重い足取りで、若左近たちは積善寺砦への道を進んだ。暗闇を敵の襲撃を恐れて松明もつけず、黙々と歩む行人たちの行列は、まるで墓場へ向かう葬列のようだった。
大日如来の旗も、結局は死体を包むことにしか役立たなかった。
「戦に神も仏もない。自分の腕だけが頼りだ」
道誉の言葉が正しかったことを、若左近は実感した。
松林を出ると、一面に田んぼが広がっていた。田と田の間に小川が流れ、田の水面に星明かりが凍っている。前を行く行人の火縄の火が光っている。戦闘の興奮が過ぎると、急に寒気が襲ってきた。
部隊は田のあぜ道を進んだ。何人かが足を滑らせて泥田に落ち、泥だらけになった。これまでに経験したことのない、敗残の惨めさを行人たちは身にしみて感じていた。
足を引きずってたどり着いた積善寺城には、先に戻った行人が溢れていた。
若左近たちの後からも疲れ切った行人が、次々に帰ってきた。どの顔も生気がなかった。
彼らは砦に入ると、物も言わず倒れて横になった。
握り飯が配られた。腹をすかせていた行人たちは、奪うように受け取り、物も言わずにひたすら食った。
彼らもまた、堺から引き返す途中、潜んでいた中村一氏軍の奇襲を受けたという。
応戦しているところを、大坂から追ってきた黒田長政、生駒親正らの兵に背後から攻められて、大きな損害を受けた。
あやうく全滅するところを、必死で反撃し脱出した。生き残った行人たちは、そのときの恐怖を話した。
弔いが始まった。鎧を着たままの若い学侶が椅子に腰掛けて経文を読むと、他の行人衆たちも立ったまま唱和した。
「観自在菩薩行深(かんじざいぼさつぎょうじん)、般若波羅蜜多時(はんにゃはらみたじ)、照見五陰皆空(しょうけんごおんかいくう)、度一切苦厄(どいっさいくやく)…」
(観自在菩薩が知恵を深める行をしているとき、人間の身体をつくる五要素はすべて実体がないことを悟り、一切の苦しみを除いた)
もう何度も聞いてきた般若波羅蜜多心経が身に沁みた。まことに現世は空しい。
冷たい風が松明を揺らせ、祭文を読んでいる僧の顔の上を松明の影が動く。その表情は硬く、目は虚空を見詰めている。
学侶の中にも戦に参加している者がいる。彼らは自ら武器をとって戦い、戦死者の供養を買ってでている。
戦の意味を全く認めぬ定尋とは違う、と若左近は思う。
しかし、一方で若左近は定尋のいったことの正しさも認めざるを得なかった。
「人を滅ぼす者は、いつか自分も滅ぶ」
定尋の言葉が実感として思い出された。
読経の声を頭の隅で聞きながら、若左近は考えに耽っていた。
道誉の死はあまりにもあっけなかった。
たった一発の五匁ばかりの鉛の小さな銃弾が、根来一の荒法師といわれた男の命をあっさりとこの世から奪い去ってしまった。
さっきまで大声で行人を叱咤していた男が、いまは血に汚れた肉の袋になって横たわっている。何の言葉も残せなかった。
道誉が死に、自分が怪我だけで助かったのは、ほんの偶然にすぎない。たまたまいた位置が、幽明界を隔てたのである。
若左近は、自分たちを動かしている偶然と運命の力を感じた。
法要の間、主だった者たちが幕屋の中で軍議を行っていた。
道誉が撃たれた直後にきて、遺骸に手を合わせた道場坊祐覚も加わっている。
大坂を破却し、京都に攻め上ろうという計画が挫折した今、どう動くか。早急に策を練り直す必要があった。
尾張から帰った秀吉軍が攻めて来れば、今日の戦いで大きな打撃を受けた根来側の砦は、壊滅的な敗北を蒙ることは明らかである。
根来惣分の指示を求めて、積善寺砦から根来寺に使者が出された。
馬に乗った使者は、少し開いた砦の虎口から外に飛び出すと、ひづめの音を響かせて遠ざかっていった。
法要が終わった。死者は戸板に乗せられて砦の一角に運ばれ、埋められた。
若左近は積み上げてある死者の持ち物のなかに、見覚えのある道誉の胴乱を見付けた。革で作ったキキョウの紋入りの胴には、血がこびりついて乾いている。
この胴乱は、小物の好きな道誉が鉄砲商の芝辻の店で特別に作らせたものだ。上等の猪の革で作られ、牡丹の浮き彫りが施された胴乱は道誉の自慢で、よく油をつけて手入れしていた。
胴乱のそばには、やはり道誉の小刀が置いてあった。
この小刀も若左近には、なじみ深い品だった。道誉が子供のころ、父親から貰い肌身離さず身に着けていたものだ。
「さあ、気を取り直してあすの戦に備えよう。まあ一杯飲め」
法要の後の食事で、行人が酒の入った大徳利を差し出し、皆に勧めた。
若左近も徳利を受け取ると、かわらけについで一気に飲んだ。
酒の勢いで、肩の痛みも薄れてきた。弾は肩を傷つけたが、致命傷ではなかった。
松明の光の下で、行人たちは食事をとった。
皆が黙々と口を動かしているとき、行人の一人が何かに気付いた様子で、急に立ち上がり壁に近づいた。鉄砲狭間から外の闇に目を凝らしている。
「壁の外に敵が隠れている」
行人は小さな声で他の者に知らせた。
敵に気付かれないよう、若左近はそっと鉄砲狭間から外をのぞいた。砦の下の方の木の根元で、黒い影が動いていた。
黒い影は木の陰に体を隠しながら、ゆっくりと砦に近付いてくる。砦の様子を伺いにきた中村一氏の斥候らしかった。
若左近は左肩の痛みをこらえながら、銃を取り上げ、鉄砲狭間から外へ突き出し、動いている黒い影に狙いをつけた。
若左近の手が止まった。
《ドーン》
耳をつんざく轟音が響き、銃が火を吹いた。
同時に黒い影がつぶれたように大地に横たわって、そのまま動かなくなった。
「しとめた」
隣の狭間から、外を見ていた若い行人がいった。
黒い影が動かなくなった近くの茂みから、もう一つの影が飛び出した。そばにもう一人隠れていたのだ。
若左近は、自分の銃を下におろした。そばにいた行人の銃を借りると、急いで狙いを定め、逃げていく人物を撃った。
だが、すでに敵は遠く離れ、弾はそれた。
堺での焼き打ちの時に感じた、人を殺すことへのためらいは若左近の心の中から消えていた。
怒りに燃えた目と激しい形相は、炎のなかで叱咤していた道誉と似ていた。
若左近はまるで自分に不動尊が乗り移ったように、体中に力がみなぎるのを感じた。
「たとえ自らが殺生の罪を犯し、悪趣に落ちようとも、それで人を救うことが出来れば、これもまた菩薩行といえよう」
大日経を説く座主の言葉が思い出された。若左近は鉄砲を握る手に力を込めた。