田植え

 三月の岸和田攻めで城を包囲していた紀伊の軍勢は、突如、城内から奇襲してきた中村一氏軍と戦闘になった。大坂攻撃に向かう味方が進発した直後だった。
 一瞬の隙を襲われた味方は、体勢を立て直す間も無く、混乱して総崩れになった。十郎太の所属していた槍隊もまた大きな損害を出した。

 槍隊の指揮を取っていた旗親の持明院は一氏軍の鉄砲に当たって死に、行人の多くが打ち取られた。
 十郎太も一氏軍の足軽が放った矢を左肩に受け、気を失ってその場に倒れた。
 気が付くと味方は敗走し、十郎太は松林に倒れたまま置き去りにされていた。
 周りで知らない合言葉をかけあう声が聞こえた。敵があたりに進出して来たようだった。
 十郎太はじっとその場に潜んでいた。声はどんどん近づいてくる。このままでは、いずれ見付かり、とどめを刺されてしまう。

 十郎太は、腹ばいのまま、右手で肩にささっている矢を折った。激痛が走り、傷口から血が流れ出た。
 傷ついた肩を手で押さえながら、十郎太はその場を離れ、松の大木の陰に隠れた。

 しばらくして抜き身の刀を持った敵の足軽が二人やってきた。
 敵の兵は、辺りをうろうろと捜し回っている。放置された敵の死骸から首を取っておのれの功名にしようとしているのだ。
 十郎太はそのまま、木の陰に隠れていた。
 足軽に発見されれば、抵抗できないまま殺される。それよりは自分で命を絶った方がよい。
 十郎太は腰に着けた小刀に手を掛けた。
 しかし、幸い敵は気が付かず、行ってしまった。

 やがて日が完全に沈み、辺りが真っ暗になった。あちこちで、敵方の兵の囲むたき火が燃えている。陣笠を鍋代わりにして雑炊を作っている。米の煮える匂いが漂ってくる。

 十郎太は、静かに木の根元を離れ、暗闇の中を歩きだした。
 城兵に見付からぬように、たき火から離れ、松林に入った。
 岸和田の浜は、子供のころから泳ぎに来て、地理はよく知っている。何度か敵の立哨に見付かりそうになったが、時間をかけて囲みを脱し、浜辺を離れた。

 遠回りをして、千石堀砦にたどり着いたのは、すでに真夜中だった。
 砦で十郎太は傷の手当を受けた。
 医師の心得のある行人が、肩の骨の所で止まっていた矢尻を小刀で取り出し、焼酎で傷口を洗った。簡単な手当だったが、幸い矢尻の先はきれいに取り出され、体内に破片は残らなかった。

「大した怪我ではない。化膿しさえしなければ、傷口は二、三日でふさがる」
 行人の治療は荒っぽく、おおざっぱだった。
 十郎太は行人から、怪我が治るまで千石堀砦にとどまって養生するように言われた。槍隊の仲間が気がかりだったが、十郎太にもはや戦う力はなく、行人の言葉を受け入れた。
 この時、行人を手伝い、傷を洗ってくれたのが、地元の村から手伝いに来ていたおちかだった。

 おちかは千石堀城の近く、七山村の百姓四郎次郎の娘で、十郎太と同じ十七歳だった。
 岸和田で戦が始まってから他の村人とともに駆り出され、一家揃って砦に入った。砦では雑賀衆や根来の行人たちの食事の世話をして戦を支えた。

 おちかの両親は七山村の他の村人と同様、熱心な真宗の信者だった。今回の秀吉との戦いで本願寺は中立を保ち、信徒たちに対して戦には加わらないよう命じていた。

 法主にいわれるまでもなく、七山村の村人たちは、戦に巻き込まれることを避けたいと思っていた。信長との戦では、法主の呼び掛けに応じて石山本願寺に馳せ参じて大勢の犠牲を出した。もはや戦はうんざりだというのが、七山村の村人の大方の気持ちだった。

 だが、根来寺の勢力圏に入っている七山村の村人が、応援を求める寺の依頼を断れば、敵方と見なされて村が焼かれる恐れがあった。
 七山村では惣を開いて、村人の主だった者が策を練った。
 結局、後難を恐れて根来寺からの要請に不承不承、応じることになった。

