【いただいた感想】  (最新着順)

 私信の勝手な転用をお許しください。丁重なご感想に深く感謝いたします。

 

★Y・Mさん(2024年11月7日 5度目の感想)= O・Eさんと3人で懇親時

 小説はその後どうなっているか。利休の話は面白かった。利休は茶の湯の伝統を守るだけでなく、革新しようとしたことがわかった。利休の部分だけでも文学賞に応募してはどうか。(すでに応募したが、一次予選も通らず)ちゃんと読んでいないのではないか。

 

★S・Hさん(2023年6月18日)=「根来寺僧兵への挽歌」贈呈への礼状

「根来僧兵挽歌」をひととおり読んだ。 よくここまで調べたと感心する。 泉州に暮らして三十 数年、知った地名や人名が出てきて興味深かった。ただ、そこが問題で、泉州人以外に興味を持 たれるかどうか。 泉州人に知ってもらいたくてまとめたのだろうからそれは仕方がないとも言え るが。

 講演と同内容と書いてあったが、活字の方が遥かに分かりよい。 この内容を話を聞いただけで 理解するのは難しい。講演を聞いたとき、面白みに欠けると感じた理由が今回分かった。活字な ら盛り沢山でもあまり気にならないが、一方的に注入される講演なら理解し吟味するいとま がない。

 確かに活字で読むと面白かった。とはいえ、それでも調べたことの羅列という印象は講演のときと変わらない。 これは小説 「根来滅亡」 にも共通する欠点だ。

 「根来滅亡」を読んだ際は、佐々成政の冬山越えと根来の関係がよく分からなかったが、今度の「挽歌」で理解できた。 やはり 「根来滅亡」はエピソード間にもっと有機的なつながりを持たせる必要があったのだ。

  歴史をあまり捏造したくないのは分かるが、狂言回しの人物を創造して 成政と小密茶の関係を語らせるなど一例である。 成政の山越えの成否が根来に死活的な重大事と 分かれば緊迫感も増す。

 読者に自分も根来一族の一人と思わせなければ、小説にする意味が少ない。読者に登場人物との共振をさせることが必要なのだ。

★T・Fさん(2021年8月18日=2014年3月2日にも感想をいただきました)

  貴兄の大作「根来滅亡」には「さすが」の驚きでした。多忙な仕事の合間を縫って国会図書館や現地へ通った取材力と文章力。それを、ネットと書籍で発表するということに、畏敬の念を覚えました。
私も「土佐か美濃を舞台に何か・・・」と思ったものの、「とても真似はできない」と、自分史という安易なテーマに逃げ込んだかたちです。

★A・Kさん(2020年1月19日)

 貴君の小説は時々読んでいる。結構面白いのであるが、細部の書き込みが不足しているのではないか。一部を取りだしてもう少し丁寧に描き込めば、作品になるのではないかと思った。

★Y・Mさん(2019年2月12日) 

  その後、小説はどうなっているか。全体が長いのは確かだが、利休の話は面白かった。


★A・Kさん(2019年1月3日) 

 君の小説はまだ読み切れていない。結構面白いと思うが、やはり長すぎる。800枚ぐらいにまとめてみてはいかがか。
 

★A・Kさん(2018年11月11日)

  少し読み始めた。君は小説はうまいと思う。出だしなどは私が調査した、売れた作家の出だしと同じ雰囲気がある。読み進めると、印象は変わるかもしれないが、読者をまず掴むことに長けている。また、感想送る。

★T・Nさん(2018年1月9日)

 「根来滅亡」は読みました。貴君らしいしっかりした考証とカッチリした文章ですね。
 
 

★書評ブログ 「へんじがない。ただのポンコツのようだ」 (2017年7月15日)=http://canalize.jp/13964.html
 

根来(根来衆)に関する小説が少ないが、とても面白かった。
個人的には、先祖の話が載っていたのが印象的だった。

根来でNHK大河ドラマやってくれないかな?
 
 

★A・Iさん(2017年1月5日)=年賀状

 お元気ですか?「根来滅亡」を拝読しているところです。日々の雑用にかまけている小生には、励みとなる内容の充実さです。
 
 

★T・Nさん(2017年1月5日)=年賀状

 「根来滅亡」をネット版で拝見しました。実証主義で、Kさんらしい文章だなと思いました。私は読書、散歩、テニスの変わらぬ日々です。
 
 

★M・Iさん(2016年11月5日)=メール

このたび「根来滅亡」を楽しく拝読いたしました。
小説に出原右京が登場し、先祖に思いを馳せました。

現在は、東京に住んでいますが、先祖の出自は貝塚の橋本です。
泉州の話、根来衆の話が小説の題材になることが少ないので非常に興味深かったです。

昔はなかったのですが、20年ほど前に貝塚市教育委員会によって積善寺城跡の説明板が立てられたり、
貝塚のだんじりに彫られた根来戦記の彫り物を見て、根来戦記を空想したことがありますが、
やはり小説となると、根来だけでなく、さまざまな関連情報(歴史、文化、風俗など)がたっぷり詰まっており読み応えがありました。
 
 
 

★K・Kさん(2016年3月2日)=メール

 勇退後も畑、執筆と充実されているの素晴らしいですね。
ご本とっても素晴らしいのに新聞に連載できないのでしょうか。
もったいないです。コンクールにだすとかなにか方法はないのでしようか。
 
 

★Y・Mさん(2016年1月28日)=面談

 読み進むと、引き込まれるが、長いし、根来はなじみがないので、一般読者にはとっつきにくい。
いくつかを短編にして、文学賞に応募し、まず名前を知ってもらうのがよい。

 泉南地方の歴史的な重要性がわかる。受賞を期待している。
 
 

★T・Nさん(2016年1月1日)=年賀状

 根来僧兵の話、ネットで少し読みましたが、綿密な考証取材ぶりに、いかにも貴男らしいと思いました。本で読みたいと思っています。
 

★S・Hさん(2015年11月3日)=面談

 日根野荘の領主、九条政基が荘園の直接経営のために日根野に行ったが、失敗して失意のうちに京に帰る話(第52章旅引付、第76章日根野弘就)は面白い。一方で、班田収受の法から始まってえんえんと土地所有の話が続くのは退屈だ。
取材したことを全て書きたがるのは、歴史小説家の悪弊だ。

