葛城の峰々から吹きおろす冷たい風が、障子の隙間から広間に入りこんでくる。天井の高い広々とした空間が、いっそう寒気を感じさせる。広間の端に座った旗頭の一人は風邪をひいているらしく、さっきから盛んに鼻水をすすっている。
火鉢を持った稚児が二人入ってきて、広間の二カ所に鉢を下ろした。鼻を鳴らしていた旗頭の一人は、早速火鉢ににじり寄って手をあぶりはじめた。
明算は寒さを感じなかった。それどころか、脇の下が汗でじっとりと湿っていた。敵の使者との会見を前にした気持ちの高ぶりから体全体が少し熱気を帯びているようだった。
明算の後ろには根来寺の旗頭と主立った学侶が並んで座っている。かれらもまた、緊張しているらしく、先ほどから黙りこんでいる。
寺のしきたりでは、外部の使者を迎えるときは、旗親たちが協議して交渉役を決め、その者が代表して相手の言い分を聞くことになっている。その後、全山の衆徒を集めて交渉の結果を伝え、大衆詮議にかけるのが常の手順である。
しかし、今回の秀吉の使者との交渉は急であり、しかも相手側の強い希望で密かに行われねばならなかった。交渉役は座主の指名に任された。この大役に、座主は常々厚い信頼を置いている明算を指名した。
どんな交渉でも、交渉事は駆け引きが求められる。相手の非を突き、自らの言い分を主張する。主張の応酬によって双方の立場が変化し、大衆詮議の結論の方向も変わる。とくに今回の交渉役は、根来寺の運命を決める重い責任を負っていた。
明算は、根来と信長との交渉にも当たった経験があった。
信長が敵対する石山本願寺を攻めるため、根来寺行人の応援を求めてきた時も根来は厳しい選択を迫られた。
石山本願寺を囲む信長軍に味方して参戦すれば、本願寺の寺域にこもる雑賀勢と交戦しなければならない。根来と雑賀は昔から地縁と血縁で深く結ばれている。敵と味方に分かれれば、身内、親戚同士が殺し合う悲惨な事態が予想された。
根来寺と石山本願寺は、宗旨は違え、ともに仏に帰依する集団として親密な関係を続けてきた。
同じ真言宗でありながら、宗祖以来の怨念を引き継ぐ高野とは、全く違った。
かつて一向宗の寺である貝塚願泉寺へ根来寺から卜半が住職として派遣されたように、紀泉での両宗派は依存しあってきた。
行人たちは、信長に協力することをためらった。とくに雑賀の土橋家と縁戚関係にある旗頭の専識坊は、信長の要請を拒むよう強硬に主張した。
「海から離れた地にある根来にとって、雑賀の港は、鉄砲の弾に使う鉛や煙硝を運び入れる重要な外港である。雑賀を敵に回せば、根来に計り知れない損害をもたらす」
専識坊の意見は、このようなものだった。
確かに紀州の陸では根来が最大の武力を持っているが、海は雑賀が支配している。特に、大坂への入り口を扼(やく)する紀伊水道での制海権は完全に地元の雑賀が握っていた。根来と雑賀は互いに干渉せず、陸と海とで住み分けてきた。
雑賀とは事を構えたくはない。とはいえ信長の申し出を断れば、根来寺自身に危害が及ぶことも明らかだった。信長は根来を敵方と見て、雑賀より先にまず根来を攻撃してくるだろう。
最悪の場合、叡山のような一山滅亡をも覚悟しなければならない。上洛後、またたくまに三好勢を畿内から駆逐した信長軍の力量は、根来の行人たちもよく分かっていた。
重責を負った明算は大いに悩んだ。
旗頭たちの意見は二つに割れ、収拾がつかなかった。長い思案の末、明算は結局、信長方につくことを選択した。
明算と一部の旗頭が信長に味方し、石山攻撃に加わった。しかし、それはあくまで形式的なものだった。石山の城攻めには直接加わらず、もっぱら周辺での警備を担当した。雑賀との決定的な断絶は避けられた。
