大衆詮議

 書状が回されている間、明算は考えを巡らせていた。

《家康と手を組めば、必ず秀吉との間で戦になろう。しかし、そうせずとも、早晩秀吉との争いは避けられない。秀吉が泉州から根来、雑賀の勢力を除くため紀州発向を考えていることは疑いない。閼伽井坊がいうように、このまま手をこまぬいて見ていれば、必ず秀吉は軍を起こし、根来に攻め入るだろう。結局のところは家康に同心せざるを得ないのかも知れない。それにしても、あの男がどこまで信頼できるものか》

 明算は、家康の下膨れの顔と牛のように茫漠とした表情を思い出す。その無表情の下に、どのような考えが隠されているのかは全く読み取れないのだ。

 明算は、今まで数多くの戦で約束や同盟が平気で破られるのを何度も見聞してきた。
 神仏に誓った誓紙が平気で反古にされる。

 三好三人衆は、信長と結んだ家臣の松永弾正に裏切られた。松永弾正もまた、信長に背いて殺された。
 人間同士の誓約という物がいかに頼りなく、また壊れやすいものか。明算にはよく分かっていた。
 もちろん、いまさら、そのあやふやさや不確かさを嘆くつもりはない。生きるか死ぬかの戦国の世を渡って行くためには、裏切りや嘘もやむをえない。しかし、そのために自分達が滅びることだけは避けねばならない。

 秀吉を敵に回して勝てばよいが、負ければ間違いなく滅亡が待っている。
 秀吉の力量を知っている明算にとって、秀吉と敵対することは、できれば避けたかった。しかし、もはや判断を遅らせることは出来ない。根来寺として家康に同心するかしないか、決めなければならない。

 書状を読み終わったものは腕組みし、天井を見あげて考えこんでいる。かれらもまた、突き付けられた選択の重みに動揺しているようだ。

 突然、軒下でけたたましい鳴き声がした。座にいた者たちが、驚いて見上げると、軒下のくもの巣に一匹のセミが引っ掛かって暴れていた。
 セミが暴れるたびに、糸はますますセミの体に絡み付いて行く。やがてセミが全く身動き出来なくなり、静かになった時、いままで軒の柱の陰に隠れていた大きなくもが、のっそりと姿を見せた。

 黄色に黒い縞模様の入った女郎ぐもは、八つの長い足を交差させて、巣の上をゆっくりとセミに近付いていく。糸の揺れで何かが近付いてきたのを感じたセミは再び狂ったように鳴きわめいた。
 くもは、しばらくの間、用心深くセミの周りをまわっていたが、急に動きを止めたかと思うと、次の瞬間、牙のある口を開き、縦糸を伝ってセミに襲い掛かった。
「ギー」
 セミはもう一度激しく鳴いて、すぐに静かになった。
 明算は、視線を座敷に戻した。

「方々、読んでいただけたでしょうかな」
 書状が一通り回覧されたのを見計らって、紀忠雄がいった。
「大事のこと故、この場ですぐにご返事を戴こうとは、井上殿もお考えになってはおりませぬ。それぞれ書状の中身をお持ち帰り、他の衆とも十分に詮議された上で、御返事を賜りたいと存じます。家康殿はこれまでに佐々成政殿、長曾我部元親殿にも、同心を求める書状を出され、内諾を得たと承っております」

「徳川殿はもはや、秀吉と戦われる腹を決められたのか」
 太田党の一人が、謹厳な表情を崩さず、正面を見据えている井上主計頭に向かって聞いた。
「それは皆様のご決断次第でございます。何といっても秀吉は強敵。そう易々と敗れる相手ではありませぬ。家康様が今一番必要なのは秀吉の鉄砲隊に十分対抗できる強力な鉄砲衆、即ち貴殿ら紀州勢のお力なのでございます」
 井上主計頭は、頭を下げて答えた。