 もちろん、和泉の農民の中にも進んで戦いに馳せ参じた者はいた。
 根来に土地を寄進し、根来寺の庇護を受けている名主らは、自らの利益のため、秀吉との戦いに積極的に参加した。
 自発的に根来の砦に入った者は、根来寺の勢力圏内にあった泉州南部の土豪に多かった。しかし、泉州北部との境の村では、七山の村人のように無理に駆り出された百姓も少なくなかった。

 四郎次郎は他の村人たちとともに鉄砲を持って砦を守った。おちかの母のなかは他の女たちと炊き出しや弾づくりに当たった。

 おちかの役目は幼い弟妹の世話と、怪我をした行人たちの手当だった。
 四郎次郎は内心、娘たちだけでも遠くの親戚に預けたいと考えていた。しかし、村の乙名(=指導者)の一人である者が自分だけ身勝手な振る舞いをすることはできなかった。

 巻き込まれた戦ではあったが、おちかの家族は砦でよく働いた。
 おちかも横たわっている行人衆の間を歩き回って手当をした。弱っている行人には湯や薬を与えて介抱した。

 十郎太は、おちかが傷の手当に来るのを待ち兼ね、なにやかやと話し掛けるようになった。
 おちかと十郎太は同じ年の気安さから、家のことや戦のことなども話した。

 そばで汚れた包帯を片付けているおちかの横顔を、十郎太は見つめている。きらきら光る目と、きりっと結んだ口元がいかにも、しっかりものらしい。髪は束ねて後ろで無造作にくくっているが、それがまたはつらつとして、よく似合った。

 おちかの話し方は快活で、声を聞いているだけで、十郎太も明るい気分になった。

 おちかは十郎太の包帯を取り替え始めた。
「痛い。もっと、ゆっくり巻いてくれ」
「辛抱して」
 おちかは、ぎゅうぎゅうと腕から肩へ包帯を巻いていく。十郎太は苦痛に顔を歪めながら耐えた。

「家へは帰らんのか」
 包帯を巻き終え、道具を片付けているおちかに十郎太がいった。
「家には、婆さまがいるから、いいの」
「たまには、家に帰って体を休めた方がいいのとちがうか」
 十郎太はおちかの体を気遣った。

 実際、おちかは疲れていた。岸和田での戦闘が始まってからほぼ二カ月、休みなしで働いている。
 毎日、次から次へと怪我人が砦へ担ぎこまれて来る。その手当と看護に追われ、食事をする間もないことさえある。だが、砦の人手は足りず、一日も休むことは出来なかった。
「けが人がいるから、仕方ないわ」
 おちかは諦めていた。

「十郎太」
 ふと、おちかが言った。
「何や」
「一体いつになったら、この戦の時代が終わるのかな」
「そんなことは、俺にも分からんな。物心ついたころから、ずっと戦の中に育ってきたさかい、戦のない世の中が思い付かん」
「もう戦はたくさん。殺したり、殺されたり。なんで殺し合うのかわたしにはわからん」
「それは、力ずくで相手を従えさせようとする奴がおるからや。相手を殺さずば、こちらがやられる。殺されずとも、土地に縛り付けられて一生こき使われる」
 おちかの不意の質問に、十郎太は当惑して答えた。

「御仏の教えはどうなるの。御仏は生き物を殺すなと言われているやないの。その御仏の教えを説く顕如上人自身が、信長との戦では門徒を戦わせた。そのくせ、宗門自体が危なくなると、平気で門徒を見捨てる。尤もらしい理屈をつけていても、みんな嘘ばっかり。戦は結局、自分たちのためでしかない」
 おちかは、怒っていた。

「本願寺と我々を、いっしょにせんでくれ。本願寺は雑賀や泉州の信徒を捨てたかも知れんが、根来寺はそんな事はせん」
 十郎太は、むきになって反論した。
 だが、おちかは納得しなかった。
「根来の人達もおんなじや。仏にお仕えする身やというのに、鉄砲で人を殺す。寺を守るため、護法のためというて、百姓の馬を連れていく。あげくの果ては百姓を砦に駆り出して、戦の手伝いまでさせる。百姓はどんなに困っていることか」

