二人は峠を下りていった。石の露出した道を少し下ると、再び周囲は木ばかりになった。雑木林が柔らかい風にそよいでいる。ミズナラの木の葉が白い葉の裏を見せて波打っている。ヤマブキが黄色い花を揺らせている。ヒヨドリが、かん高い叫び声を残して木から木へと移っていった。
山道を下りて行くにつれ、木はまばらになり、やがて林が切れて視界が開けた。
青草が生い茂った田が、道の両側に広がっている。正面には根来寺の大門が見える。大門の周りには数多くの店や、僧坊、伽藍が軒を接して立ち並んでいる。手前にある大池は、静かに水をたたえ、遠くには陽光を受けて光りながら、ゆったりと流れる紀の川が見えた。
若左近が根来寺へ来るのは父親の三回忌に来て以来、五年ぶりだった。
百姓だった若左近の父親は、若左近が九歳の時、根来寺の夫役(ぶやく=労役夫)に駆り出され、和泉守護側の地侍との抗争で鉄砲に当たって死んだ。根来寺からは家に父への感状が届いたが、残された家族には何の補償もなかった。母親は若左近とその弟の二人を抱え、夫が残したわずかな田を耕して二人を育てた。
大伝法堂で行われた父の法要には、若左近と母親の他に親戚の者十人ばかりが出席した。
本尊の大日如来の前にかしこまった一同を前に、数人の僧侶が長々と経を読んだ。堂内は薄暗く、ろうそくを灯した祭壇の厨子だけが明るく浮き上がっていた。
うるし塗りの仏具が鈍く光り、単調な読経の声と線香の匂いが眠気を誘った。読経はいつ終わるともなく続いた。
長い法要が終わったときは、若左近の足はしびれて立てなかった。
法事が終わったあと、一同は成真院で精進料理の遅い昼食をとった。
信長に味方して根来が参戦した雑賀合戦の直後で、成真院の中は落ち着かない雰囲気だった。僧坊の中には、怪我をして頭や手足に包帯を巻いた行人たちが寝かされ、壁にかけられた鉄砲や弓矢、長刀などが、緊張感を漂わせていた。院主の道誉は関東の北条に請われ、鉄砲を教えに行って不在だった。
紅葉が赤く色づいた参道と多宝塔は美しかった。しかし、若左近も母も紅葉を愛でているゆとりはなかった。父を亡くして、これからの生活の不安が頭の中にあった。
暗い気持ちで若左近と母親は根来を後にした。若左近は、年月がたった今もそのときの心細さを覚えていた。
◇
戦乱は今も続いている。
破竹の勢いで畿内を制し、天下統一は目前と思えた織田信長は、天正十年(一五八二)六月、京都本能寺で思いがけなく家臣の明智光秀に倒された。
伊勢長島の戦いや叡山焼き討ちで、大勢の人間を殺した仏罰だと人は評した。
その光秀も、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、三日天下に終わった。
信長の跡目を狙う秀吉は、畿内支配へ向けてすぐに手を打った。要所である難波の石山と堺を確保するため、中村一氏を岸和田城に置き、泉南に知行を持つ根来寺を牽制した。根来寺は、領地を脅かす秀吉の動きに危機感を抱いた。
秀吉は、本能寺の変で信長に殉じた嫡子信忠の子の三法師を後継者に立て、その後見人として実権を握ろうとした。これに対し、織田家宿老の柴田勝家は信長の三男北畠(神戸)信孝を擁して、秀吉と対立した。
秀吉と勝家の確執は高まり、いまや一触即発の状態にある。このような情勢の中、根来寺は勝家との同盟を探る一方で、和泉の守りを固めた。
根来寺の惣分(=指導部)は、行人方の旗頭に命じて新たに兵を募った。主家が没落した浪人はもちろん、戦をしたことのない百姓の若者も駆り集めた。成真院も本家の中家に頼んで和泉の若者を集めた。
道誉の活躍にあこがれていた若左近は、喜んで中家の誘いを受け入れた。
しかし、若左近の母親は息子が根来の行人になることに強く反対した。父親のように死なれるのを恐れた母は怒り、若左近に思いとどまるよう、涙を流してかきくどいた。だが、若左近の意志は固かった。本家である中家の当主が、日参して母親を説得するに及んで、母親もついに諦めた。