 ネットに発表した作品でも、短くして書き直せば、別の作品になるのだから、文学賞に投稿するのは構わないだろう。
 
 

★熊取のSさん(2015年9月22日)=メール(一部抜粋)

早速の回答のメールありがとうございます。  

私は熊取町に在住しています。59歳の自営業です。
私が熊取町の歴史に興味を持ったのも、父が同族座の神主をしたからなんです。
毎年長老から順番でなります。自分の先祖さがしから興味を持ち、調べて行く
うちに根来衆にあたりました。

ご存知のように重要文化財になってる降井家は自宅の近くです。
江戸時代は中左太夫家として、中左近家と同様に根来に子院をもっていたとおもいます。
私の先祖は、中左近家から養嗣子にきた中盛豊か盛明の家来だったと思います。

中盛彬の家記に延亨5年朝鮮人来聘の時、家来31人送り込んだとかいてます。そこに私の家の屋号ものっていました。
自分の姓のルーツを知りたいです。

上の家記によれば、若左近は、熊取の和田の人のようです。大久保の西左近らとともに成真院や、寿明院らと戦ってた
とおもいます。そして去年小谷のだんじり新調に千石掘城での戦ってる小谷出身の大谷左大仁の彫刻はいってました。それと
昨日は貝塚の城あとみてまわってきました。Kさん、もしこちらに来るようでしたら、一度店に遊びによって下さい。

どうもありがとうございました。
 

★筆者からの返信(2015年9月22日)

拝復、いろいろ貴重なお話ありがとうございました。
大谷左大仁が小谷という土地の出身とは
知りませんでした。やはり現地に行って、地元の
方に話を聞いたり、図書館で調べないと、調査が不十分
になります。だんじりに彫刻までされているのは、
地元では語り継がれている英雄なのですね。

 高井城を守った行(ゆき)左京という人は、私は
久米田の戦いで三好実休を狙撃したといわれる
往来(ゆき=または、おく)左京と同一人物と思っています。
私が貝塚で調べたところでは「行」は「ゆき」と読み、
いまも高井のあたりに子孫が住んでいます。
往来は「おく」とも読むという説もあるようです。
当時の名前は当て字も多く、読み方もいろいろあります。

秀吉との戦には泉南一帯の土豪、有力農民が参加したようです。
左近という名前が多いようです。朝廷の官職名(左近兵衛)から
庶民が借用したのでしょうか。
根来軍記には、下記の通り、参加者の名前が列挙されています。
若左近も出ています。

日本人が、自分たちの先祖を弾圧した信長や秀吉を
英雄視しているのが、納得できません。無念の死を
遂げた地域の先祖を再評価したいものです。
また熊取や貝塚に行きましたときに、お話を聞かせていただきたいと
思います。そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。
 

【根来滅亡88章 高井城の陥落】

http://katagipepo.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/negoro/html1-15/negoro88.html\\

「根来軍記」は、このときに畠中砦にこもった泉南の百姓たちの名前を残している。
「畠中城へ中村孫平次(=一氏)殿、御寄せなされ候とき、正徳院鉄砲にて孫平次殿従弟を打ち申し候。それより寄せ衆も敗軍。さりながら、この城郭、武辺なる仁(=武術にたけた人)多く警護す。その中にても粗記す(=主立った人を記録する)。
 貞久、宗行、是光(=神前是光か)、国吉、窪田貴蔵院、王子にては友成、末包、貞近、末国、末利、鶴原加賀又太夫、陸左近、佐野十郎太夫、奥左近、菊左近、板原、加祥寺(かしょうじ)、迎右近、吉見土佐掃部、岡田にては玉田、樽井右馬太郎、岡田ふっしょう房、鳥取遠大寺、吹飯(ふけ=岬町深日)にてはせきしゆ、山中にては新屋、牧野にては左門、慶加、市場掃部、南道、新家には久内、上之郷源次、日根野源六、左近佐(さこんのすけ)、かつは左近、若左近、大木新太郎、明願、式木左近、熊取中左近、西左近、若左近、宗九郎、刑部、源左衛門、長滝かうとの(以下略)」

迎右近は熊取町向井氏、佐野十郎太夫は佐野(泉佐野市)の藤田氏。樽井右馬太郎は樽井(泉南市)の脇田氏。日根野源六は日根野(泉佐野市)の豪農、目(さかん)氏であろう。名字代わりの地名からは、貝塚から紀伊との国境まで和泉南部の有力農民が総動員されていたことがわかる。

★筆者からの返信(2015年9月20日)

文中に出てくる中若左近は架空の
人物です。何分、根来は焼かれて資料が
少なく、僧兵の人物像があまりよくわかりません。

私はなるべく史実を中心に書きたい
と思いましたが、時代の雰囲気や
その時代に生きた人物の考えを
書くには、架空の人物が必要でした。

しかし、架空の人物は書くのが難しく、「主人公なのに
人物に精彩が乏しい」「歴史の教科書
のようだ」という批判もありました。

結果的にやはり人物像がよく知られている、
知名度の高い秀吉が準主役になってしまいました。
能や茶道など当時の文化も興味を持って書いた部分です。
 
 

★熊取のSさん(2015年9月16日) =ネット伝言欄への記入
 

 はじめまして、熊取のSといいます。このたび根来滅亡読んで、先祖の思いにはせました。たぶんですけど私の祖先は、中左近家から、

 中左大夫家(降井家)に養嗣子にはいった、熊取寿明院の子分とおもいます。積善寺城か、畠中城で鍬やかまで戦ってたかな?

