朝げのあと、道誉は二人に寺の中を見せて回った。
境内を歩いて、若左近は寺の広さに改めて驚いた。至るところに大きな僧坊や堂が立ち並び、その間の道を、経巻を抱えた黒衣の学侶や兀僧(がっそう=伸ばして後ろで束ねた総髪)姿の行人が歩いている。
開け放した僧坊の窓からは、読経の声と香煙が流れてくる。山の中腹にも堂が建ち並び、木々の間に瓦屋根が見えている。山内は静寂で、何万人もの僧が住んでいるとは思えなかった。
道誉は最初に二人を不動堂に連れていった。三人は草履を脱ぎ、八角形の堂に上がった。
中は薄暗く、冷え冷えとしていた。勤行が終わった後らしく線香の匂いが漂い、人の姿は見えなかった。
道誉は先に立ち、奥へ入って行く。
祭壇の上で、ろうそくが燃え、ゆらゆらと香の煙が立ちのぼっている。護摩に使う金属製の法具が、ろうそくの炎を映して、暗闇の中で光っている。御簾(みす)を隔てた祭壇の奥には、香煙にいぶされて黒光りした等身大の不動尊像が祭られていた。
「この不動様は、錐鑚(きりもみ)不動、あるいは身代わり不動といわれる根来の守り仏だ。いまから四百五十年前の長承四年(一一三五)四月一日、根来寺の開祖覚鑁(かくばん)上人は、高野山金剛峰寺の密厳院で衆生救済の誓願成就のため、一千四百余日の無言の行に入られた。無言の行は四年の長きにわたった」
「高野山金剛峰寺の衆徒らは、金剛峰寺の末寺である伝法院のめざましい発展と、覚鑁様の名声を妬んだ。彼らは、上人がすでにみまかって(=死んで)いるのに弟子たちが隠しているのではないかと疑い、確かめるため、篭居所に乱入しようとした。このときは弟子たちが必死で守りぬき、衆徒の侵入を防いだ。 しかし、無言の行が結願した後の保延六年(一一四〇)十二月、高野の衆徒らはついに密厳院に乱入した。彼らは修禅観法中の上人に危害を加えようと、上人を捜したが、お姿は見えず、ただ二体の不動尊像があるだけだった。
衆徒の一人がこの不動像の一体を上人と疑い、矢でひざを突き刺した。矢は木肌に深く刺さり、傷口からどくどくと赤い血があふれ出て床にあふれた。衆徒たちは驚いて声を上げ、一斉に退去した。もう一体の不動尊に身を変えていた上人は、衆徒らに全く気づかれず、無事だった。不動様が身代わりになって血を流し、上人の命を守って下さったのだ。
このことがあって後、争いを厭われた上人は、自ら根来の地に移られ、根来寺を起こされた。この不動尊像は、そのときに持ってきたものである。以来、人の苦難を我が身に引き受けて下さる仏として、人々に崇められている。この不動様は、上人を身を犠牲にして救われたが故に、寺を守る我々行人たちの象徴にもなっているのだ」
道誉は神妙な表情でいった。
「金剛峰寺の衆徒らは、上人が高野山を我が物にしようとしていると邪推して、攻撃したが、それは全くの僻事(ひがごと=心得違い)だった。覚鑁上人はあくまで不幸な人々の救済を願われた。上人は、慈悲忍辱(にんにく)を重んずべき仏の徒同士が、現世の権力者たちと変わらぬ醜い争いをしたことを悲しまれた。自らの教説が争いの原因となり、また、自らが行人たちを抑えられなかったことを、覚鑁上人は悔やみ、ついに高野山を下りられた」
道誉は無念そうにいった。
◇
この出来事を機に、上人とその弟子は根来の地に拠点を移した。上人が康治二年(一一四三)に入寂した後、弟子たちはいったん金剛峰寺と和解し、再び高野山に帰った。しかし、両者の対立は解けず、その後もたびたび山内で争いを繰り返した。正応三年(一二九〇)三月、ついに伝法院の頼瑜(らいゆ)が、伝法院と密厳院を根来に移し、両者は完全にたもとを分かった。