 十郎太は、おちかの声が他の行人に聞こえるのではないか、と気になったが、周りには誰もいなかった。
「そうやない。おれらは寺のため、仏のため、自分らと同じ百姓のために戦っている」
 十郎太はむきになって言い返した。

 そうはいったものの、おちかの言い分はもっともだった。自分も熊取で百姓をしていたときは、迷惑な戦を憎んだものだ。
 同じ百姓として、平穏な暮らしを邪魔されるいらだちはよくわかった。

「どっちにしても、わたしはもう、こんな血生臭い世の中はうんざり。早く戦が終わってほしい」
 ふだんは明るいおちかの顔が曇った。
 十郎太は黙っていた。

 二人は、黙って座っていた。砦の下から爽やかな風が吹いてくる。おちかは、苗代をつくる時期になっていたことを思い出した。
岸和田で、本格的な戦に入ってから三カ月が過ぎ、泉州にも米作りの季節が来ていた。
「ああ、もう田植えやな。うちの田んぼも、はよ水入れんと。わたしら百姓はやっぱり田んぼで働いてる時が一番落ち着くわ」
 そういうおちかの表情から、いらだちと暗い影はもう消えていた。

「ことしの田植えはどうするんや」
 十郎太が聞いた。
「戦が続いているうちは、できんやろうね。せっかく苗を植えても、踏みにじられるか、抜かれてしまう」
 おちかは諦めたようにいった。
「そうはいうても、食べるだけの米はつくらんと困るやろう。山の田なら敵にも気づかれん」
「田植えする人がおらん」
 おちかは悲しそうに答えた。
「俺が手伝いにいってやろうか。もう体も動かせるようになったし、ゆっくり動けば、苗を植えること位はできる」

 おちかの一家を、根来寺は無理やり砦に駆り出している。負い目に似た気持ちを十郎太は感じていた。
「おおきに。そやけど、その体では無理やわ」
「心配いらん。足はなんともない。手ももう、だいぶよくなった」
 十郎太は、手でひざを強くたたいた。

 実のところ、おちかには、十郎太の申し出がありがたかった。田植えができないのが、相当気になっていたのだ。

 七山村はいま男達が戦に駆り出され、村には年寄りと子どもしかいない。早く植えないと、水が枯れてしまうかもしれない。
 ためらったあとで、おちかはいった。
「そういってくれるのなら、来てもらおうかな。田んぼに水揚げしてくれたら助かる」
「任せてくれ。俺も田舎ではよく竜骨車を踏みにいった。小さな田なら、水をためるのに一刻もかからぬ」
「でも、勝手に砦を出てもいいの」
「どうせ、肩をやられて戦えん。村の手伝いをするんやから、文句いわれることはない」
「それなら、あした来てくれる?」
「わかった」
 十郎太はうなずいた。

                 ◇

 翌朝、十郎太は砦を出た。
 七山村は千石堀砦から西に二里ほど離れたところにある。岸和田の戦場から遠く、敵の兵がそこまで来るとは考えられなかった。
 戦もいつかは終わる。村に帰ってきたときに、食糧がなければ飢え死する。わずかでも食べ物を確保する必要があった。

 村の入り口の神社で、おちかが待っているはずだった。
 千石堀砦から七山村にかけての一帯は、和泉守護と根来寺側の勢力圏の境界にあり、この地をめぐって勢力争いが繰り返された。

 村では、自分たちを守るため、様々な手を尽くした。
 どちらの勢いが強くなっても、一方の側につくことはしなかった。どちらかの兵が進駐してくると黙って迎えた。抵抗はしないが、歓迎もしなかった。
 兵の駐屯が長くなり生活に影響が出ると、金や米を供出して村を出てくれるよう頼んだ。
 時には、「逃散(ちょうさん)」と称し、村を挙げ他の村に避難することもあった。
 今回も七山村の惣では、根来寺の座主に金銭を贈って根来方の陣取りをやめてもらうように頼んだ。
 だが、根来の惣分(=合議組織)は強硬だった。大衆詮議で泉州出兵を決めた以上、座主といえども意のままにはならない。根来勢は七山村にも陣取りしたばかりか、砦に詰めるよう村人に強制した。