その後、石山本願寺を攻めあぐねた信長は、石山を背後で支える雑賀に兵を出した。しかし、その際も根来は信長軍の道案内をしただけで、戦闘には加わらなかった。
あのときの交渉は幸運だった。だが、今度も同じようにいくだろうか。
◇
遠くから廊下の板を踏む音が聞こえてきた。
「お客様が到着されました」
障子の外で稚児の声がして、障子が開いた。冷たい風と同時に、素襖(すおう=礼服)をつけた武士の一団が広間に入ってきた。
稚児達に案内され、広間の中央に進んできた武士たちは、先に座っている寺側の人間と向かいあって藁座(わらざ)に着席した。緊迫した空気が広間に流れた。
藁座に座った武士たちは姿勢を正して前を向いた。
最前列に座った烏帽子姿の正使が、ひざに手を置いて頭を下げた。それにならって他の武士たちも手をついて辞儀をした。
明算は腕を組んだまま、彼らの表情を観察した。
三十過ぎと思われる正使のほかは、みな二十代の屈強な若者である。敵地に乗り込んできた緊張から、顔が青ざめている。大刀は入ってくるときに寺僧に預け、脇差しのほかは持っていなかった。
正使は顔を上げ、おもむろに口を開いた。
「このたびは急な訪問にもかかわらず、丁重なお迎えをいただき、恐縮至極に存じます。それがしは長谷川秀一と申します。どうぞよろしくお見知りおきください」
正使は、再び深々と頭を下げた。
《この男が長谷川秀一か》
明算は正使をもういちどじっくりと見た。
長い顔、細い眉、薄い口びるは、一見公家のように弱々しく見える。しかし、鋭く光る目は並々ならぬ強い意志を示している。高い鼻梁は油断のならぬ才気を表している。広い額には深い謀り事が秘められている。
そのように明算には感じられた。
「長谷川様ご一行には、大切な使者の御役目、遠路はるばる御苦労でございます。私が杉の坊明算でございます」
秀一が頭を上げるのと入れ替わりに、明算は深々と頭を下げた。
「杉の坊殿のことは、かねがね承(うけたまわ)っております。本日はよろしくお願い申し上げます。ここに控えておりますのは、みな私の所従でございます。気になされず、どうぞ、お心やすく御話いただきたきますよう」
柔和な口調で秀一は話した。
「さて、きょう我々がこうして参ったのは、外でもありませぬ。前以て、使者から皆様方にお知らせしました通り、根来寺の泉州知行について話し合うためでございます」
秀一は、性急に本題に入った。
「よくわかっております。我らもそのつもりで、お待ち申し上げておりました。どうぞ、先をお続けください」
雑談に貴重な時間を失いたくない。交渉にかける秀一の意気込みを明算はくみ取った。
「明算殿。ほかの皆様方もどうぞお聞きください。豊臣秀吉公の舎弟、秀長様は、根来寺の将来を真剣に心配されておられます。尊い覚鑁上人様や、そのお弟子たちが苦労して築き上げられた真言の聖地が危機に瀕していることを憂慮しておられます。高野と並び称せられる真言密教の大本山を、なんとかして兵火から守りたい。そして後の世に覚鑁上人様の教えを脈々と伝えたい。信心深い秀長様は、毎日毎日そのことに心を砕いておられます。何よりもまず、このことを信じていただきたい」
じっと明算の目を見詰めながら、秀一は話し続ける。