 と思いまして。ところで、あまりにも熊取の事ご存知なので、熊取出身の方なのかなと思って書いてます。若左近って、実在の熊取の人

 ですよね。よろしければ、いろいろ聞きたいです。
 
 
 
 

★M・Mさん(2015年6月11日)

 せっかくだから、お作を拝読して、その感想をと思っていたのだが、やはり「電子書籍」は読みづらく、失礼してしまった。

(お作の書き出しも、どこまでレポートで、どこからが創作なのかがわかりづらくて、なかなか入り込めなかったこともある)
 
 
 

★H・Uさん(2015年5月29日)

 今後は農作業と著述ですか。わたしの「毎日が日曜日」とは、ほど遠い世界ですね。先祖が根来僧兵とは、力作が楽しみです。
 
 

★K・Yさん(2015年5月29日)

 執筆の件は大変興味があります。刊行の際は一報してください。

小生の自宅はインターネットがないので、大学の図書館で早速「根来滅亡」の草稿を読ませて貰います。
 
 

★S・Hさん(2015年5月26日)

 大作については一冊の本として出版することに異論はない。読まれようが読まれまいが出せばいい。

 ただ、短編としておもしろい部分があるので、そこを抜き出して、後一ひねり利かせてそれなりに完結させればいいと思う。

 例えば、利休のだいす(台子)の茶の部分(42〜45章)、これは対決ものの面白さがある。佐々成政の全く無意味に終わった雪中行(28、29章)も面白い。

 数十枚程度にまとめてオール読物あたりに出してみればどうか。
 

★K・Kさん(2015年5月26日)

 10章ぐらい(36章〜)拝読させていただきました。詳しい詳しいご研究、大学教授みたいです。

秀吉も自分にない教養にコンプレックスを感じている。権力をもっても心の中は、満たされていないのですね。

利休さんは、発想というか、感性がすごいですね。

歴史に名前を残すひとは、すごいですね。
 
 

★H・Iさん(2015年5月24日)

 ご本を書かれている由、いかにもKさんらしいな、と思いました。
 
根来僧兵ですか、すごいですね。完成したら、ぜひ読ませてください。

歴史文学を書かれている先輩は大きな刺激です。今からでは間に合うかどうかは分かりませんが、私も何か、テーマを探さなくては、と思いました。

どうぞ、お元気でご執筆ください。
 
 

★K・Kさん(2015年5月20日)

 36,37,38と読みました。本当に詳しく現場にいたような書きぶり、さすがですね。感動です。人間の心の深遠に触れるお話に、生きるとはと考えさせられます。

関ヶ原辺に祭ってあるお寺で年に一度大きな法要があります。私のレッスンの生徒さんのご親戚がされています。

K様がなぜ米原にお住みになったのかわかってきました。

少しずつ拝読させていただきますね。

お忙しい中、いつ書いておられたのかと思います。
 
 

★J・Mさん(2015年5月19日)

 貴君の家が、根来僧兵につながるとは知りませんでした。「根来滅亡」のことも。ずいぶん前から知る人ぞ知る、だったのですね。知っていれば愛読者になったと思います。遅ればせながら、これからなります。

 「フィクションが書けなくなった」悩みは小生も同じです。今頃知る職業病ですね(笑)。その病を克服しての上梓をお待ちしています。
 
 

★J・K2さん(2015年3月17日)

 小説の筋を追っている最中に、古文が出てくると、流れが中断される。古典が好きな人にはいいが、そうでない者には、わずらわしい。最後の覚鑁上人の文章は読む気がしなかった。古文を出すなら、原文とは別に現代語の訳も付けてほしい。戦闘シーンを書いた古文の「記録」は臨場感あふれるように、現代文に書き直してほしい。古文の丸写し、原文の羅列だけでは芸がない。

 キリスト教の話は現代語でまだ理解できたが、仏教の教義はわかりにくく、関心が持てない。短歌などは短いから、まだ理解できる。

 佐々成政の山越え、淡輪一族のおきくの哀話、太田城の水攻め、天狗草紙の僧兵の終焉など、知らなかった話は面白かった。女性についての秀吉の思いなど、歴史的に有名な人のエピソードも面白い。
 
 
 
 

★K・Tさん(2015年3月9日)
 

「根来滅亡」ゆっくり読ませていただきます。Aさんに伝えたら、「へー、彼にはこんな一面もあったんだねえ」と驚いておりました。
 

★J・K1さん(2015年3月9日)

 Kさんの根来の小説の一節(25章)に、菜の花漬けの作り方があったので、早速やってみました。

まず、摘んだ菜の花に、熱湯をかけます。

縮んだ所を水を切ります。奥は、昆布を入れた塩水です。

ジップロックに入れて、一晩冷蔵庫で寝かせれば、出来上がるはずです。
 
 

★Y・Mさん(9月29日)
 

司馬遼太郎や藤沢周平の著書をほぼ読み尽くした歴史小説好きの私ですが、お世辞でなく読み応えのある作品でした。

ファンとして余計な注文を言わせていただけたら、書き出し部分をもう少しスマートにするとより読みやすくなると思いました。

とくに、元僧兵の老商人がインテリ風で気になります。

昔の日本人は、とくに初対面の人間には警戒心が強く無口だったのではないでしょうか。

根来衆の戦いの歴史は、後半の様に作者の地の文で説明した方がすっきりすると愚考します。

余計ついでにもう一つ。

十郎太とおちかの恋を、もう少し艶っぽく描いてもらいたいですね。

当時の農村の男女交際は、かなり開けていたようです。

事実上の夫婦であり、当然夜這いも何度もしていたのでしょう。

そんなしっぽりした場面があれば、二人の死の場面がもっと痛切になるのではないですか。

このような細かいところはともかく多くの登場人物はそれぞれ明確な個性を持ち物語の中で息づいています。

時代考証も手堅く、当然ながら文章もしっかりしていて、読む者をぐいぐい引き込んでいきます。

中でも、終盤の息詰まるような戦闘場面は見事でした。

中・近世における僧兵の役割、泉南地方の重みへの認識を根底から直させられました
 

【お礼】

歴史小説愛好家としての大変
鋭く有意義なご指摘を、いろいろ
といただき、心より感謝申し上げます。

長年、事実を重視するよう教えられてきたことと、老化が進んでイマジネーションが衰え、
虚構に没入するのが難しくなったことで、最近は小説より
史実を書いた本の方に興味を惹かれるようになりました。

だいぶ前から「物語」でなく「記録」の太平記を愛読しており、
模範としました。

「根来滅亡」でも、フィクションは難しいので
事実の引用に頼りました。太平記が史記を
えんえんと引用しているのを、まねました。

最初に出てく行商人の話も、会話の形式は
とっているものの、史実そのものの引用です。
庶民の会話のリアル感が乏しいのは、
生の会話が不得手なせいです。現実生活でも
機転のきいた会話が不得手なのが、どうしても出て
しまいます。ご指摘のように、あっさり地の文にしたほうが
自然なのかもしれません。