十郎太もまた進んで、行人への誘いに手を上げた。十郎太は両親が病気で早く死んだあと、父方の叔父夫婦に育てられた。貧しい義父母はむしろ、十郎太の一人立ちを喜んで送り出した。
◇
若左近と十郎太は山道から麓の道に下りた。遠くに小さく見えていた山門は、近付くにつれて大きくなり、その真下に来たときには見上げる程の高さになっていた。
二層の瓦葺きの建物は黒ずんでどっしりと重々しく、上層の庇(ひさし)には流麗な墨跡で「一乗山根来寺」の文字が一字ずつ、巨大な六枚の額に書かれて掲げられている。庇には、鳩が巣をつくり、屋根との間をしきりに飛び交っている。殺生禁断の地で、のんびりと暮らしているらしく、舞い下りてきた鳩は、人が近寄っても、いっこうに逃げようとしなかった。
大門の下の両側の連子格子(れんじごうし)の中では、一対の金剛力士が両方の掌(たなごころ)を広げて憤怒の形相を見せ、法域を侵そうとするものを威嚇している。
それは三年前ここへ来たとき、根来寺の境内や成真院の中で見かけた、荒ぶる行人たちの姿を思わさせた。
合戦から帰ってきたばかりの行人たちは見るからに猛々しく、まだ血の匂いを漂わせているような殺伐とした雰囲気を漂わせていた。しかし、その荒々しさが、かえって若左近には好ましく思われた。
子供の時から若左近は、慈悲の表情をたたえた観音菩薩や、柔和な地蔵菩薩より、恐ろしさを感じながらも、怒りをむき出しにした金剛力士像や、利剣と索条を手に牙をむく不動明王が好きだった。
若左近の目には、いま、目の前で怒りに髪を逆立て、渾身の力を込めて仏敵に立ち向かおうとする金剛力士像が、これから行人になろうとしている自分たちの守り神のような気がした。
戦を本分とする行人にとっては、慈悲の仏は縁遠い。むしろ、これらの怒る仏達が、自分たちに何よりも似つかわしい本尊であるように思えた。
◇
大門の前には門前町が広がっている。石屋や経木(きょうぎ)屋、仏具香華(こうげ)を商う店、参詣人に湯茶を接待する茶店に混じって、根来塗りの塗師(ぬし)や弓矢を作る職人の店があった。
通りを商人や僧たちが忙しそうに行き来している。
後ろから大きな傘を差し掛ける弟子を連れて、紫色の法衣を着た高位の僧が、町の方へ出掛けて行く。
鉄砲を肩に担いだ行人の一団が隊伍を組んで早足に歩いて行く。寺の境内全体が忙しく、活気にあふれていた。
根来塗りの店の前には、まだ漆を塗っていない白木の銚子や椀、盆、杓子などが木箱に入れられ、積み重ねられている。店の中では大勢の職人が、木の桶に入れた黒漆を、へらや刷毛を使って、忙しそうに白木の椀に塗り付けていた。
漆を塗られ、つやつやと光る器は大きな木の板の上に並べられている。部屋の中が乾燥しすぎないように、七輪に載せられたやかんが湯気を立てている。
三和土(たたき)を隔てた、もう一方の仕事場では、職人達が黒漆の乾いた器に、さらに朱漆を塗り重ねていた。だれも物をいわず、黙々と仕事を続けている。長年の漆塗り作業で、床から柱まで黒々と光っている。
根来塗りは、もとは僧侶が使う質朴な道具だったが、丈夫で使いやすいため、次第に普通の家でも使われるようになり、今では日本中に知られた根来の特産物となっている。
長年使って表面の朱漆がはげ、中塗りの黒漆が見えているのが、味わい深いとして茶人に珍重された。いまではわざと朱漆を研ぎだして黒漆を浮き出させている。
ここで作られた根来塗りの漆器は商人たちによって日本中に運ばれている。
二人は弓師の店にも入った。ここでは職人たちが長く切った竹の板を三枚たばねて、にかわで張り合わせる作業をしていた。
張り合わせた竹は、紐で堅く結んで完全に乾くまで、重しを乗せておく。数日後、一枚の板のようになった竹を火にあぶって曲げ、握り部分につるを巻き付ける。
通りから離れた方角から、カンカンと金属を打つ騒がしい音が聞こえてきた。音に引かれて、二人はそちらの方へ歩いていった。