両寺の確執はその後も続いた。紀州伊都郡の志富田(しぶた)、相賀(おうが)の二庄の所有権をめぐって、両寺は長らく争った。鎌倉幕府が滅びた元弘三年(一三三三)、金剛峯寺の衆徒が兵士数十人を引率して二庄へ押しかけ、根来寺派遣の下司(げし)らを追い出した。
これに対し根来寺側も反撃した。暦応二年(一三三九)には双方の行人が合戦に及び、足利尊氏の弟、直義(ただよし)が守護畠山国清に命じて仲裁させた。
これらの武力衝突を経て、双方の兵力はさらに増強された。
「高野と根来は同宗から出たがゆえに、それだけ仲悪(あ)しい。近親の憎悪は他人同士よりも激しい。これは両寺の宿縁であり、どうしようもないことだ」
道誉は諦観しているようにいった。
若左近は不動像のひざを覗きこんだ。不動尊のひざは、線香と護摩のすすで厚く覆われている。矢傷は見えなかったが、目を見開いて怒る等身大の不動像には、生きた人間を思わせる迫力があった。
右手に降魔の利剣をかかげ、左手の羂索(けんざく=縄)を少し上に持ちあげた像は、いままさに悪鬼を制し、縛り上げようとしている。見開いた目は血走り、らんらんと輝く瞳には憤怒の炎が燃え盛っている。
額にしわを寄せ、牙をむき、唇をかんで怒るその顔には、大門の金剛力士と同様、護法のために悪鬼と戦う気迫がみなぎっている。背後に燃え上がる火炎は、あらゆる煩悩を焼き尽くす地獄の業火のようでもあり、仏を守る熱情の炎のようにも見える。
その迫真の怒りの表情には、この仏像を作った仏師の不動尊に対する、なみなみならぬ深い信仰と畏敬の念が感じられた。
若左近は大門の金剛力士に対して感じたように、この不動像にもまた、親しみを覚えた。
「不動尊は菩薩の怒れる姿という。菩薩は、苦しんで仏にすがるもの、自ら仏の教えを求めるものには、慈悲の手を差し伸べる。しかし、仏に抗(あらが)うもの、仏の教えに聞く耳を持たぬもの、仏の教えを妨げるものに憐れみは通じない。口でいっても分からぬ者には結局のところ、力で教え諭さねばならぬ。そこで菩薩はその慈悲の相をかなぐり捨てて、憤怒の相となる。それが不動尊である」
道誉はおごそかにいった。
「不動尊はまた、大日如来の化身でもある。すでに久しい以前から仏となっておられるが、苦しむ衆生を救わんとの誓願によって、身を奴僕(ぬぼく=奴隷)の姿に変えられた。それ故、他の仏達のように蓮華の上には座らず、冷たく固い盤石に座しておられる。密教の経文にいう。《この尊の本願は大悲を以て捨身し、一切の行者に奉侍し、身は奴僕のごとくにして、昼夜、常に従って擁護し、これの残食の供養を受く》。すなわち、我々真言の行者を守り、自分は行者の残り物を食して我々に尽くしてくださるのだという。有り難いことではないか」
道誉は合掌し、頭を下げた。
三人は不動堂を出た。長く暗いところにいたため、外の明るい春の光がまぶしかった。三人の姿と声に驚いて、不動堂の前の桜の木から、一羽の山鳥が飛び立って、花弁を散らせた。竹の植え込みには、祈願に来た人々の引いたみくじが結び付けられている。穏やかな春の午後だった。
◇
道誉は先にたって、どんどん石段を上っていく。境内に数多く植えられた桜の木が盛んに花を散らしている。石段には白い花弁が雪のように薄く積もり、その上を人の通った足跡が黒く残っている。
石段を中ほどまで登ったところで、桜の梢(こずえ)の間から大塔の相輪が見えた。青銅の相輪に続いて下の瓦屋根が見えてくる。石段を上がるにつれ、塔の下部が徐々に現われ、やがて塔全体が姿を見せた。