男女のつや話も経験不足で、きわめて不得手なところです。
血なまぐさい太平記とは違う
平家物語の優美さと叙情性がほしいところですね。

ご批評をもとに、本腰を入れて書き直してみます。

好意的なご批評、とても力づけられます。
 
 
 

★Y・Mさん(9月26日=書き込み)

 壮大な大河小説を読み終え、深い感動に浸っています。利休と台子の茶の話や日根野・淡輪一族の興廃など、それだけで見事な短編小説になります。まず、この辺りを独立した作品にし新人賞に応募し、入選後に本編の出版を考えたらどうでしょう。私は魅力ある歴史小説家の誕生を確信します。
 

★K・Hさん(9月18日)
 

貴兄が既に著作家の道を歩み出しておられたとは。
(略) どこか、歴史と品格と筋を感じさせる人だと思っていました。
根来衆の血をひいておられたのですか。

大長編のようですが、仕事のかたわら、読ませていただきたく思います。

(英語版も掲載されていますが、機械翻訳は無料であっても、いえ、無料であるだけに、せっかくの作品をコミックに仕立ててしまうことがままあるため、ご注意ください)
 

★S・Hさん(8月16日=聞き書き)

 歴史小説を書く人間が陥りがちな習性は、調べたことをすべて書こうとすること。この小説に班田収受の法から荘園史までの詳しい知識が
必要なのだろうか。前にも書いたが、本筋にあまり関係のない歴史教科書的な記述が長く、読みにくい。

 台子の茶をめぐる利休と今井宗久の葛藤は面白い。人物の対立は興味を引く。こういったところを部分的に独立させてはどうか。

 十郎太とおちかのやりとりを補強したそうだが、2ページでは短い。読者が二人に共感を持つためには、もっと書き込むべきだ。
 戦争の悲惨さももっと書く必要がある。
 
 

★Y・Mさん(7月30日=聞き書き)

 仏教、キリスト教、能、茶などがよく調べられています。僧兵の由来や、根来寺と高野山の関係などがよくわかりました。

 壮大な歴史物語ですが、長いので3分割して、もう少し整理してはどうでしょうか。
 
 

★J・K1さん(5月13日)

 早速、アマゾンで、「僧兵と武士」を取り寄せました。主題は、僧兵が担った大衆運動が日本の歴史を動かしたということで、参考になりそうです。

  仏教の「議論」の伝統も面白いですね。なんといっても、アーリア人たちですからね。インド人も。

  根来の大衆詮議、了解しました。ツキジデスの筆力と肩を並べますね。厳密な歴史家のかれも、討論の部分は大体創作だそうです。そりゃそうですわね、レコーダーはもちろん、紙もろくになかった時代のことですからね。

 暇になったら、もう少し、日本の民主主義的議論の伝統を研究したいと思います。堺の自治、一向一揆なども、日本の地方自治の伝統として、もっと重要視する必要があります。
 
 
 

★J・K1さん(5月10日)

 貴「根来滅亡」は、まだ、「nego10 大衆詮議」あたりまでしか、読めてません。

 ところで、商売柄、直接民主主義の「大衆詮議」には、非常に興味が実はあるんですが、そのやり取りは、創作ですか?

 それとも、なにか、出典がありますか。教えて。

 ツキジデスの「戦史」のアテネなどの民会における議論の場面をほうふつとさせますね。

 日本にも、わずかにでも、このような伝統があったとなれば、今後の民主主義の将来に一筋の光を投げかけることになりますので。
 
 

 →(注)根来寺は焼かれて、大衆詮議については何も記録は残っていません。大伝法堂での大衆詮議の場面は想像です。しかし、比叡山の大衆詮議は平家物語や太平記に記録されています。
 

ネットより

驚くべきことに、民主主義が日本に根付いたのは文化的蓄積があったからだという。
ルーツは原始仏教の議決方法「多語毘尼」(たごびに、もしくは「多人語毘尼」たにんごびに)その他に根拠があり、

『平家物語』に延暦寺のルールが詳しく出ているらしい。

袈裟で頭を隠し、声色を変えることによって多数決の秘密投票とし、賛否を審議したとのこと。

これが鎌倉幕府における評定衆の多数決方式に繋がっていく。

一番、目が鱗だったのは「貞永式目」のくだり。

利害関係を一切排除し、道理と自分の考えで発言をすべきだとか

決議はたとえ反対したとしても全て一同の責任であるとか

多数決は必ずしも正しくないと認め、適当でないと思われる法律は破棄し、再び討議して新しい法律を制定するのを当然としていたり。

民主ではないが、議会制の根本がこの頃既に存在していたというのは素直に感心する。
 

多人語毘尼   (泉湧寺派法楽寺ホームページより)
 

 
多人語毘尼(たにんごびに)とは、僧伽に上述の「言諍」が起こり、これを解決しようと現前毘尼で裁判を行っても、いつまでもその争いに決着が見ら れない場合に最終的に行われる裁定法で、多数決である。この多数決は、舎羅(しゃら)または籌(ちゅう)と呼ばれる、細長い棒を用いて行われる。これは多 数決であるため、必ずしも「正しい」方に裁定が下るわけではない。

北伝仏教の伝承によれば、根本分裂と呼ばれる上座部と大衆部との分裂は、この多人語毘尼を契機としたという。阿育王(アショーカ王)の時代 に、大天(だいてん)という比丘が、阿羅漢について五ヶ条の教理上の新説を主張したことによって、この多人語毘尼が行われた。結果、新説を支持する側が多 数派となり、伝統説を保持する側は少数派となって、この新説が承認されることとなった。結局、伝統説を保持する少数派はこの地から北方に去って僧伽は分裂 する。少数派が上座部となり、多数派が大衆部となったのである。

                   
 
 

★T・Fさん(3月2日)
 
 

ブログ 楽書き雑記=後輩が歴史小説「根来僧兵奮戦の地」をネットで発表

現役時代の仕事仲間で今も嘱託として働く後輩のKさんが、戦国時代の勢力争いに巻き込まれた僧兵をテーマにした歴史小説を、インターネット で発表しました。「根来僧兵奮戦の地」。信長、秀吉、家康ら有力大名にスポットをあてた読み物に比べれば、組織と武力を持ち戦国大名の手駒的存在として生 きた彼らを主役にした作品は少なく、興味深く読ませてもらいました。

