倉の中でおちかは、同じ年のおようと蕎麦(そば)の実を選んでいた。
薄暗い倉の天井には、木の杭や竹の束が吊されている。これらは、砦を守るための逆茂木や、鉄砲の弾をはじく竹束として使われる。
千石堀砦では、戦が近いことを予想して、すでに砦の周囲に先端を尖らせた逆茂木が何重にも立てられていた。
戦が始まれば、さらに数多くの杭が立てられる手はずだった。
竹も竹束のほか、旗さし物の柄や竹槍としても使うため、大量に貯蔵されている。
倉はまた、年寄りや子供たちが隠れる場所にも使われる。
十年前の三好との戦でも、この砦は攻められ包囲された。
砦全体を揺るがす投石の轟音と地響きに、倉の中の幼い子供達は、脅えて泣き叫んだ。
おちかとおようはまだ五歳だったが、そのときの恐怖は二人とも今も鮮明に覚えていて、思い出すと体が震えるほどだった。
「おちかちゃん、戦はいつ終わるんやろうか」
ごみを除いた蕎麦の実を袋詰めしていた、おようがぽつりといった。思いがけない問いかけに、おちかはとっさには、何も答えられなかった。
「何で人は殺し合いをするんやろう」
そういって、おようは溜め息をついた。食糧倉の薄闇の中で、天窓から差すかすかな光に照らされた、おようのほおは涙で濡れている。
人が殺しあう理由。それは、おちかが考えもしなかった疑問だった。
おちかにとって戦は生まれる前から続いていた。何も争いのない平和な世界の方がむしろ不思議だった。
おちかだけでなく、村のだれもが戦に慣れてしまっている。
人は争うもの。戦わねば自分たちが殺される。おちかは、単純にそう思っていた。
おちかは蕎麦を袋にいれる手を止めて、おようを慰める言葉を探した。しかし、それにふさわしい言葉は出てこなかった。
入り口の扉がきしみ、誰かが倉の中に入って来た。入り口から外の光が入ってくる。逆光の中、腰をかがめて小柄な人影が入ってきた。二人は人影にじっと目を凝らした。
薄明かりの漏れる天窓の下に来たとき、初めて人の顔が分かった。それは同じ村の宗助じいさんだった。
独り者の宗助じいさんは、千石堀の近くの清児(せちご)の出身だった。子供のころから物覚えがよく、僧になるため、根来寺で長らく修行をした。しかし、かたくなな性格で人となじめず、上の僧位には行けなかった。年をとってから村に帰ってきていた。
宗助じいは無言で野菜を土間に置いた。
「宗助じい。何で人は戦をするの」
おようは、宗助じいに聞いた。
「なぜ、そんなことを聞く」
宗助じいは当惑したように答えた。
「もう戦はうんざり。早く砦を出たい。何のために戦うのか私にはわからん」
おようは怒ったようにいった。
「何でというて、それは人間が愚かだからだ」
じいさんは、そんなことは当り前といった口調で答えた。
「人が争うのは、人がおのれのことしか考えぬからだ。自らのみを大事にして他人を顧みぬゆえだ」
じいさんは、大根を袋から出す作業を続けながら、静かにいった。
おちかとおようは黙って聞いていた。
「戦は人間の宿業といってもよい。いや、人間だけではない。すべての生き物が持っている、子孫を残したいという欲望が争いを引きおこす。魚でも鳥でも、獣でも、すべての雄は雌をめぐって争う。子孫を残すために、他の雄を角で傷つけ、牙でかみ殺す。他の雄の子を殺すことも少なくない。しかし、動物は牙や角以上の武器を持っていない。相手を殺す前に、ほとんどの相手は逃げてしまう」
「しかし、人間は違う。石を投げ、棒で殴る。武器を使った戦では、生命をかけた争いにもなる。相手に殺されない前に、相手を殺さねばならない。棒より銅の剣。銅より鉄の剣。弓矢より鉄砲。争いの道具を工夫するようになる。群れ同士の争いになると、殺し合いはさらに激しくなる。雄同士の争いは、よりよい子孫を残すために、自然が造った生き物の掟といえよう。生きている限り、この宿命からは決して逃れられない。」