まるで豊満な乳房のように丸みを持ち、ほんのりと赤みを帯びた白い円筒形の塔身の周りに、華やかな裳裾(もすそ)を思わせる裳階(もこし)が四方に瓦屋根を広げている。
その上には、風に翻る軽やかな女の上衣のような宝形造りの屋根が、四つの袖を空に向かって伸ばしている。
冠を思わせる相輪の先からは、風鐸をいくつも吊り下げた、髪飾りのような細い四本の鎖が屋根の四つの端に伸びている。
上の屋根を支えている細い柱が、落ち着いて豊かな全体の外見とは違う、繊細な印象を塔に与えている。
若左近は塔の存在感に魅惑され、ただぼんやりと見上げていた。
そばで説明している道誉の声が聞こえてくる。
「この塔は真言密教の教えを形に表した根本大塔で、その昔、大乗仏教の祖である龍樹菩薩(=ナーガールジュナ)が密教の経典を授かった南天竺の鉄塔を模したものという。造り始めてから完成するまでに、七十六年もかかっている。大きさは五間四方、高さは二十二間ある。元々は高野の大塔を模して作ったものだが、高野のものよりは形も大きさも、余程優れておると人はいう」
高野という言葉を口にするときの道誉の口調は冷ややかで、敵意と対抗心に満ちていた。その目には、憎悪の色さえ浮かんでいる。
高野と根来との確執は、若左近も村の古老から聞いていた。同じ真言宗を奉じ、弘法大師空海を祖と仰ぐ両寺が何故そのように、いがみ合うのか、いままではよく分からなかった。しかし、道誉の話を聞いて、その理由がようやく理解できた。
若左近は、世代を超えて伝わる人間の集団の憎しみの根深さと怨念の執拗さを痛感した。
◇
三人は大塔の中に入った。塔の中心に向かって弧を描く変形の障子を開けると、中には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ=大日如来)を中心に数多くの仏像、菩薩像が円形に安置されていた。壁には大きな曼陀羅絵が懸けられている。中は冷たく、かびと香華の交じった匂いがした。
切り取ったばかりの、みずみずしい百合の花が銅の花瓶に入れて祭壇に供えられている。菓子と果物が山積みされている。朝の法要が終わった後らしく、祭壇の火炉の中で香がくすぶり、大きな蝋燭の炎が部屋の中を赤く照らし出していた。
祭壇の前に座って香の番をしていた一人の若い僧が道誉を見て頭を下げた。若左近たちも一礼した。
道誉は祭壇の前へ行くと、薄青い煙が立ち上っている火炉の前へ座り、一つまみ香を入れて合掌した。若左近と十郎太も道誉にならって香を焚いた。祭壇の上で蝋燭の光に何体もの仏像が、ぼんやりと照らし出されている。不動尊像に比べれば、ここの仏達は、いずれも穏やかで柔和な表情をしている。
道誉は、じっと座って手を合わせている。チリチリとろうそくの溶ける音のほかは、何の音も聞こえない。香のかぐわしい匂いが鼻をくすぐり、若左近は心が徐々に落ち着いていくのを感じた。
「行くぞ」
道誉の声に若左近は我に返った。いつの間にか、道誉と十郎太が、席をたって外へ出ていくところだった。若左近はあわてて後を追った。
大塔の右側には、二層の大きな建物があった。
「この建物が根来寺の本堂で、新義真言宗の根本道場である大伝法堂だ。ここで春は修学会、秋は練行会の伝法二会や様々な修法、祈祷が行われる。こここそ、根来の心臓、新義真言の要である。伝法会は、真言の学僧を養成する会式で、もともと弘法大師がお始めになった。いつの間にか廃れていたのを覚鑁上人が、高野で再興された。大伝法会によって真言密教を再興し、利生利民、鎮護国家の礎を築こうとされたのだ」