「かなり前に祖母から『うちの祖先は、根来の僧兵だった』と聞いて興味を持ったのが始まりです。仕事が休みの日に、国会図書館や関連する 城、寺院などを回って古文書を読み、少しずつ文章にしてきました。そろそろ子供たちにも残しておいてやろうと発表に踏み切ったのです」とKさん。

原稿用紙で20枚ほどありそうな章が、91章もある大作を一気に掲載。読むにはかなりの時間を要しましたが、さすが調査力、取材力、文章力に定評のあった彼ならでは、と感心しました。

戦国時代、野心を持つ大名を軸に荘園領主や寺院・神社、有力商人、水軍、それに情報収集能力を売り物にする忍者組ら、宗教勢力や権益組織、 地域勢力などの武装集団が「あっちにつき、こっちにつき」合従連衡して国取りの戦いを繰り広げました。この小説の「根来衆=ねごろしゅう」もその一つで す。

根来衆は、和歌山県北部の岩出市にある根来寺を中心に、宗門の寺院の行人(ぎょうにん=僧)、信徒らで構成されていました。
根来衆の強みは銃で武装していたこと。ポルトガル人からの鉄砲伝来を知った根来衆のひとりが種子島に渡って鉄砲と銃弾、火薬の製法を持ち帰り、国産初の銃を手にしました。
量産化する一方で、僧兵たちが鉄砲で武装して戦闘訓練。戦国大名たちも無視できない存在になり、根来衆も彼らとの戦略的同盟に盛衰を賭けたのです。

小説は、農民から志願して根来寺の行人(僧)となった2人の男たちを主人公にして、国取りを争う信長、秀吉、家康らと根来衆の関わりを軸に、根来滅亡までを描いています。

僕は歴史小説に詳しいわけではなく、大河ドラマも近年はあまり関心がありません。戦国時代の勢力図や系図、名の知られた戦いについても同様です。それでも興味深く読めたのは、彼の調査資料の蓄積と表現力の結果でしょう。

例えば、石屋、経木屋、仏具屋の店や仕事場が並ぶ門前町の描写。作業に精出す塗師や弓師、法衣の僧、鉄砲を担いだ行人らの動きが、騒音や土 埃、匂いとともに伝わってきます。それを導入口に根来衆の鉄砲製造へと話を展開する。小説の常道とはいえ、その丁寧さと豊かな表現に引き込まれました。
僧兵たちの部隊の編成、鉄砲や槍の訓練。ひとつ一つに、資料収集を重ねた努力を感じます。往時を見ていたかのような描写や表現は巧みです。でも、それを素直に読めるのは説得力があり、読み手を引き付けるのでしょう。

なぜヒトは戦争を繰り返すのか。武装集団である僧兵や武士がどのようにして誕生したのか。荘園とはどのようなものだったのか。それらを、モノ知りの老人に語らせる手法を使うなどで克明に書いています。
秀吉が茶や能、謠に興じる場面でも筆者の知識に驚きました。茶室の様子や茶の湯の所作が長々と書かれていますが、退屈どころか僕の乏しい教養が補われる思いで読むことができました。

地理に明るく、寺院や城の構造、置物、道具といったものが詳しく書かれているのは、職業柄でしょう。農村の暮らしや風景。彼は素足で畦道を歩き田植えをした経験があるのでは、と思わせます。
僕も、文章を書く時、文献や今ではネットも活用して調べますが、小説の中で活かすのは容易ではなかったと推察します。文献やネットで元々間違っていたデータをそのまま引用したらしいものに出くわすことがありますから。

2人の主人公は無名の兵卒。登場回数も少なく存在感が薄いのですが、何が何でも主人公を中心に展開しなければならないとは思いません。

「いずれ自費出版もしたいですね」とKさん。

いいですね。その際は、できれば難解な用語には章の末尾に注釈を。写真、地図、系図、勢力図、イラストの挿入や、お得意のレイアウトも生かしてください。期待しています。
 

※僕はネットに熟知していないので、「根来僧兵奮戦の地」を開くのには手間取りました。

Kさんによれば、

グーグルやヤフーだと

http://www.ne.jp/asahi/katagi/home/negorosenseki.htmlを入れるか

negorosensekiの文字で検索すれば開けるようです。
 
 

※秀吉・家康の両軍が激突した「小牧長久手の戦い」の中で、帰すうを決する戦いの舞台となった「岩崎城」(愛知県日進市)と城下の今
 
 
 
 
 
 

★JK2さん (1月20日)
 

 「利久にたずねよ」 を読んでいますが、「根来滅亡」の中の利休と書き方がよく似ています。秀吉のとらえかたとか。

どちらの方を読んだのか分からなくなる時もあります。あれが直木賞取ったのなら、「根来滅亡」もいけるのでは。

 批評等を参考に推敲して、きちんと作品にまとめたらどうでしょうか。
 
 

★JK2さん (1月18日)

 
 龍子の葛藤等は上手く書けてると思います。豪姫も面白いし、桜のことも良かったです。

 最後のかくばん上人の「我ら懺悔す」の文は二行くらいで、後は飛ばしました。作者が現代語に意訳するなりしてほしい。

 全部を最初から読んでないので、若左近がどんな人なのか全然知らないので、最後の章は何とも分かりません。
 
 

★SYさん (1月11日)

 例の長編小説を少しずつ読んでいますが、まだ愛欲篇にまでは行っていません。

一つだけ余計な事を申し上げます。第2編だったか第3編だったかに種子島に南蛮船が到着して

鉄砲伝来ということになっています。管見の限りでは南蛮船ではなく、

ジャンクだったと記憶しています。

(注 ポルトガルの資料によれば、ジャンクに南蛮人3人が乗っていたと記録されているそうです)
 
 
 

★JK2さん(1月10日)

根来の小説 読まさせていただいてます。龍子のとこ(38章)読んでます。読ませますわー。面白いです。
 
 

★THさん(1月7日)

(物語が掲載されているサイトの検索ワード「根来僧兵奮戦の地」を年賀状でお知らせしたら、お返事をいただきました)
 