近付くにつれて、音はますます大きくなっていく。やがて、二人は周りを高い土壁に囲まれた建物にぶつかった。音はその建物の壁に開けられた、小さな窓から聞こえてくる。
若左近はしばらく、まわりを見回していたが、やがて近くに落ちていた大きな木切れを拾い始めた。そして、その板を壁に立て掛け、上に足をかけて登ろうとした。窓から中をのぞきこむつもりだった。
「やめよ。見付かれば咎(とが)められよう」
「心配はいらぬ。ちょっとのぞくだけじゃ」
若左近は窓枠に手をかけ、腕を曲げて軽々と体を持ち上げ、窓の中を覗きこんだ。
◇
窓の下では、薄暗い明かりのもとで大勢の裸の職人が熱気の中、鉄(くろがね)を溶かし、鍛えていた。職人たちは何か長い棒を作っている。目が慣れるにつれて、それはやがてはっきりとした形をとってきた。それは、成真院の行人たちが持っていたものと同じ鉄砲だった。
「おう、ここは鉄砲鍛冶じゃ。中で鉄砲を作っておるぞ」
振り向いて、下にいる十郎太に話しかけた若左近の目が驚きで急に広がった。
「なんじら、そこで何をしておる」
いつの間に来たのか、一人の男が十郎太の背後の十間ほど離れたところに立っていた。下の十郎太も驚いて振り向いた。
男は両手に握った黒光りする棒をこちらに向けている。それは、火縄のくすぶっている本物の銃だった。
二人の顔から、みるみる血の気が引いた。若左近は窓に掛けた手を離し、下に飛び降りた。足をかけていた木切れが音を立てて倒れた。
「なんじら、何をしておる」
男は押し殺した声で、同じ問いを繰り返した。
「中で何をしているのか見ていただけじゃ」
若左近の声が震えている。
「なんじらは大坂方の間者か」
鋭い目付きで、男は二人をにらみつけた。
髪を長く伸ばし、髭を蓄え、黒い法衣の帯に刀を差している。二十五、六歳の長身の異様な風体の男だった。
「違う。わしらは根来寺の行人になりに来た」
若左近が顔を強張らせて弁解した。
男は銃を二人に向けたまま、なおにらみ続けている。
「成真院の道誉殿のところへ行くところじゃ。うそと思うのなら、ついて来られよ。そうや。ここに道誉殿に当てた書状がある。これを見よ」
若左近は、ふところから一通の書状を取り出して男に差し出した。それは、熊取の庄の中家の当主から、道誉にことづけられた手紙だった。
男の目に一瞬当惑の色が浮かんだ。男は左手に銃を持ったまま、差し出された書状を右手で受け取った。男は書状の宛名を確かめたあと、銃を下に下ろした。
「よしわかった。なんじらのいう事は、どうやらまことらしい。道誉殿はわしもよく知っておる」
十郎太は足の力が一度に抜け、座り込みそうになった。下向きになった銃口が無気味に暗い穴を覗かせている。若左近は男をにらんでいる。
「よし、行け。されど、これからは気をつけよ。いま少しで撃ち殺すところだった」
男は怒ったような口調でいった。
二人はあわててその場を離れると、表通りの方角に向かって歩きだした。
◇
「おい、しばし待て」
五、六歩歩いたところで、後ろから呼びとめる男の声が聞こえた。
二人が振り向くと、男はまるで別人のように、柔和な表情で笑っていた。
「おぬしら、鉄砲がそんなに珍しいのか。それなら、おれがこの中を案内してやろう」
男は親しげにいった。
予想していなかった男の申し出を二人は受け入れた。警戒心より銃への興味が強かった。
男は根来寺の行人、小密茶坊と名乗った。小密茶坊は、鉄砲の修理に来て、たまたま二人を見付けたのだという。小密茶坊は、道誉とほぼ同じ年頃に見える。
打ち解けて話すと、なかなか気さくな男だった。
小密茶坊は鉄砲を片手に握ったまま、先に立って歩いていく。若左近たちも後に従った。
小密茶坊は、鍛冶屋の裏口にまわると、木戸を勝手に開けて中に入った。若左近と十郎太も続いた。そこは先ほど若左近がのぞいた仕事場だった。
「この家は、根来で初めて鉄砲を作った芝辻清右衛門の分家に当たる鉄砲鍛冶ぢや。ここの鉄砲はよく当たるゆえ、いまでは日本国中で使われておる」
