粉河への誘い

「明算殿に見せたいものがある」
 茶を飲み終わると、岩室坊は立ち上がり、違い棚の奥から、布に包んだ長い棒のようなものを持って来て、明算の前に置いた。
「南蛮渡来の珍しい品だ。長らく探し求めて、ようやく最近、堺で手に入れることができた」
 岩室坊は、包みを大事そうに手に持ち、覆っていた布を取った。それは使い古され、手垢のついた長い筒だった。初めて見る器物に明算の心は引かれた。
「それは、何でございますか」
「遠くの物を見るために使う遠眼鏡というものだ。南蛮人たちが船から陸を探すときに使う。この道具を使えば、敵の砦の中の様子も手に取るように見える。種子島といい、南蛮人は大した物を考え出す。まあ一度、試しに見られよ」
 岩室坊は遠眼鏡を、明算に手渡した。

 遠眼鏡というものがあることは、明算も人から聞いて知っていた。しかし手に取って見るのは、これが初めてだった。

 手のひらに乗せた金属の筒には、見た目以上の重量感があった。
 筒は二重になっていて、中の小さい筒は手前に引き出せるようになっている。
 筒の両側には、真ん中がふくれた偏平のガラスの玉がはめ込んである。
 筒の周囲には、地図を描いた鹿革が張ってあったようだが、いまは一部を残して剥がれていた。南蛮から渡来したかなり古い時代の物のようだった。
 岩室坊は、明算を僧坊の廊下に連れていった。廊下からは、谷沿いに広がる根来の門前町が一望のもとに見えた。
「のぞきながら中の筒を引き出し、はっきりと見えるところで止めればよい」
 岩室坊の指示通り、明算は遠眼鏡を左目に当て、右の目を閉じて、門前町の方を見た。

 照準を合わせるのは、それほど難しくはなかった。ほんの少し筒を伸ばしたところで、ぼうっとしていた視界が、急に鮮明になった。肉眼では小さくて読み取れない店の看板や、行き交う人々の表情までが、はっきりと見えた。

 明算もよく通う鉄砲商の芝辻の店の前には、荷駄を積んだ馬の列がとまっている。煙硝を運んで、堺から着いたばかりの男達が、荷を下ろし、忙しそうに店の中に運び込んでいる。額の汗が光っているのが見える。
 向かいの山の中腹にある砦では、槍を持った数人の行人が見張りをしながら、しゃべっている。彼らの顔も見分けられ、話し声が聞こえてくるようだ。

「なるほど、これは役に立つ」
 明算は感心して、うなずきながら、遠眼鏡を岩室坊に返した。
「どうだ。便利な道具であろう。これを手に入れるためには、ずいぶん金と手間がかかっている」
 岩室坊は自分も遠眼鏡を覗きながら得意そうにいった。

「秀吉の軍勢も、遠眼鏡を調達しているに違いない。根来の旗親たちも、できれば一人一人持ちたいものだ。しかし、なかなか見つからぬうえに法外に高い。堺の商人たちは利に聡いから、戦が近付くと、ますます値を吊り上げる」
 岩室坊は筒を縮めると、丁寧に袋に戻した。

 山の下からさわやかな風が吹き上げてくる。廊下を歩いて、二人は、また岩室坊の部屋に戻った。
「鉄砲の数も弾薬の貯えも、根来は秀吉に相当劣っている。わしは根来や和泉の砦に、銃の供えが足りないのではないかと真剣に心配している」

 板の間の藁座(わらざ)に腰を下ろすと、岩室坊はまた話を続けた。
「種子島をいち早く取り入れた根来は、そのお陰で、ここまで強大になれた。だが、今はどうか。大筒や石飛矢(大砲)などの新式の武器の数では、武士たちに遅れを取っている。武器はどんどん進んでいる。種子島は確かに今も強力な武器だが、それだけに満足していては世間の動きに乗り遅れる。遠眼鏡もまた、その一つの例だ」
 岩室坊の見方は、冷静だった。

「鉄砲商の芝辻から聞いた話によると、石火矢は、九州の大友宗麟が最初に南蛮の商人から我が国に買い入れたという。宗麟は、これを《国崩し》と名付けて戦に使い、領地の拡大に大いに役立てた。宗麟は、最後には耶蘇の教えに魂を奪われ、島津相手に無謀な戦を仕掛けて自滅したが、若いころは先を読む力があった」

 大友宗麟の名前は明算も聞いたことがあった。キリシタン大名の宗麟はイエズス会の宣教師ザビエルを大分に招いて、布教を許したが、その目的は南蛮貿易で武器を輸入することにあったという。