「根来僧兵奮戦の地」のグーグルを開いてみました。「手すさび」なんていうものでなく、本格的な歴史物語が展開しているのを発見し、目を見張りました。 nego91まであり、もちろん序の口あたりを眺めた限りですが・・・。何とも壮大な物語とお見受けしました。
 
 私は30歳代のころ、吉野修験、真言密教に興味を抱き、空海、役行者、覚鑁上人の研究書などをかじったことがあります。もちろん、片手間に読め るような代物でなく、老後に読んでみようとなって、今に至るも手をつけておりませんが、懐かしく思い出しました。いつの日か、私が生きているうちに出版し てください。ぜひ買って読んでみます。
 
 

★SHさん(1月6日)

 去年は大作の公開、画期的だった。主人公2人の性格にもう少し特徴を持たせるといい。たとえば、これはありきたりだが、1人を鉄砲の名手 にするとか。思慮深い人物にするとか。若左近と十郎太の2人を対立しながらも、互いに深く理解しあっているといった関係にしてもおもしろかろう。歴史小説 は松本清張賞だった。500枚にしてぜひ応募せよ。完全版はそれができてからがいい。

 →(注) 松本清張賞(600枚以内)の規定には、「インターネットで発表した作品、自費出版作品は除外」とあります。対象はエンターテインメント分野で、選考委員は石田衣良・北村薫・小池真理子・桜庭一樹(女性)・山本兼一氏(「利休にたずねよ」の作者)。
 

★SYさん (12月15日)

例のご著作は縦組みになって最初と最後はすでに読みました。さすが○○の貴君らしい筆の運びです。中間は愛欲シーンがいつ出てくるか楽しみにしています。
 
 

★SHさん(12月5日)

 昨日、大作を読み終えた。結論を先に言うと、前の中間評とほぼ同じだ。書かれるに値する作である。非常に面白い部分と読むのが苦しい部分 があるのも最後まで変わらなかった。人物が動いたり、人物の思いが描かれているところは、見てきたような嘘をつく作者の講釈師としての面目が躍如としてい る。
 作者は実にいい素材を手にした。根来は歴史の表から葬られてきた。精々根来忍者といった怪しげな集団としか意識されていない。それをこの作品は救い出す力がある。
 大きな欠点がある。普通長編小説は終結部に向かって緊迫の度を増していくものだ。人物と長く付き合ってきた読者は、人物を他人事とは思えなくなる。この作品はそこまでには至っていない。原因はどこにあるか。
 一つは前にも指摘したとおり、主人公の影の薄さである。有名人を主人公にするより若左近や十郎太といった無名の人物を主人公にする方がこの作品は生きるだろうから、主人公はこの二人でいい。そして主人公らしくするには二人の出番をもっと増やす必要がある。
 後の方で十郎太が若左近におちかと夫婦になると告げる場面がある。ここは唐突には感じられない。ずっと前に置かれた「田植え」の章がよく書けて いたからである。しかし、間があまりに離れすぎ、その間二人の交流が全く描かれず、物足りない。それゆえに、おちかの死と十郎太の憤怒が今一歩読者の心に 迫って来ない。惜しいと思う。
 若左近も同じだ。戦に疑問を抱く若左近は共感できるが、もっともっと登場させなければ共感も浅いものになる。岸和田の戦いで残虐な場面に遭遇した。そこを克明に描くべきだ。
 全体に主人公が誰か分からない書き方になってしまっているので、長編小説を読んだというより短編の寄せ集めを読んだ感じになる。
 確かに右近も官兵衛もフロイスも短編としては面白い。利休も面白い。読了が遅くなったのは、貴君版利休を読んで昔読んだ利休ものを読み返す気に なったからである。そして、野上弥生子「秀吉と利休」、井上靖「本覚坊遺文」を再読した。今映画になっている「利休にたずねよ」は直木賞を取った3,4年 前に読み詰まらぬと思ったので読み返さなかった。野上のは小田原攻めのときの山上宗二の話が面白いという印象は変わらず、黄金の茶室と侘茶が両立すると いった屁理屈にはバカらしさしか感じなかった。井上のは読み返したことを後悔したくらいだ。大名の庭園にはどこも茶室があるのをみれば茶の湯がいかに一世 を風靡したかは分かるが、茶の点て方がうまいといっても所詮茶である(スポーツにいかに命を懸けていると言ったところで所詮遊びというに同じ)。私にはく だらないとしか思えない。

 57章 新趣向 柴田への秀吉の思いはよく書けている。
 59章 神の教え 辺見庸の「もの食う人」所収の修道士の苦悩と共通している。普遍的な題材だ。
 屏風絵の女は印象的だが、漱石の「倫敦塔」だったか「カイロ行」だったかとテーマが同じだ。 

 終わりの方で長谷川秀一を再登場させたのはよかった。根来を滅亡させた側からの見方を描いているのがよいし、根来への理解もあり、好感の持てる人物になっている。
 様々な立場から広く戦争と平和、自由と屈服を描いているのもよい。しかも根来戦争という具体的な事実を通し、多くの人物に語らせている。作者がダテに年を取ったのではないことが分かる。
 ただし、同じことの繰り返しという気味もある。

 ひとつ聞きたいことがある。僧兵の世界は平等ということだが、その世界もピラミッド型の組織になっているのではないか。旗親や行人頭はどうして決まるのか。世襲はないのか。もし世襲があれば民主主義としては不完全だ。

 泉州人の秀吉への今に伝わる憎しみが良く分かる。信長、秀吉、家康を英雄と讃える庶民の愚かしさは全くその通りだろう。 私の住む阪南市にも「首切り地蔵」があり、信長の残虐行為が今に語り継がれている。 

 根来以外の部分は精選してはどうだろうか。長篠の戦での鳥居すねえもんのエピソードなど、山岡壮八の「徳川家康」などに詳しく劇的に描かれている。この作品に必要なのか。
 500枚くらいに縮めて織田作賞に応募したらどうだろう。
 1500枚の原作はもっと整理してから世に出した方がいいかもしれない。
 せっかく調べて書いたものを一切削ったりできないというならそれはそれでいいだろうが。