 二日後に再度集まることを約して、会合は終わった。皆は黙って立ち上がった。
 紀忠雄は主計頭とまだ、なにやら話し合っている。明算は、何かしら重いものが、肩にずしりと、のしかかっているような気がした。

 廊下に出るときに、明算は先ほどセミがかかった軒下のくもの巣を見た。すでに、セミの血を吸い取ったのか、くもの姿はなく、糸に巻かれたセミの死骸が、ゆらゆらと風に揺られていた。

              ◇
               
 根来寺の大伝法院で大衆詮議が行われたのは、明算が日前宮から帰った、その日の夜だった。

 根来寺では、寺の方針は坊の代表の集まりである惣分が決め、座主、三綱が執行することになっていた。しかし、特に重要な事は衆徒全員が大伝法堂に集まる大衆詮議で決めるのが昔からの習わしである。

 大衆詮議では、すべての僧と行人が平等であり、齢(よわい)、役職にかかわらず、だれもが考えを述べることが許される。比叡山の詮議では、発言者の位によって受け止め方が左右されないよう、発言者は顔を覆面で隠し、口に手を当てて声を変えることが求められたという。いったん大衆詮議で決定されたことは、たとえ座主といえども覆すことは許されない。
 今回の大衆詮議は、八年前に信長が雑賀を攻めた際、信長に味方するかどうかを決めて以来だった。

 大鐘の音が、山門横の鐘楼から、谷々の空気を震わせて四方へ広がっていく。蓮華、大谷、菩提の三谷にある二千の僧坊から一万人の僧が、続々と大伝法堂に集まって来た。
 行人たちの中には、手に武器を携えている者もいる。私語を交わし、笑いながら来る者、数珠をまさぐり、経文を唱えている学侶もいる。

 大伝法堂に着くと、僧や行人たちは入り口にひしめき、争って中に入ろうともみ合った。
 だが、一万人もの大衆は堂内に入り切らず、多くは外の芝にとり残された。
 大衆の表情には自らの出番が近づいてきたという期待と興奮、緊張感とが漂っている。ざわめきが夕闇の大伝法院を包んだ。

 本尊の大日如来の前には、紫の法衣を着た座主の教禅上人を中心に、学侶方の二人の能化、小池坊専誉と智積院玄宥とその他の学侶たちが座った。さらにその横に杉の坊、閼伽井坊、岩室坊、専識坊の四人の行人方の旗頭が席を占めた。

 総髪の四人の旗頭は、いずれも黒の法衣の下に鎧をつけている。旗親の周りを、大勢の行人が取り囲んだ。

 祭壇に置かれた大ろうそくが、すでに暗くなった堂内を照らし出している。大日如来を真ん中にした三尊が、堂にあふれる僧たちを伏し目に見下ろしている。
 堂内に入り切れぬ学侶、行人たちは表に溢れ、芝の上に腰を下ろして詮議が始まるのを辛抱強く待っていた。

 やがて庭の数個所に置かれた鉄篭のまきに火が着けられた。松の木を割ったまきは、パチパチと音をたててすぐに燃え上がり、火の粉が、暗くなった空に舞い上がった。
 鐘が鳴らされてから、すでに半時近くが過ぎていた。全山の大衆が集まったのを見計らって、閼伽井坊が立ち上がった。

「満山の大衆にお諮りいたす」
 閼伽井坊の大声に、ざわついていた場は、たちまち静かになった。
「本日、日前宮に三河守徳川家康殿の家臣、井上主計頭殿が使者として来られた。井上殿からは、慢心増長している秀吉を成敗するため、雑賀、太田、根来、湯浅、湯川、熊野など、紀州の国人衆の助力を願う旨の家康公のご意向が伝えられた。その内容は、徳川公と北畠信雄殿が秀吉を東より攻めるのに呼応して、西より攻めて挟撃してほしいとの要請である」
 よく通る声だった。