 岩室坊は語り続ける。
「当時の石飛矢の破壊力は、たかが知れていたが、いまのものは昔とはまるで比較にならぬ。城攻めには恐ろしく威力がある。昔は数少なかった石飛矢が、いまでは相当、日本国中に普及している。だが、根来には石飛矢が数えるほどしかない。元来、寺は自分の方から他を攻撃することは少なく、石飛矢を備える必要がなかったのかも知れぬ。しかし、今、危急の時を迎えて見れば、もっと早く数をそろえておくべきだった」
「仰せの通りです。それに石飛矢は攻める時だけでなく、守りにも大きな効果があります」
 明算も同調した。

 明算が仏郎機(フランキー)と呼ばれる、南蛮渡来の石飛矢を初めてみたのは、信長の石山本願寺攻めに加わった時だった。
 一人では持てないほど重い鉄の弾丸を、轟音とともに遠くに飛ばし、頑丈な城壁に大穴を開ける。その破壊力に城攻めを見ていた根来の行人たちは度肝を抜かれた。
 勇敢な一向宗の門徒たちも、石飛矢の攻撃に相当な衝撃を受けたようだった。
 それまで絶え間無く続いていた、本願寺側からの火縄銃の銃声が、石飛矢の轟音とともに一瞬にして掻き消された。
 しばらくして思い出したように、再び射撃が始まったものの、もとの勢いはなかった。恐らく、城壁の上から射撃していた門徒の何人かが、砲丸で破壊された石垣の破片で死ぬか、傷付いたのだろう。

 これほど威力ある石飛矢を、明算自身も、そろえたいと考えていた。だが、数が少ないため値が高く、少ない資力では、なかなか買えなかった。決して新式の武器に無関心であったわけではない。欲しくとも、手に入らなかったのだ。

「新式の武器を先に取り入れたものが、必ず勝つ。信長の鉄砲隊が、武田の騎馬軍団を撃ち破った長篠の戦がそれをはっきりと証明している」
 岩室坊は断言した。

 天正三年(一五七五)五月の長篠の戦いは、鉄砲の威力を天下に知らしめた。
 攻め太鼓を鳴らしながら、織田方の馬防柵に向って、入れ替わり立ち替わり、波状攻撃する武田の騎馬武者は、鉄砲の集中射撃を受けて次々と馬から撃ち落され、数を減らした。勇猛で知られた馬場美濃守も銃弾を受けて落命した。

 長篠の合戦以来、鉄砲は大いに重視された。それまで伝統的な弓と槍に頼っていた各地の武将たちも、競って鉄砲を求めた。
 鉄砲を早くから取り入れた根来衆は、諸大名から一目置かれた。根来衆は鉄砲の斡旋と指導を請われ、その操作を教えるため、行人を各地に派遣した。

 しかし、根来衆はそれに胡座(あぐら)をかき、新しい武器を取り入れるのを怠ってきたのではないか。
 資力の問題はあったにせよ、革新に遅れたという岩室坊の指摘は、確かに当たっている。
 根来の誇る火力も、これだけ鉄砲が日本各地に普及し、秀吉方も多数保有している今となっては、昔日の神通力はない。
 根来の行人たちは、自らを買いかぶっている。もっと己を知り、自分の置かれた状況と力を見定めなければ、多くの武将を味方につけた秀吉には対抗できない。

 明算はふすまの絵を見やった。
 若いおんどりが、いくら尖った口ばしを大きく開け、鋭い爪を見せて狐を威嚇しても、体の大きな狐にとっては何の威しにもならない。
 秀吉の圧倒的な武力の前には、根来も雑賀も弱い鶏でしかない。狐の前足で一撃されれば、たちまち弾き飛ばされてしまう存在なのである。
 とにかく、弱いものは集まって力を合わせ、敵に対抗するしかない。
 明算は、ふすま絵をもう一度見る。ずるがしこそうな狐は秀吉に似ているように思える。
 ふすま絵の狐の顔が笑っているように見え、明算は寒気を覚えた。

                ◇

「ところで杉の坊殿、さきほどの高野との同盟の話だが」
 岩室坊は、黙って絵を見ている明算に話し掛けた。
「高野が根来との合力を受け入れぬとすれば、次の手を考えなければならぬ。たとえ、わずかでも秀吉に打撃を与えるためには、他の紀州勢との協力が必要となろう。雑賀、熊野、粉河、湯川などと手を取り合って戦えば、あるいは展望が開けるかも知れぬ」
 眉間にしわをよせながら熱く語る岩室坊は、なお希望を失ってはいなかった。

「いずれにしても、勝ち目のない根来単独の抵抗は、絶対に避けなければならぬ。紀泉の地侍や寺社との一味同心が、戦の前提ではあるが、中でも、根来に一番近い粉河寺の協力が大事だ。粉河寺とは、もっと緊密に連絡を取り合う必要があると思う」
「仰せの通りです。粉河は絶対に味方につけねばなりません。粉河と根来は、天台と真言と宗派こそ違え、ともに紀州の由緒ある大寺であり、秀吉に知行を脅かされている状況は、両寺とも同じ。根来の危機は、粉河にとっても他人事ではありませぬ。昔は相争ったこともあるとはいえ、近年は、ともに力を合わせて守護方の兵と戦ってきた。根来が呼び掛ければ、粉河もそれに応えてくれるでしょう」
 明算はそう答えたものの、確信は持てなかった。