 前便の訂正。
 日本という観念は当時なかったのではと書いたが、平家物語の木曾最期に「日本一の剛の者」といった表現がある。清盛の日宋貿易や時代が下がって 秀吉の唐御陣などを考えると日本という観念はあった。徳川の幕藩体制と鎖国政策で庶民から日本という観念を奪った時代と錯覚していた。この江戸時代にも日 本地図を作った知識人はいたわけで私が間違っていた
 
 
 

→(注)僧兵の組織というのは私にもよくわかりません。民主主義といっても、土豪の利益代表であり、土豪の力関係で指揮系統も決まった可能 性があります。行人にも主従関係はあったと思われます。専識坊などは千人ぐらいの行人を使っていたといいいますから、武将と変わらないように思われます。 根来寺惣分は行人頭が合議で運営していたのではないでしょうか。

→(注追加 2018年12月14日)

 「歴史のなかの根来寺」(勉誠出版)という本の中に「中世根来寺権力の実像」(廣田浩治)という記事がありました。 根来寺の権力組織は、行人(僧兵)が谷ごとの「衆」として結合する一方で、有力行人の寡頭制(かとうせい=少数支配)のもとに系列化されていた。意思決定は、有力行人によって主導されるが、惣分(=指導部)や一山の集会が開かれる場合は、衆議を経て重層的に決定された、と書いています。「惣国一揆」「共和国」ではなく、幕府からも認知された地方権力であるが、一方で分権的側面もあったと述べています。
 

【紀州征伐=ネットより】
 

 信長・秀吉にとって、紀伊での戦いは単に一地域を制圧することにとどまらなかった。紀伊は寺社勢力や惣国一揆といった、天下人を頂点とす る中央集権思想に真っ向から対立する勢力の蟠踞する地だったからである。根来・雑賀の鉄砲もさることながら、一揆や寺社の体現する思想そのものが天下人へ の脅威だったのである

これら寺社勢力や惣国一揆は高い経済力と軍事力を擁して地域自治を行い、室町時代中期の時点でも守護畠山氏の紀伊支配は寺社勢力の協力なしには成り立たない状況だった。

根来寺の主だった行人は、泉識坊が土橋氏、杉之坊が津田氏、また成真院が泉南(熊取)の地侍中氏など、紀伊のみならず和泉・河内・大和の地 侍で構成されていた。これら地侍出身の行人たちが「惣分」という会議を構成し、根来寺の方針を決定していた。つまり、実態としては根来寺の看板を借りた地 侍の連合による統治だった。地侍らは境内都市根来の富力を背景に和泉南部へと勢力圏を拡大していった。
 
 
 
 
 
 

★AKさん(10月29日)

 作者は、私の書きたいと思っているように書いている。作者は高校生のときから、空想力が豊かである。場面場面が現実のように目に浮か んでくるように書く。行ってもいない展覧会についての作文でも「三次元の美がある」と「看破」するのであるから、心眼があるのだろう(嘘が上 手いとも言えるが)。例を挙げると、冒頭の章、
「向かいの山の上では、山桜が若葉とともに白い花を開いている。爽やかな風が谷から吹き上げるたびに花弁が散って、商人と馬の上に落ちかか る。柔い毛を付けた、けやきの若葉が陽光を浴びて白く輝いている。日差しは暖かく汗ばむほどだった。 」
「柔らかい毛を付けたけやきの若葉が陽光を浴びて白く輝いている」という描写は、状況をうまく切り取っていると感じる。私もこういう描写をし たいのであるが、こういうゆったりとした筆遣いができないのである。「ケヤキの葉の和毛」などを描写し、「暖かさ」に繋げるのは、私には天才 的に見えるのである。
  26章の「島の人たち」も良く纏まっている。章の終わりが、「えらいことじゃ。……」「驚いて顔を見合わせた」で終わって、次の章への興 味をかき立てている。ほんとうに陳腐な、ありきたりの終わりかたであるが、次の章を読まねばならないと思わせるのは巧みである。この章での歴 史的認識や判断は正確であり、説得力もある。これが現実の問題となるとどうして現在の政府方針に反対という頑なな判断になってしまうのか不思 議に思った。また、常套句をさけるべきだと思ってきたが、作者の文章は常套句を使いながら、十分に雰囲気を盛り上げることができている。私は 「そうか、常套句や陳腐な表現でも、場面を緊迫させたり、気分を盛り上げたりできるものだな」と感心した次第である。例を挙げる。
26章の終わりの方、
  「男は目を見開いて、あえいでいる。 」
  「男は、十郎太の弓を見て恐怖の余り、物もいえずに突っ立っている。 」
  「友大夫はしばらく声がでなかったが、やがて落ち着いて話し出した。」
のような陳腐な文章を積み上げながら、十分に緊迫感が伝わってくる。
 はじめの方の章は退屈というが、私にはなるほどと思えることが多い。説明が不足して分かりにくいところがある(具体的に言えば「中家」の説 明である)。また道誉がやけに親しげであるのが、やや不自然に感じる時もあるが、それはそういう性格と考えれば良いだろう。

 突然「汝殺すなかれ」が出てくるのも面白い。自在だ。こういう闊達な筆遣いが、私にはできない。ストーリーを作るか、実証するか、細かに説 明するか、理屈をこねるかである。退屈な長ったらしい文章になる。こんな所に「出エジプト記」を出してくるのが面白い。この自由闊達さは真似 てみる。
 また、このあたり(69章)では国と国の関係をしっかりと理解しているのに、現代の世界の国々も同じであるということが理解できないのが不 思議で仕方がない。物語のとおりである。現代でも常に領土や利益は他国から狙われているのである。
 「あちこちで、ため池の水面が光っている。稲の刈り取りの終わった水田で、落ち穂を焼く白い煙が上がって いる。昔から変わらない、のどかな秋の田園風景だった。」などは陳腐であ る。しかし情景が目に浮かぶ。思わず「うまいなあ」と感じるのだ。
 
 

★SHさん(10月28日)