仕事場ではちょうど、銃身に使う鋼の鍛造が行われているところだった。三人は立ち止まって作業を見た。
頭に烏帽子をかぶった、親方らしき職人が、炉の中から、真っ赤になった鉄の塊を、やっとこでひきだし、かなてこの上に載せて小槌で打つ。それに合わせて上半身裸の若い職人が、大きな槌を振り下ろす。火花が飛び散り、鉄の塊はみるみる長く伸びていく。
一尺程まで延ばすと、それを折り曲げ、また槌で打ち延ばした。空気に触れて黒ずんでいた表面が破れ、鉄塊は再び赤々と輝く。
鉄塊が冷えると、再び炉の中に入れて焼き直す。この作業を二人は何度も繰り返した。二人の額から汗が流れ落ちる。苦しい根気のいる仕事に見える。
「鉄砲の材料は、刀と同様に、砂鉄から採った玉鋼(たまはがね)を使う。ああやって何遍も繰り返し鍛えておかぬと、撃ったときに銃身がはじける。初めのころはそれで命を落とす者も多かったそうな」
熱心に見詰めている若左近たちに、小密茶坊が説明した。
向こう側の仕事場では、鍛えた鉄を心棒に巻き付ける仕事をしている。鉄を細く延ばし、銃の口径と同じ大きさの鉄の心にぐるぐると巻き付け、それをもう一度炉で赤く熱して、鉄の継ぎ目が消えるまでたたく。
心棒の周りの鉄が完全に一つになると、周りを六角形に整え、最後に、真ん中の心棒をたたき出して筒にする。筒の中の空洞をまっすぐに開けるには、高度な技術が要る。
壁にはねじを切る道具や金のこぎりなどが、数多く掛けられ、騒音の中で、裸の職人達が汗を流しながら、忙しく立ち働いていた。
「あそこでやっているのは、銃身の空洞に雌ねじを切って、銃底の雄ねじを付ける作業だ。ねじで銃身をふさぐ方法が、種子島の職人には最初わからず、悩んだという。それで八板金兵衛という職人が、南蛮人に娘を貢いで漸う(ようよう)、その方法を教えてもらったという話が伝わっておる」
若左近と十郎太は黙って聞いている。
◇
職人たちは仕事に夢中で、だれも三人のことを気にする者はいない。仕事場の中は、鉄を打つ音が響き、耳が痛くなるほどだった。小密茶坊は大声を出して話し続ける。
「これは銃身に火皿を付くる作業。これが銃の一番大事な部分で一番細工が難しい。ちっと狂っただけで、銃身の中の火薬に火が着かず、弾は飛びださぬ」
「あそこでやっているのは銃身の先と元に目当て(=照準)を付くる作業。ほかの部分がいかによく出来ていようと、肝腎の目当てが狂っておれば弾は当たらぬ。小さいが、これも大事なところである」
銃の製造工程と仕組みを、小密茶坊は実によく知っていた。
三人が作業を見ている時、奥の方から烏帽子をかぶった番頭風の男がやってきた。男は三人に近付くと、烏帽子を取って挨拶した。
「これは小密茶坊。よくぞ来られた」
「おお、清左衛門殿か。無沙汰しておった」
小密茶坊は、男の方を向いて親しげに答えた。
「今日は何のご用でございますか」
「鉄砲の火縄挟みがゆるんで、うまく挟まらぬ。見てくれるか」
小密茶坊は、片手に持っていた鉄砲を番頭の方に差し出した。鉄砲は手垢で黒く光っている。
番頭は、その場でしばらくカチャカチャと鉄砲の引き金や火縄挟みを動かしていたが、やがて顔をあげた。
「火縄挟みにひびが入っているようでございます。しかし、大した障りではございませぬ。じきに部品を取り替えましょう。待っていて下され」
そう言い残し、番頭は鉄砲を持って奥に入って行った。
そばで鋼を鍛えていた親方と職人が作業をやめて一息入れている。若い職人は汗を拭き拭き、茶瓶に口を付けて水を飲んでいる。赤く焼けた肌から塩が吹き出している。親方は、細長い炭をつかんで炉の中から火を取り出すと、きせるのたばこに火をつけた。暗い仕事場の中で、炉とたばこの火が赤く光っている。
番頭はすぐには帰ってこなかった。
小密茶坊は若左近たちの方を振り向いた。
「鉄砲が南蛮から渡ってきたことぐらいは、なんじらも知っておろう。では何ゆえ根来の鉄砲が日本国中に知られるようになったか、知っておるか」