 粉河寺が根来と同様、和泉にも少なからぬ領地をもち、秀吉の進出に脅威を感じていることに間違いはない。
 だが、秀吉がこれまで至るところで行ってきたように、粉川を懐柔し、根来と関係を分断すればどうなるか。粉河が無条件で根来に味方してくれるという保証はない。
「一度、早いうちに粉河の三池坊と話しあった方がよいと、わしは思う。あの男は、なかなかの策士。いろいろ先を読んでおるから、参考になるかも知れぬ」

 三池坊は粉河寺の最も有力な行人坊のひとつである。その庵主の三池坊善英は勇猛な旗親として広く紀州に知られていた。
「三池坊殿なら確かに有益なご助言を与えて下さることでしょう。おっしゃる通り、さっそく、こちらから出向いて、話をしてみることにしましょう」
「それがよい」
 岩室坊は、得心したように首を縦に振った。

「夕飯でも食って行かれぬか」
 話が一段落したところで、岩室坊は台所に明算を誘った。
「いや、まだ、やることがありますので、きょうのところはこれにて失礼いたします。お話をうかがい、おおきに参考になりました」
 明算は立ち上がった。岩室坊も、それ以上は引き留めなかった。
 岩室坊は、表まで明算を見送ってくれた。すでに窓の外は暗かった。

               ◇

 危機に立つ根来の前途を話し合った興奮から解き放され、少しほっとして明算は、岩室坊の建物を後にした。月が照らす夜の山道を、明算は物思いに耽りながら下りて行った。
 両側から草がかぶさったように繁っている山道は、夜露に濡れていた。ふくろうが、森の中で鳴いている。
 竹薮のそばを歩くと、暗闇から騒がしい雀のさえずりが聞こえてきた。竹薮の向こうから川のせせらぎが聞こえている。地面を覆う竹の落ち葉が、足の下で柔らかく沈んだ。

 岩室坊に言われるまでもなく、粉河寺のことは明算も十分気にしていた。
 しかし、きょうの話で、粉河寺を味方につけることの重要さを痛感した。早く手を打ち、秀吉の侵攻に備えた話し合いをしておかねばならない。

 仮に秀吉が木食応其を取り込み、高野の篭絡に成功すれば、弟秀長のいる大和から南下し、紀の川沿いに東から攻めてくることは、はなはだ容易となる。むしろ根来側の砦が並ぶ泉州南部を通るよりも、よほど攻めやすいといえるかも知れない。

 もし、そうなった場合、根来にとって、粉河寺は東側を守る最後の砦となる。いくら根来が泉州表で抵抗しようと、粉河の助力が得られなければ、一挙に背後を突かれる。
《粉河寺だけは、何としても味方に付けて置かねばならない》
 説得でわかってくれればよし、それが駄目なら、武力で威嚇してでも、秀吉方に付くことを妨げなければなるまい。

 そつのない秀吉が手を回さないうちに、粉河を早く味方に引き付けなければ、手遅れになる恐れがあった。
《明日にも粉河の三池法印に根来への同心を頼もう》
 明算は決心した。
                            ◇

 岩室坊を訪ねたその夜、明算は遅くまでかかって、三池坊への手紙を書いた。
 手紙の中で明算は、信長が殺されて以来の根来と秀吉の対立を説明した。
 泉州での知行をめぐる秀吉との葛藤から、家康側についたこと。堺、大坂にまで攻め上ったが、いま一歩のところで、油断したため岸和田での戦いには敗れたこと。秀吉が報復のため、根来を攻めようとしていることなどを、詳しく書き連ねた。
 そして、秀吉の狙いが単に根来を除くことだけにあるのではないことを説明した。秀吉の目的は、いまや天下の覇権を握ることにあり、根来を倒せば、必ず粉河、高野、熊野にも矛先を向ける。秀吉の野望をくじき、これまで、それぞれの寺が享受してきた自由と、それを裏付ける知行を失わないためには、秀吉の懐柔策に決して惑わされてはならないことなどを懇々と説いた。
 明算は根来の弱点もあえてさらした。腹を割って相手に話すことが、相手の信頼を得るために重要なことを、明算は経験から知っていた。