「我らとしても、近頃の秀吉の振る舞いには大きに立腹しているところ。いま秀吉が大坂に築いている城が完成すれば、根来の泉州知行に重大な脅威となる。この度の徳川殿の申し出は、我々が大坂に攻めのぼり、城を破却する好機といえよう。しかし、何と申しても秀吉は強敵。歯向かうからには、我々の方も多大な犠牲は覚悟しなければならぬ。既に岸和田城には、秀吉の腹心、中村一氏が在城し、貝塚にある根来の出城をにらんでいる。徳川の求めに応じて泉州発向となれば、我々の方も痛手は免れまい。徳川への同心は、秀吉に根来攻撃の口実を与えよう。最悪の場合には、全山滅亡の危険もある。そのことも承知の上で、この際、家康殿の誘いを受けるかどうか、十分ご詮議願いたい」
 閼伽井坊は提案の要諦を簡潔に説明した。

 家康との同心を願っていた閼伽井坊にとって、家康からの誘いは、まさに我が意を得たものであった。
 閼伽井坊は心の中で、衆徒から同心に賛成する意見が出ることを期待していた。しかし、先入観にとらわれない議論を重んじる大衆詮議の伝統から、自らの意見は口に出さなかった。

 閼伽井坊は立ったまま発言を待った。だが、誰も発議しようとはしなかった。
 衆徒たちは、突然もちかけられた重大な選択に、明らかに困惑していた。閼伽井坊が口にした「全山滅亡」という言葉が彼らに動揺を与えたのだ。
 ささやきだけが聞こえた。

「どなたか、ご意見はござらぬか」
 閼伽井坊が発言を促した。

「直ちに家康と約を結んで大坂へ発向すべきである」
 後方で怒鳴るような声が聞こえた。衆徒たちは、そろって声のした方に顔を向けた。ひしめく僧たちの中から、満座の視線を浴びて立ち上がったのは、旗親の一人西蔵院だった。

 西蔵院は、大勢の視線を受け、顔を紅潮させていった。
「家康の申し出は、まことに根来にとって渡りに舟。願ってもないことである。聞けば、秀吉は一昨年、明智光秀を討ったあと、和泉を奪うため根来攻めを企てた。しかし、柴田勝家との争いが始まり、作戦を取りやめたという。昨年の二月には岸和田城番に中村一氏を置き、和泉の地侍を集めて同心を誓わせている。柴田を滅ぼしたいま、秀吉が根来攻略をためらう理由は何もない。放っておけば、やがて攻め込まれるのは必定である。根来だけで、秀吉の大軍と戦うのは難しいが、徳川家康・北畠信雄と組めば、勝ち目も出て来よう。いますぐに同心して、先手を打ち、大坂に攻めのぼることが肝要と存ずる」
 それだけを一気にいうと、西蔵院はすぐに腰を下ろした。

続いて立ち上がった行人は韻実院の運海坊と名乗り、やはり和泉発向を主張した。

「我も西蔵院殿と同じ考えである。秀吉を攻めるのはいまを措(お)いてない。秀吉は南蛮の強力な鉄砲や大砲を得るため、キリシタンの宣教師どもに布教を許している。このままでは、この神国日本は南蛮人とキリシタンに乗っ取られる。神仏を守るためにも、我々は立ち上がらねばならぬ。細川・三好と互角に戦ってきた根来が、秀吉ごとき成り出し者にたやすく負けるはずがない」
 運海坊はまくしたてた。

 運海坊が話し終えると、堂の入り口近くに座っていた中年の学侶が立ち上がり、運海坊の方を向いて発言した。
「御身らは秀吉が攻めてくるというが、それはまだ噂に過ぎぬ。もし、秀吉にその気がなかったとしたら、家康との同心はかえって秀吉を刺激することにならぬか。相手の出方も分からぬうちに、自分から攻撃を仕掛けることはない。ここは、もう少し様子を見るべきである。家康はこれまで根来とは無縁の存在。我々と戦ったこともなければ、我々と同心したこともない。家康がどれほど信用できるものか、冷静に考えてみなければならない」