「争いを避けたいと思っているのは、秀長様だけではありませぬ。信じていただくのは難しいかも知れませぬが、仏と寺を大切に考え、守ろうとされるのは、秀吉公も同じです。秀吉公は昔より神仏への信心に篤いお方。信長公の叡山攻めの際も、秀吉様の軍だけは、ひそかに学侶や稚児達を逃されました。このことは、世間でも知られております。秀吉様は、罪のない子供や学僧が殺されるのを不憫に思われ、信長公より処罰を受ける危険をも冒して、彼らを逃がしました。また、秀吉公が、これまで多くの寺社を造営再建し、寄付されてきたこともよく知られております。これらの事実を見ていただければ、秀吉公の慈悲の深さと仏への深い帰依がわかります。このことは、叡山を焼き、多くの高野聖を殺し、甲斐の恵林寺を滅ぼされた信長公とは全く異なるところでございます。」
「秀吉公は、寺社との関係を大切に考えておられます。《できることなら、知行を守り、寺が仏への灯明料に困ることのないようにしたい》。常々そのようにいわれております。まして、寺社と敵対するようなことは、何としても避けたいというのが、秀吉公のご希望でございます。今般、我らを根来に派遣されたのも、まさにこのためです。《根来とは、これまでも好んで事を構えて来たのでは毛頭ない。すべては行き違いであったことを、どうか信じてもらってくれ》そのように秀吉公はいわれました」
秀一は力をこめていった。
「昨年の岸和田や堺での戦にしても、根来の衆が、家康殿と内通し、尾張に出向された秀吉公の背後を攻めたによって、戦いに応じたまでのこと。決して、こちらから仕掛けたわけではござらぬ。そのときには岸和田城主の中村一氏様の軍勢も相当な死傷者を出し、秀吉公の苦心して築き上げられた大坂の町と城も破壊された。しかし、そのことも、寛大な秀吉公は、もはや忘れようとされておられます。家康様と秀吉公が和解された今となっては、根来寺が家康様に味方されたことを、秀吉公は少しも遺恨に思ってはおられませぬ。すべてを水に流したいとおっしゃられているのです」
説得するように語る秀一を、明算は黙って聞いている。
「先ほども申し上げました通り、秀吉公御自身、仏を信奉する僧侶を敵にして戦いたいなどとは全くお考えになってはおりません。根来寺との和解を心より願っておられます。ご舎弟秀長様もまた、同じお考えでございます。ご承知のように、秀長様は、気性の強い兄の秀吉公とは違い、極めて温厚なお方でございます。《話し合えば、きっと判りあえる》そう、秀長様は言われました。そして、使者の拙者もまた、同じ考えでおります」
ときどき静かな笑みを浮かべながら、ゆったりと諭すように話す秀一のそばで、対照的に付き添いの武将たちは、強張った表情で、秀一の話を聞いている。
座敷は僧房の奥まったところにあり、日頃は本堂で行われている勤行の声もまったく聞こえなかった。
火鉢の熱がようやく、部屋の中に回り、寒さは少し和らいだように明算には感じられた。
広間の隅には、違い棚が置かれ、そのうえの銅の壷に仏のための立花が生けられている。水仙の緑の葉の間から黄色い花が見えている。
「杉の坊殿、よくお聞きください」
秀一は改めて真剣な表情になり、明算を見た。
「応仁の乱以来、これまで紀伊の国には、しかとした守護が欠けておりました。それ故、寺領を侵す不法な輩が増え、根来、高野などの諸寺が自衛の為に武力を蓄えなければならなかったのは無理もないことでした。しかし、時代は変わりました。天下麻のように乱れた応仁の昔や戦国の世とは違い、秀吉公が信長公の後を継いで天下静謐(せいひつ)を志されてからは、さしも乱れた海内も、ようやく治まる兆しを見せております。秀吉公と織田信雄様、徳川家康様との確執も治まりました。年来、信長公には敵対されてきた西国の毛利公も、秀吉公には和解の姿勢を示されておられます。大平の世は目前にあります。もはや、昔のように僧自らが、仏の弟子に不似合いな刀や鉄砲を持って、寺を守る必要はなくなったと申してもよろしかろう。この上は開祖覚鑁上人様の柔和なご精神に帰り、いらざる殺戮の道具は捨て、仏の教えにそぐわぬ鉄砲の稽古を停止(ちょうじ)し、新義真言の密教を奉持して、法灯の遠く輝かんことを、専らとすべきではありませぬか」