「本尊の大日如来、尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)、金剛薩?(こんごうさった)の三尊は今から百五十年ほど前に開眼されたと伝えられている。左脇尊の金剛薩?は中尊の大日如来を助け、右脇尊の尊勝仏頂は成仏を妨げる煩悩業障を除いて下さる。金剛薩?が手にしておられるのは、金剛杵(こんごうしょ)というて、天竺のいにしえの武器だ」
若左近は、道誉の指さした金剛杵を見た。それは金銅製の短い棒で、両側が鋭く尖っていた。それは投げ付けて敵を倒す武具のように見える。
三人は草履を脱いで、木の階段を上り大伝法堂の中に入った。
中ではちょうど祈祷が行われている最中だった。須弥壇の前には、色とりどりの袈裟を着た僧侶たちが座り、護摩を焚いて、経をあげていた。その奥には父の葬儀のときに来て、見覚えのある三尊が見える。
僧の一人が乳木を火炉の中に投げ入れるたびに炎が立ちのぼり、僧たちの顔を照らし出す。煙が天井に上がっていく。つぶやくような低い読経の声が聞こえてくる。信者の姿は見えなかった。
「どなたかの法要ですか」
道誉に十郎太が聞いた。
「これは法要ではない。このところ図に乗る秀吉に仏罰を加えられるように仏に祈っているところだ」
道誉は厳しい顔付きでいった。
若左近と十郎太は改めて僧たちを見た。前を向いている僧たちの表情は分からなかったが、その後ろ姿には気迫がこもり、容易に近寄りがたい厳しい雰囲気が感じられた。僧がまた乳木を火炉に投げ入れ、炎と煙が立ちのぼった。
「秀吉は昨年、山崎の戦いで明智光秀を破って以来増長し、いまや天下人を僭称して、信長の跡目を狙っている。柴田勝家との戦いに、もし秀吉が勝つなら、畿内を我が物にして、いよいよ驕りたかぶることだろう。そうなれば、いずれ泉州に知行を持つ根来にも言いがかりをつけて、知行の割譲を求めて来るのは必定。根来寺は、それを一番恐れている。根来としては柴田勝家に同心(=味方)したいが、それはあからさまに秀吉に敵対することであり、危険が大き過ぎる。それ故、学侶方は柴田勝家の勝利を祈って、このところ、毎日のように加持祈祷をしておられるのだ」
道誉は憤然と語った。
「一人の人間が地上のすべての権力を握ることほど危いことはない。力が一人に集まれば、人間は必ず増長し、悪行に走る。信長もあのまま生きておれば、さらに多くの人間を殺し続けたことであろう。それ故、我々は天下が一人のものにならぬようにする務めがある。昔から根来が各地の諸大名に、その時々の形勢に応じて、行人を応援に派遣していたのは、なかなかの良策であった。大名の力が拮抗(きっこう)し、諸国が分かれていた方が、我々のような僧や百姓には都合がよいからだ」
「加持祈祷で敵を打ち負かすことが出来るのでしょうか」
若左近は素朴な疑問を口に出した。
「真言の教えには《味方の旗の上に全身黄色の不動尊を描け。行者、旗を持って敵の軍衆に示せ。即ち、かの軍衆ことごとく動くことあたわず》と書かれておる。学侶方もそれを信じ、そのために祈祷している。しかし、俺自身は大日如来の教えや不動尊のご利益と戦の勝ち負けとは関りはないと思っておる。俺は不動尊を敬っておるし、戦においても不動尊が見守ってくれていると思えば心強い。しかし戦はやはり実力次第。道理や信心とは別物だ」
道誉は率直に答えた。