「知らん」
若左近は頭を横に振った。
「では教えてやらう」
小密茶坊はそういうと、鉄砲が根来に伝わった由来を語り始めた。
◇
鉄砲は天文十二年(一五四三)、種子島に漂着した中国船に乗っていた南蛮人によって日本にもたらされた。
この年八月二十五日酉(とり)の刻、種子島の西村の小浦に一隻の大船が流れ着いた。
船の乗客は百余人。島の役人が船客の一人の明国人と砂に漢字を書いて筆談したところ、乗客のうちに「西南蛮種」の商人がいることが分かった。
紅毛碧眼の南蛮人の長(おさ)二人は常に手に一物を握っていた。鉄(くろがね)でできた棒で、先に穴が開いていた。棒の根元には、ばね仕掛けの火縄が付いていた。
長が鉄棒を両手で支えて、右の手の指で引き金を引くと、雷電の光とともに轟音を発し、同時に遠くの岩山が砕け散った。
これが日本人の初めて見た鉄砲だった。役人は南蛮人を丁重に城に迎えた。
鉄砲の威力に驚いた島の領主、種子島時尭(ときたか)は、大金を出して南蛮人から二丁の鉄砲を買い取り、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて同じ物を作らせた。
別の者には銃に詰める火薬の製造も学ばせた。金兵衛は苦労して、鉄砲の製造に成功した。
当時、堺商人を通じて中国との貿易をしていた根来寺は、新式の武器が種子島に伝来したことを噂に聞いて、すぐに動いた。
根来寺は、杉の坊の実家で那賀郡小倉庄の津田家当主、津田堅物に鉄砲の入手を依頼した。
堅物は自ら種子島に渡り、種子島家との交渉の末、千金を払って一丁を入手することに成功した。
堅物は、持ち帰った鉄砲を根来寺の門前に住んでいた堺出身の刀鍛冶、芝辻清右衛門に渡し、同じ物を大量に作らせた。これが日本に鉄砲が広められた最初であったという。
その後、鉄砲は堺の商人、橘屋又三郎(鉄砲又)によって堺でも作られるようになった。また、近江の国友村でも製造されるようになる。こうして伝来から数年で、鉄砲は急速に全国に普及した。
槍で知られた根来寺の行人は、大量に作られた鉄砲で武装するようになった。
新式の武器を得た行人の戦闘力は飛躍的に高まった。各地の武将たちは、根来寺に近付き、応援を求めた。根来の行人たちは乞われて各地に派遣された。根来寺の勢力が急激に膨張したのは、この一丁の火縄銃の故である。
◇
小密茶坊の話を二人はじっと聞いていた。
「お待たせいたしました」
奥から親方が鉄砲を持って現れた。
「火縄挟み、取り替えておきました。小密茶殿はちょっと強薬(つよぐすり)を使いすぎではありますまいか。いくら、弾をできるだけ遠くに飛ばしたいといえど、あまり強い火薬を使いすぎては、鉄砲が傷みまする。もう少し玉薬は少なめにされた方がよろしいかと存じます。ところで玉薬の方はまだ足りておりましょうか」
親方は小密茶坊に鉄砲を手渡した。
「玉薬はまだ仰山ある」
小密茶坊は親方から鉄砲を受け取ると、しばらくあちこち触っていたが、満足したらしく、
「幾らかな」と聞いた。
「ご心配は無用でございます。いつもひいきにしていただいている小密茶殿のこと。お代はいりませぬ」
番頭は手を横に振った。
「そうか。悪いな」
小密茶坊は親方に礼をいうと、また若左近たちの方を向いた。
「鉄砲の出現により、戦のやり方は昔と全く変わった。昔はまず初めに大将同士が一騎打ちしたが、今ではそのような悠長なことは誰もせぬ。今では鉄砲衆が戦の花。鉄砲が勝敗を決める」
小密茶坊は、愉快そうに笑った。
「それではおれは行く。また、寺で会おう」
若左近たちを残したまま、小密茶坊は出ていった。
「道誉殿が待っておるぞ。そろそろ行かねば」
鉄砲鍛冶の親方と職人が再び槌を取って仕事を始めたのを汐に、十郎太は若左近を促した。若左近はもう少し作業を見たかったが、十郎太の言葉に従った。
二人が店を出て、大通りに向かった後も、鋼を打つ音はしばらく聞こえていた。