 「根来」、毎日1時間ずつ読み、やっと22の「奥の院」まで来た。 最後まで読まなければ正確な評価はできないが、先が遠いのでここで中間的な批評をしておく。
 さすがに長年手塩に掛けてきただけはある、畢生の大作である。書かれるだけの値打ちがあり、読む価値がある。何より戦争と平和というテーマがよ い。うまくいけばトルストイの「戦争と平和」の日本版になり得る。仏に仕える身でありながら戦をする、その矛盾、葛藤も優れたテーマだ。自由と平等という 今では死語に近い言葉が死を賭すほど価値を有していた時代と地域を描くのは非常に意義がある。
 しかし、面白くなったのは、鉄砲修業や槍部隊からで、13の「教如落魄」あたりは特によい。それまでは実に退屈で読み進むのが苦痛だった。どのような読者も私ほど我慢強くはあるまい。
 根来の置かれた位置、高野山との確執、鉄砲伝来や当時の現状、そこに至る歴史などどうしても書かねばならないことばかりだが、歴史書の記述にも 劣る無味乾燥さである。ところが、鉄砲修業からよくなった。理由ははっきりしている。人物を動かし、場面を作っているからである。本願寺の立場は、歴史的 事実の説明ではあるが、顕如、教如、准如といった親子兄弟の反目や、人物の苦痛葛藤が会話を交えながら描かれているため、興味が持てるのである。
 初めのほうの無味乾燥さ以外に大きな欠陥は、主人公らしき人物があまりに影が薄く、魅力に乏しいところだ。あえて特色を持たぬ平凡な農民上がり の行人を主人公に設定したのだろうが、それでももっと何とかしなければならない。主人公には主人公を通してものを見、それを読者に伝えるという大事な役割 があるはずなのに、欠けているのだ。例えば、道誉の軍が堺,大坂を攻撃したとき、たとえ町人だろうが、大坂に住んでいるだけで敵であると考える根来軍の考 え方は理解できるし、よく書けている。しかし、その一般論からこぼれるのが、具体的な事実である。主人公にはいわば虫の目で事実を見、事実に直面する役割 がある。作者もそれは分かっていて、戦の巻き添えを食って死んだ町人や女を描いている。町人は不運で女は恨みをのんで死んだ。主人公はちらっとそう思うだ けである。ここは一刷毛で書かれるべきではない。ここを詳しく書くことで主人公の姿が立ち上がってくるのだ。
 以下気が付いた細かな欠点ないし誤り。「日本の中で」といった表現があったが、当時日本という観念はなかったのでは。外国に対して本朝という観念はあったとしても日本国という観念はあったのか。
 「槍部隊」の落後は落伍の変換ミス。
 「教如は時代から取り残されてしまったような寂しさを感じた」という表現はあまりに陳腐。
 「長久手の苦汁」は出典が明示されいるが、どこまでが引用なのか分からない。
 大衆詮議の場面は以前貴君が口頭で語っていたときの方が面白かった。あの徹底した平等についてもっと注意を喚起するような表現を工夫したらよい。
 なぜ、百姓がそこまで自由を求めたのか、当時の百姓の生活の悲惨を描くべきである。私は小学生の頃歴史物語を読んでいて、戦国時代の百姓が領主 から年貢の未納を咎められ、乾いた蓑を着せられてそこに火をつけられるという酷い仕打ちが存在したと知り、今に至るまで忘れられない。その農民は熱さに 狂ったように走り回り、それを領主をはじめとする武士どもが蓑踊りと称して喜んでいたのだ。私は子ども心に怒りと恐ろしさに震えた。私の反権力志向はこの あたりに原点がありそうだ。
 戦闘場面は読みやすく、面白いが、通俗小説の趣があり、それで別に悪いとは言わないが、そこに何かユニークな見方が添えられていればもっとよいだろう。
 これからも少しずつ読み進めてまた感想を書く。
 
 

★JK1さん (10月28日)

 2番目の「根来の門前」読みました。こういっちゃなんですが、ちょっと、小密茶が鉄砲で二人を驚かすところは不自然ですね。火縄銃でそん なことがすぐできるのか、火縄挟みが壊れていたんではないか、とかね。なお、「保障」は「補償」?  では、また、読ませてもらいます。
 
 

★JK1さん (10月27日)

 大作ですなー!まず、「1 風吹峠」読みました。

http://katagipepo.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/negoro/html1-15/negoroindex.html

の内。

 たまたま、最近、風呂に入りながら読んでいる、司馬遼太郎の「古往今来」という文庫本に「戦国の根来衆」という短編があり、「行人」のことが載っていました。やはり、熊取(京大原子力研究所のある)のことが出ていました。

  子孫だし、泉南のことが出てくるせいかもしれませんが、なかなか、面白そうじゃないですか。

 小説の訴えたいテーマが何なのかは、まだ、(読んでないので)わかりませんが(個人が組織に押しつぶされそうな時代ですから、紀州の「反骨」なんか、どうですか)。ゆっくり、読ませてもらいます。色恋沙汰も欲しいですね。

 津本陽の「下天は夢か」(信長)のように、泉州弁、紀州弁をもっと入れたらどうでしょうか。

 推敲され、ネット出版されるよう、あらためてお勧めします。
 
 
 

★MMさん(10月19日)

お作の最後の章だけ拝読させてもらった。

小説を読むのに、最後から読むのは、推理小説を犯人を知ってから読み始めるようなもので、

正当な読み方ではないのだろうが、

和歌山県橋本市隅田町で小5から高1までを過ごした身としては、「根来」と聞くと、

「根来の子守唄」を真っ先に思い浮かべてしまうし、そういう小見出しがついていると

ついついそこから読んでみたくなる。

お許し願いたい。

しかし、「犯人?」を知ってから、読み始めると、純粋に読者の立場で作品を読めなくなるかもしれない。

半分は、作者の気分になったりするかもしれない。

このあと、ゆっくり拝読させていただく。
 
 

ついでながら、僕の記憶の中の「根来の子守り歌」の歌詞は、

「ねんねね〜ごろ〜の、かくばんや〜までよ〜、と〜しよ〜り、こ〜いよ〜の〜、

はとが〜なくよ〜」だったのだが、

「と〜しよ〜り」ではなく、「とうしょうじこいよ」だったんだ。

しかし、念のためにネットで検索したところ、

石碑には、「とうしょうじ」ではなく、「としょうじ」となっている。
 

               根来の子守り歌

「ねんね根来のかくはん山でよ
としょうじ来いよの、はとが鳴くよ
ねんね根来へ行きたいけれどよ
川がおそろし、紀の川がよ
ねんね根来の夜鳴る鐘はよ
一里聞こえて二里ひびくよ」