 学侶は、若い運海坊をたしなめるように、穏やかな調子でいった。だが、自らの意見を否定されて、運海坊は激高し、再び立ち上がった。
「何をなまぬるいことをいうか。それゆえ学侶は世間知らずで、世の動きにうといといわれるのだ。秀吉は生易しい奴ではない。鳥取の渇(かつえ)殺しを見よ。三木の干殺しを見よ。まさに生きながらの地獄であった。また、高松城の水攻めでは、信長が光秀に殺されたことを隠し、城将清水宗治を切腹させた。甘く見ていると取り返しのつかぬことになろう」
 運海坊は堂内に響く大声で続けた。

「家康も三河の一向一揆をむごたらしく潰した男。心から信用できる男でないことは十分承知しておる。だが、そのようなことをいっている余裕は、今の我々にはない。秀吉を倒さねば、こちらがやられる」

「尤(もっと)も、尤も、その議、謂(いい=理由)あり」
 後ろの方で、運海坊を支持する声が聞こえた。
「尤も、尤も、その議謂あり。ただちに同心すべし」
 別の声も同調した。

 出兵に反対した学侶は、自分の言葉への反発の大きさに鼻白んで座ってしまった。運海坊は満足したように学侶の方を見やり、腰を下ろした。
 勢いに乗った強硬派の行人たちは、次々に立って泉州への発向を求めた。学侶たちは黙っている。このままでは、圧倒的多数で「家康に同心のうえ発向」との意見が通りそうだった。

 詮議の進みように明算は焦りを感じていた。血気にはやる若い衆徒たちは戦を望んでいる。こうした詮議では、慎重な意見は常に勇ましい意見に圧倒されがちなことを、明算は経験で知っていた。反対の声が出ないのを見て、明算は立ち上がり、自分の意見を述べようとした。

 そのとき、
「異議あり、異議あり」
 と、前の方で声がした。
 明算が声の方に目をやると、痩せた若い僧侶が立ち上がるところだった。それは、学侶の小池坊定尋だった。

「私は徳川殿との同心には反対でございます。先年、明智光秀殿や柴田勝家殿から同心の誘いがあったとき、根来は断り、そのために事なきを得ました。もし、あのとき同心していたなら、根来は孤立し秀吉に攻められていたことでしょう。結果的に、あのときの判断は賢明でした。この度も又断るべきです」
 定尋はきっぱりといった。

「チッ、チッ」
 たちまち、行人たちの間から舌打ちの音が聞こえた。
「生学侶は黙っておれ」
 そんな声も聞こえた。

 定尋が戦のことで発言したのは初めてだった。これまで定尋は学問にのみ打ち込んできた。その定尋が現実に対して意見を出したのは、行人だけでなく、学侶たちにも大きな驚きだった。

 行人たちは、不快そうに定尋をみつめている。
「信長の雑賀攻めより七年、ようやく紀州に静謐(せいひつ=静けさ)が戻ってきたというのに、また戦を起こされる気か。戦が起きれば、また敵味方ともに多くの血が流されよう。力で対抗するからこそ、向こうも力づくで攻めて来る。こちらが抗(あらが)わなければ、敵も手出しはすまい。いったい、本当にいま戦う必要があるのか、また、戦って勝つ見込みがあるのか、もう一度とくと思案して頂きたい」
 定尋は訴えるような調子で言った。

「黙れ」「戦のことなど何も知らぬ者が、わかったような賢(さか)しら口をきくな」
 行人たちの間から一斉に憤激の声があがった。

「いやいや、黙りませぬ。私は、これまで詮議に口を出さぬよう自制してきました。しかし、今度だけは黙っているわけには参りませぬ。秀吉は、三好や細川などとは比べものにならぬ強敵。さきほど閼伽井坊殿が言われたように全山滅亡の危険がある。だからこそ、あえて私は反対するのです」
 定尋は舌打ちにもひるまず、いつもの講義のときと同じ、静かな調子で続ける。

