉公とて、何も根来寺の全領地を没収しようといっているのではありませぬ。寺を守って行くだけの領地はちゃんと保障しようといっておられる。それでもなお、ご坊らはこの穏やかな申し入れを拒まれるというのですか」

「根来の領地は、すべて寄進と自らの財貨であがなったもの。他人から奪った土地など一坪もありませぬ」
 明算は表情を変えずにいった。