「狩をし、米をつくるために人は集まる。集まれば、必ず他の集団との間で獲物や縄張りをめぐって争いが起きる。とりわけ米を作るようになってから人間は水や土地を巡って争ってきた。ひとつの集団が自分たちの土地を広げ、水を確保しようとすると、別の集団の生活が脅かされる。国が出来てからは、ますます争いはひどくなった。侍、貴族、寺や神社までも、土地や水の支配をめぐって争い、周りの人々も巻き込んだ。結局のところ、人間は自分では争いをやめることはできぬ。争いを止めるためには、力のある者が国をまとめて、抑えねばならぬ。しかるに、いまはそれができる者はいない」
じいさんは静かに、しかし力をこめて話し続けた。
「応仁の昔から百年以上、日本には国を束ねるものがいなかった。将軍や管領家の跡目争いから大名同士が日本の国中で相争った。強いものが弱いものを滅ぼす力ずくの世の中になった」
「帝(みかど)は何のためにいるの。国を治めるためではないの」
おちかが口を挟んだ。
「帝には国をまとめる力はない。もともと、帝は力のある者が自らの権威づけに利用しているだけのもの。その権威も今は通用せぬ。今は名分や道理はない。力ずくの世の中になった」
「人の争いは絶えることがない。そもそも力のある者に徳のある者は少ない。建武の御代に、後醍醐帝は人望を失った北条幕府を倒し、まつりごとを取り返した。しかし、自らも新内裏造営などに富を浪費し、新政に期待した武士たちの失望を買った。武士たちの支持を得て新政を倒した足利尊氏と弟の直義も、後には兄弟で権力争いをした。幕府の重臣たちも、幕府の内部の地位を争って内紛を繰り返し、応仁の戦を起こした。それもこれも皆、おのれたちの利益を追い求めた結果だった」
「仏の教えをもって国を治めようとされた聖徳太子は、十七ヶ条の憲法をつくり、その第一に、和をもって尊しとなすとされた。しかし、その太子も自らの政を推し進めるために、反対する物部氏を力で打ち倒さねばならなかった。聖徳太子の死後はまた、国が乱れた」
「そもそも戦は話し合いで解決できないために起きる。仲裁する者がいなければ、力ずくで決めるしかない。しかし、戦えば、双方に大きな被害をもたらす」
「聖徳太子は憲法の中で『人には様々な考えがある。自分と違う意見だからといって怒ってはならない』といわれた。自分だけが正しいと思う増上慢の心が争いを産む。増上慢は秀吉だけでない。根来の行人たちもまた自分たちの力を過信している。負ければ大変な犠牲を払うことになるのを行人たちはわかっておらぬ」
天井の明かり取りから差すわずかな光で、じいさんの顔が暗闇の中でぼんやりと浮き上がっている。その顔は前途を諦めたような静かな悲しみに満ちていた。
「根来はいま、秀吉から土地を奪われようとしている。しかし、根来寺の領地も、もとからあったものでは決してない。覚鑁上人が開かれた当時、根来はごく小さな寺だった。それが、ここまで肥大したのは、時の世俗の権力者に取り入ったからだ。鳥羽上皇ら朝廷の庇護を受けて領地を拡大したが、後醍醐天皇と足利尊氏が争った時には、朝廷の恩顧を忘れて足利に味方した。その見返りとして足利から和泉信達庄を寄進され、和泉に勢力を伸ばした。高野山や比叡山が長年庇護を受けた朝廷に味方したのに対し、根来と粉河は時勢を見て武家側についた。根来はその後、鉄砲を手に入れ、守護の弱体に乗じて勢力を伸ばした。いうてみれば、根来の知行は、弓矢と鉄砲の力で手に入れたものだった」
「根来は土地からの年貢で行人を蓄え、その力を頼りに畠山と組んで細川、三好と争い、領地を広げた。鉄砲を手に入れてからは、積極的に争いに加担した。秀吉が力ずくで土地を手に入れようとしているのと、結局は同じこと。根来にも名分はない」
宗助じいさんは、きっぱりといった。
「それでも放っておけば、根来と百姓は秀吉の思うままにされる」
おちかが口を挟んだ。
「秀吉を抑える人間がいない以上、戦うしかない。そう、根来寺は思っているのかも知れぬが、勝ち目のない相手と戦うのは愚かなことだ。わしは戦うべきではないと思う。戦えば、大勢の人間が命を失い、人々が悲しむ。無益なことだ。ここは耐え忍ぶべきだとわしは思う」
二人が何もいえず、黙ってしまったのを見て、宗助じいさんは立ち上がり、外へ出て行った。