「そもそも我ら仏弟子が殺生すること自体、仏の教えに背いていることは、口には出さずとも皆様方だれもが、自覚しておられるはず。僧侶が武器を執ることはもちろん、いささかでも闘諍(とうじょう)をなすことは、戒律の厳しく禁ずるところ。梵網経には《一切の刀仗(とうじょう)、弓箭(きゅうせん=弓矢)、鉾斧闘戦の具、及び悪網羅(=魚網とかすみ網)殺生の具を蓄うることを得ざれ。利養心の故に国の使命を通じ(=利益のために国の命を受け)、軍陣を合得し、師(=軍隊)を興して相伐ち、無量の衆生(=多くの民)を殺す事を得ざれ》とあります」

「また、小乗律にも大乗律にも殺生は波羅夷(はらい=教団追放)の重罪として、これを破るものは道果(=修業の成果)を退没し(=没収し)、僧数に入らず、阿鼻地獄に堕すとして、厳しくこれを戒めています。さらに我ら新義真言宗徒の祖、覚鑁上人様も、人々が有情の命をことさらに殺すことを悲しみ、これらの人に代わって罪を懺悔(ざんげ)された」

「末法の世では、法灯を護るために、やむを得ず、刀仗を取る事もあったかもしれませぬ。しかし、それはあくまでも自衛の為だった。しかるに近年の根来は、自らの利益を得るため、むしろ積極的に世俗の権力と組んで戦ってきた。少なくとも鉄砲を得てからの根来はそうであったと私は考えています。十三年前の元亀二年(一五七一)、信長に刃向かい、全山を焼き尽くされた叡山のことを思い起こされよ。あの焼き討ちは、確かに残忍なる信長の悪鬼の所業ではある。とはいえ、叡山にも責任はあった。朝倉に肩入れなどせず、中立を守っておれば、信長もああまで無残なことはしなかったであろう。結局、叡山は信長を甘くみた結果、伝教大師以来の堂塔を焼かれ、多くの尊い命を失った。古くは平氏に逆らい、大仏殿を焼かれた南都の例もある。刀仗に頼るものは、刀仗によって身を滅ぼす。そもそも仏の徒は世俗のことに容喙(ようかい=介入)すべきではありませぬ。叡山の二の舞いになりたくなければ、ここは自重すべきと存ずる」
 定尋は口から泡を飛ばして弁舌をふるった。

「謂(いわれ=理由)なし。謂なし」
「定尋、やめよ」
 大伝法堂の中は抗議の叫び声で割れるようだった。いまだかつて、これ程はっきりと行人の振る舞いを批判した言葉はだれも聞いたことがなかった。彼らにとって定尋の主張は、行人の存在そのものを否定したように思えた。

 行人たちは、憤激のあまり、立ち上がっている。威嚇のため、刀身をさやから出し入れしてガチャガチャと音を出している者もいる。
 運海坊がいきりたって立ち上がった。
「何を言うか。この根来寺が今日あるは、我ら行人が血を流し、命をかけて守ってきたからである。覚鑁上人様が禅定中、金剛峯寺の衆徒に襲われたときにも、命懸けで奴らと戦い、上人を救い出したのは我ら行人たちであった。学侶たちはその間、堂の柱に隠れて震えていただけだった。その後の度重なる戦火に寺を焼かれず、ここまで栄えたのも、我ら行人が寺を守ったからである。御身ら学侶衆が、いま食の心配もなく、ゆるゆると学問に打ち込んでいられるのも、我々が護法のために体を張って寺を守っているからだ。奇麗事をいうのは止めよ」
 運海坊が目を吊り上げて、罵ると、ほかの行人たちも
「尤も、尤も」
 と、口を揃えていった。