秀一は頬を紅潮させて一気に語った。
穏やかではあったが、その言葉は武器を捨て、服従せよとの厳しい勧告に外ならなかった。
明算は長谷川秀一の背後に、秀吉の大きな力を感じた。
「長谷川殿のお説はご尤もです。しかしながら、当方には当方の言い分があります。当山の行人とても、決して好んで武器を持って、無用の戦をしてきた訳ではありませぬ。長谷川様も先程いわれたように、乱れた世間、あるいは土地を狙う強欲な守護の被官から寺を守るためのやむをえぬ方便として、不本意にも戦を強いられてきたのです。我々としても、出来れば鉄砲や刀などの人殺しの道具は捨ててしまいたい。武器を使わずとも平和に暮らせる世の中をどれだけ望んでいることか。しかし、現実には争いは絶えませぬ。虎視耽々(たんたん)と隙を狙っている勢力が至るところにいるのです。自ら守らねば、だれも守ってくれませぬ。悲しいことですが、この現実は認めざるをえませぬ」
明算が長谷川秀一を見る視線は険しかった。
「今の世の中を素直に見れば、私には、さきほど長谷川様が言われたように、武器のいらぬ平和な時代がやってきたとは、まだまだ信じられませぬ。戦はまだ日本国中で毎日のように行われております。恐らくこれからも戦は長く続くことでありましょう。現に秀吉公自身が今も盛んに戦を起こされております。さきほど長谷川様は、根来が秀吉公に戦を仕掛けたと仰せられましたが、真実は決してそうではございませぬ。秀吉公が前年、さらにその前年にも、根来征討の兵を起こそうとされたのは、我々もよく存じております。根来が明智方、あるいは柴田方と結んだことを理由にされていると聞き及びましたが、それは全くの口実。本心は根来の持つ和泉の土地に目を着けられての出向の企てと我々は考えております。我々が戦を仕掛けたというのは事実ではありませぬ」
明算は厳しく主張した。
「よくお聞きくだされ、明算殿。双方が自らの立場を言い張るだけでは、話がまとまりませぬ。冷静に妥協点を探し、よい解決方法を見出そうではありませぬか」
長谷川秀一は諭すようにいった。
「長谷川様。それは我々、根来衆も同じ意見。だからこそ、お耳に痛いことも率直に申しあげているのです」
明算も静かに、しかし厳しく返した。
「明算殿、よくお考えください。武名高く、また合戦というものをよくご存じの貴殿なら、十分に理解していただけるはずです。秀吉公の力は、かつての細川や三好などの比ではありませぬ。いまや、秀吉公が号令を発すれば、日本国中の諸侯はたちまち秀吉公のもとに馳せ参じましょう。根来がいかに、勇猛な行人衆を抱えておられようとも、多勢に無勢。正直に申して勝ち目は百に一つもありませぬ。孫子の兵法にもあるとおり、戦に負けぬためには敵を知り、己を知ることです。現実をよく見ることが肝要かと存じます」
「長谷川殿に言われずとも、秀吉公の力は我々も十分すぎるほど分かっております。我々は、秀吉公の力を見くびるほど愚かではございません。ただ、根来は昔より、詮議によって正邪を吟味し、みなが納得したうえで行動してまいりました。おのれの身を守るために理非曲直に目をつぶり、力ある者の恫喝に屈服して唯々諾々といいなりになる他の大名たちとは、まったく考えが異なります。ことの正邪を抜きにして、力付くで押し付けても、根来の行人衆を納得させることはできませぬ。ただただ反発を受けるだけです」
明算は穏やかに答えた。