「信長を見よ。数々の戦で奴は殺生の限りを尽くし、仏に守られているはずの叡山さえも焼き滅ぼした。最後はおのれが招いた仏罰によって、滅んだとはいえ、あれほど運の強い男はこれまでいなかった。仏に頼んで戦に勝てるものなら、行人など無用。戦で本当に頼りになるのは鉄砲と弓矢と、それに自分の腕しかない。不動尊に守ってもらうよりは、自分自身が不動尊になって寺を守るという気概が大切だ。そこのところは、おぬしらもよくわきまえておかねばならぬ」
戦についての道誉の言葉は、昨日の大日如来と不動尊への信心ぶりからは考えられぬほど、醒めていた。
若左近が当惑していると、道誉がいった。
「そういえば、おぬしらに鉄砲の稽古を見せてやる約束だった。さあ、行こう」
道誉は段を下り、草履をはいて歩き出した。二人も急いで後を追った。
◇
道誉は川を越えて、二人を大谷川の方へ連れていった。
「おぬしらも知っていようが、根来の鉄砲の力は日本の諸国に聞こえている。根来を敵から守るのは加持祈祷ではなく、この鉄砲だ。戦いでは、鉄砲を大日如来から賜った金剛杵(こんごうしょ)と心得て大切にすることだ」
歩きながら道誉は自らの経験から得た戦の心得を話した。
角場(射撃場)は九社明神の裏山にあった。三人が角場に着いたとき、ちょうど銃の実射訓練が始まるところだった
五十人ばかりの行人が銃を持ち、緊張した面持ちで立っていた。角場の奥には土が高く盛り上げられ、その右側に小さな板葺きの物置が建てられている。行人たちから十五、六間離れた盛り土の手前に置かれた板の黒丸が標的だった。
こちらから見ると、標的はほんの小さな円い点にしか見えない。行人たちは、それぞれ右手に銃を持って、直立不動の姿勢をとっている。髪を長く伸ばしたものもいれば、丸坊主のものもいるが、いずれも黒の法衣に帯を締めた屈強な若者たちである。
「ちょうどよい時に着いた。あの黒いのが角(かく=標的)だ。今からあの角に向かって鉄砲が放たれる」
道誉が説明した。
「射撃用意」
行人たちの前に立っていた男が号令をかけた。最前列の十数人が前に進み出た。行人たちの前の土には棒で一本の線が引かれている。行人たちは、線の前に並んだ。
若左近は指揮をしている行人頭が、昨日鉄砲鍛冶のところで二人に話し掛けてきた小密茶坊だと気づいた。手に細い木の棒を持って前に突き出している。真剣な顔付きで、こちらを全く見ていないようだった。
「構え」
号令をかけると、小密茶坊は持っていた木の枝を上にあげた。行人が一斉に角を狙って鉄砲を構える。張り詰めた静寂があたりを包んだ。
「撃て」
小密茶坊が棒を振り下ろすのと同時に十丁の鉄砲が、轟音をたてて一斉に火を吹いた。銃口から白煙が一斉に立ちのぼる。築山の手前の角が揺れ、木の粉が飛び散るのが、遠くからもはっきり見えた。
「第二列」
第一列の行人が後ろに下がるのと入れ代わりに、次に控えていた二列目の行人たちが線の所に並んで銃を構えた。
「構え」
「撃て」
間髪を入れず、小密茶坊が号令した。再び耳を聾する轟音が響き、銃が火を吹いた。角が揺れ、木片が飛び散った。
次は第三列が前に出て撃つ。先程撃ったものはすでに後尾へ回って弾込めを始めている。射撃は次々に続いた。
「どうだ、鉄砲の威力は」
試し撃ちが終わると、道誉は二人の方を向いて話かけた。轟音がまだ耳に残っていて道誉の声は聞き取りにくかった。
「きょうは稽古ゆえ、ゆっくり撃っておるが、実戦になればもっと速い。十発撃てば八、九発は当たる。この鉄砲を我らは三千丁持っておる。これだけの鉄砲があれば、秀吉がどれだけの大軍で攻めて来ようが、何程のことがあろうか」
初めて見た鉄砲の迫力に驚いている二人を見て、道誉は愉快そうに笑った。