 書きあげた手紙の末尾に、明算は「これからの方策について相談したいので、近く粉河寺を訪れたい」と書いた。

 翌朝早く、明算は若い行人に手紙を持たせ、三池坊のもとにやった。手紙を黒衣の懐に入れた行人は、馬に乗って一人で粉河寺に向かった。
《もし、三池坊の了解が得られれば、早速あすにも粉河へ赴いて、三池坊と話そう》
 明算は、いつになく焦っていた。

 使者を送り出したあと、明算は一人で食事をとった。行人たちの多くは泉州表へ出払って、坊の中は、ひっそりとしていた。
 明算は食事を終えると、旗頭の一人である専識坊に会うために、外へ出た。岩室坊が提案していた高野や粉河との同盟について、話し合いたいと思ったのだ。
 専識坊の僧坊は、坂本に近い所にある。歩けば少しかかる距離だった。

 もうすぐ四月というのに早朝の屋外は寒かった。冷たい風が、杉木立の間を通って吹きつけてくる。涌き水がたまる池の表面を、秋に周囲のモミジの木々から落ちた紅葉が隙間なく覆っている。寒さにさらされたモミジの葉は朝日に赤く映え、まだまだ美しかった。
 水鳥が通り過ぎた跡が澪(みお)となり、まるで錦の小袖に描かれた豪華な川模様のように見える。池から水門を通って、下の川に流れ落ちる水の量も少ないらしく、水の音がこころなしか寒々と響いた。

 境内では、最近行人たちの姿がめっきり減って、残った学侶の姿ばかりが目に付いた。行人たちが泉州などの砦に出ていった後、それまで行人に押されていた学侶たちの顔色が、心なしか明るくなったようだった。彼らは、寺のあちこちに固まって、天下の形勢や寺の将来を論じている。

《彼らは寺の存亡、自分達の将来を気遣っている。だが、彼らの中のどれだけが、寺のために戦っている行人の命と、寺を支える百姓のことを本気で心配しているのだろう。肝心なときに彼らは寺を捨て、宝物を持って脱出するのではないか》
 明算は疑った。

 彼ら学侶の多くは教養のある富裕な貴族や侍、商人の子弟である。もともと権力者に対して行人たちが抱いているような敵意は持っていない。一方、農民上がりの行人たちは、自分達を上から押さえ付けようとする武士を心から嫌っている。寺を守る気持ちは同じでも、その拠って立つところは全く異なっているのだ。
《そもそも、学侶たちは何のために学問をし、修業しているのか》
 そんなこと考える時もあった。
 覚鑁上人は、衆生を迷いから救うために新義の教えを開かれた。だが、今の学侶たちは百姓たちの苦しみを肌で感じ、救済しようと真剣に努力しているのか。
 彼らの多くは、衆生の救済よりも寺の中での昇進や、世間的な名声、栄達を望んでいる。学問に没頭するのは、そのための手段に過ぎない。経文を読むのも、己の知識を高め、人に敬われるためであって、衆生のためではない。経文を読まず、百姓とは縁もゆかりもない昔の和歌の解釈などに血道をあげ、それを得意にしている学侶もいる。
 もちろん定尋のように、百姓の苦しみを理解している学侶もいることはいる。だが、それは少数だ。

 学問もまた世の中のために大切なことではある。だが、自分達の学問は、あくまで行人や大勢の百姓の働きに支えられていることを知るべきである。知識をひけらかし、無学な百姓を侮る学侶には、学問の本当の意義はわからない。
 
 それに比べ、南蛮人の宣教師たちは、民衆の救済に身命を投げ出している。
 明算は十年ほど前、南蛮人の宣教師を見たときのことを思い出す。
 それは、信長が京で行った馬揃えに参加したときのことだった。彼らは足元まで覆う黒い修道服を着て、信長の近くに置かれた椅子に座っていた。
 まだ若かった明算は、この異国の僧たちを見て、対抗心を感じたことを覚えている。その茶色の髪と赤ら顔に憎しみを抱いたものだ。
 だが、いま思えば、彼らはなんと勇敢な人間だったことだろう。異教徒を救済するために身の危険を冒し、何年もかけて、はるばると遠い日本までやってきた。臆することなく支配者に布教の許可を願う。何もせず、自分のことしか考えていない、日本の多くの僧侶たちとは全く異なる。 
 彼らは異国の地で、慣れぬ暮らしや言葉に悩みながらも、苦しんでいる人々の魂を救うために努力している。
 神仏を信じぬ信長が、あれだけ伴天連の僧たちを大切にしたのは、自分に反抗する日本の坊主に反感を持っていたからだろう。しかし、決してそれだけではない。
 信長は宣教師たちの、ひたむきさ、献身ぶりに動かされたのではないか。
 神や仏は衆生の苦しみを救うためにある。根来の学侶たちは、口では仏を敬いながら、衆生のことを忘れている。衆生のために、本当に命をかけて戦っているのは、我々行人に外ならない。
 明算は、いまではむしろ異国の宣教師たちに共感を覚えていた