 これまでにない根来の強硬姿勢は、今回の秀吉との戦が根来側にとっても死活的意味を持つことを物語っている。
 かつては帰属のはっきりしなかった七山村も、三好一族が畿内を追い出されて以来、ここ十数年は完全に根来の勢力圏に入っている。
 万一の危険を考えて、十郎太は刀のほかに弓矢も携えていくことにした。

 十郎太は千石堀砦を出た。
 周りには一面に田んぼが広がっている。どの田も耕されず、黒い土に青草が広がっている。
 砦から歩いて丘をいくつか越えると、苗が植わった水田がぽつぽつと見えてきた。
 苗が規則正しく植えられている青田の上を、風が苗をなびかせて渡っていく。
 田の面には、小さな水草が浮かび、ミズスマシが円を描いている。
 畦道を歩くと、田の縁を泳いでいた小さなおたまじゃくしの群れが驚き、尾を振って苗の間に逃げた。
 まだ短い苗の上を黒いイトトンボが飛び回っている。遠くの田では、白いコサギが長いくちばしで、泥田の中から餌をあさっている。
 数里離れた岸和田で、血みどろの戦が行われているとは、とても信じられない、のどかな田園風景だった。

 田んぼのわきの小川を、澄み切った水が流れている。メダカが群れをつくって川上に泳いでいく。
 水の底で白い小さな花を付けた水草がなびいている。タニシやカワニナが底にたくさん散らばっているのが見える。初夏になれば、この小川のほとりにも、ホタルが飛び交うのだろう。
 十郎太は、幼いころ、初夏の夜に親戚の子供達といっしょに、家の近くの小川にホタルをとりにいったことを思い出した。

 雨あがりの日だった。草の葉に残った水滴に足を濡らしながら、暗い川べりを歩いていくと、川の岸に生えた木の葉陰に、無数のホタルがとまり、青白い光を明滅させていた。川べりの草の葉の上でもホタルが光っている。
 闇の中に光の帯を描いて、川の上をホタルが飛び回っている。中には力尽き、水に落ちて光りながら川下に流されていくホタルもあった。それは子供心にも幻想的で美しく、はかない光景だった。

 子供時代に戻ったような、懐かしい気分になりながら、十郎太は川上に向かって、どんどん歩いていく。所々で、老人や子供達が竜骨車を回し、川から水を田んぼに汲み上げているのが見える。

 竜骨車は、川より高いところにある田んぼに水を汲み上げるため、中国で考え出された灌漑のための道具である。室町時代に日本に伝わり、後々まで使われた。
 竜の骨のように並んだ木製の羽根板を川の中に入れ、上部の車輪を手や足で回すと、羽根板の列が装置の中をぐるぐる回って、川の水を田に汲み上げるようになっている。
 竜骨車を回している男達は、しゃべりながら足を動かしている。別の田では、二人の男が、長い紐をつけた木桶を使って川から水を田に汲み上げている。

 この小川は近木川の水を樋(ひ)で引いてきている。溜め池を掘って、そこから水を引いている小川もある。
 泉州は雨が少ないので、昔からどこの村でも大きな溜め池を掘り、水をためていた。
 十郎太の故郷の熊取庄でも、山の中や田んぼの中に大小いくつもの池が点在していた。こどもの頃は、よく池で泳いだり魚を釣ったりして遊んだ。

 池や川からは、大木をくりぬいて作った樋で水を用水に引いている。
 樋は台風の時などよく流された。熊取庄でも大雨のあと近隣の村々の村人が総出で、流された樋を探しにいった。引き上げた樋は修理をして再びもとの位置にはめ込まれる。
 作業が終わると、樋のあった村が手伝いにきてくれた隣村の村人達に酒や肴を出し労をねぎらった。
 米作りにとって水は命である。豊富な水がなければ米はできない。この貴重な水を確保するため、どこの村も苦労していた。
 ときには、水がもとで隣村の人間と命懸けの水争論(みずそうろん)になることもあったが、ふだんは、ともに水を確保するため協力しあった。

 新しい田を開墾するには、池を造り水を確保する必要がある。
 池が出来たあとも、毎年一回は泥が溜まった池の底をさらい、数年に一度は、樋を作り変える必要もあった。
 池の底をさらったり、大雨で流された樋を探したりすることを通じて、隣村の百姓達は連帯した。